「なにがしたいのかわからない」劇場版 響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ いちさんの映画レビュー(感想・評価)
なにがしたいのかわからない
※Filmarksにも同じものを投稿しています。
いったい何を映したかったのかよくわかならかった。
その原因のひとつだと思われるのは尺で、焦点を当てているキャラクターの数に対して時間が圧倒的に足りていなかった。
言い換えれば短い時間のなかで、焦点をあてるべき箇所をしぼれていなかった。
わたしは原作小説を読んでいたので新一年生たちが取る行動についていけたが、もし読んでいなかったら置いていかれていたと思う。
なぜなら新一年生、とくに美玲がサンフェスで取る行動について、そこに至るまでの過程があまり描かれておらず、それゆえ問題の行動が突拍子もなく起こったように見えるからである。さらにその前後でキャラクターがどのように変ったのかも描かれていないため、キャラクターの成長もいまいち感じられない。
原作ではとても生きていた加部友恵も映画では何で出てきているのかよくわからなくなっていた。
小日向夢を出さないなら加部友恵の話も切ればよかったのではないか。
月永求の描き方も雑で、これなら焦点を当てない方がましだった。
そして優子と夏紀の扱いに至ってもとても雑だった。
また途中途中で携帯の動画撮影画面を意図した演出が取られていたが、これもなぜこのような演出をしたのか意味がわからなかった。
監督の話では久美子の物語にしたかったとのことだったので、それならもっと久美子に焦点をしぼって話を切っていくべきだった。
つまり久美子・奏・夏紀のユーフォ三人と秀一・麗奈ぐらいに焦点をしぼるべきだった。
それが出来ないなら前編・後編と分けて作ってほしかった……。
ただ奏の捉え方が原作とアニメではかなり違う。
原作で奏が言う「頑張るってなんですか」は、三年生との関係のなかで自分が頑張っても喜ばれないという点での言葉であり、自分の頑張りを評価してほしいということを意図したものだった。その意味で奏は久美子のように流されていたわけではないし、よって「悔しくって死にそう」というところに繫がる言葉ではなかった。
原作に忠実でなければならないとは思わないし、原作のままだと美玲と被る部分もあるので奏をかつての久美子を重ねてた存在として描いたのかもしれないけれど、それならばもう少し描き方を変えた方がよかったように思う。
というか美玲のところは切ってしまって、その点も含めて全部奏の話として展開すればよかった。
個人的に唯一よかったのは県祭りの久美子と秀一のシーンだった。
なぜかと言えば、秀一との関係の変化は久美子が自分と向き合った結果だから、言い換えれば時の流れによってではなく久美子が自らの意志で選んだ変化だからであり、その意味でテレビシリーズと比べて久美子の成長した姿が見えたからである。