「「トム・クルーズ」が実際にやるという意味」ミッション:インポッシブル フォールアウト ゼリグさんの映画レビュー(感想・評価)
「トム・クルーズ」が実際にやるという意味
それがこのシリーズの全てであり、このシリーズが今でも作られている理由だ。
少なくとも、6作連なった今ではそう言える。
なぜ、これだけ撮影技術が進歩した現代で、トムは「自分でやる」という事にこだわり続けるのか。
スリルが好きだから、と言えば元も子もないが、おそらくトムは自ら危険な行為を行うことで、現代の映画における差別化を図っているのではないだろうか。
そもそも、ここまで技術が発達する前の映画は、アクションを「実際にやる」のが当たり前だった。
例えば戦前の戦争映画では実際に多くの戦闘機を飛ばして撮影(死傷者が出た作品もある)し、ジョン・フォード等の西部劇では、高度な乗馬技術を始めとした危険なアクションを、スターが実際にやってみせなければいけなかった。
70年代辺りのカーアクションは実際に全てをスクラップにして、80年代アクションは、ことあるごとに大爆発を起こしていた。
ジャッキー・チェンや千葉真一などは言わずもがなである。
チャップリンやらキートンら、サイレント映画のコメディも、自分が実際にやるから支持されているのであって、だからこそ彼らは今でもスターなのである。
だがそういった迫真のアクションも、技術の進歩と共に数が減っていった。
簡単に合成が出来るようになり、役者が自分で危険を冒す必要などなくなった。
もちろん、現代でもスタントマンは活躍しているが、それも以前とは比べ物にならないほど、充分な安全が確保された状態での事だ。
トムがなぜここまで支持されているのか。
それは彼が時代に逆行しているからだ。
高さ8000mから実際に飛ぶ。
自分で格闘シーンを行う。
骨折して完治していない状態でも全力疾走をする。
ノーヘルでバイクに乗り、車を避けまくる。
常に自分で車を運転する。
ヘリを操縦し、難易度の高い飛行を行う。
これらが本作で行われるアクションである。
だが、これをほとんどスタントマンとCG合成で行ったらどうなるだろうか。
少なくとも僕は大して面白みを感じない。
2018年である。そんな映画なんてゴロゴロある。
僕が本作を面白い、凄いと思った理由は、トムが実際にやっていると「知っている」からではない。
トムが実際にやっていると、作った側が「意地でも見せようとしている」からだ。
トムが実際に演じているシーンは、そのほとんどが持続している。
これは3作目辺りから顕著になってきた。
ミサイルに吹き飛ばされて車に叩きつけられたり、高層ビルにぶら下がったり、飛行機にしがみついたまま空を飛んだり。
どれも、実際にやっているから意味があり、印象に残っているシーンである。
今作でもそういう撮り方がされている。
トムの顔が隠れているようでは意味がない。
製作者が見せたいのは、スパイの頭脳戦ではなく、トム・クルーズのアクションなのである。
もちろんそれも、何かあった時にすぐ対処できる現代だからこそ出来る、危険なアクションなのだろう。
まずアクションがあり、そこに至るストーリーを考える。
だからストーリーを重視する観客にはウケない。
古典的な、核爆弾を止めろという話だ。
それをスパイ大作戦風に味付けしているだけだ。
だがそれがいい。
このCGにまみれた現代のアクション映画で、伝統的な「本物」のアクションを見せてくれる。
それがトム・クルーズという本物のスターであり、その「スターが実際に行う」という事実が画面から伝わった時、他の作品では感じた事のないハラハラドキドキを感じながら、ストーリーではなく映像そのものに驚いている瞬間。
この瞬間の驚きこそ、僕は「映画」なのではないかと思う。
ちなみに、「じゃあ衝撃映像集みたいなの見てればいい話じゃん。youtubeでいいじゃん」とかいう意見は聞けない。
勘違いしないでほしい。
それとは全く違う話だ。