「ポップなランティモス」RAW 少女のめざめ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
ポップなランティモス
何年も映画を見ていると、どんなに突拍子もないアイデアにも、そう驚かなくなる。発想の出発点から、映画に仕上がるまでの内的プロセスに、ある種の納得を得られるのが普通。それができなかった。
新入生が上級生から受ける手荒い洗礼はわかる。カニバリズムもわかる。屍体愛好もわかる。生食の嗜好もわかる。SMもわかる。ただし、結局、なんでこんな話ができあがるんだろう、という点がわからない。ランティモス的だがランティモスよりポップだった。
たとえば、こんなシークエンス。
姉がジュスティーヌの陰毛処理をしようとして、鋏を持ち出すが、抵抗され誤って自分の中指を切り落とし、ショックで気絶する。目を覚ますと、そこにいたのは、自分の中指をむしゃむしゃと食べているジュスティーヌ。
ふつうならそこでギャーとなる。が、わたしたちが見るのは、治療してもらった姉と妹の口げんか。姉はケロっとしていて、突然、当たり屋をやって事故死体の血肉をあさる。
比較する必要も脈略も関係性もないのだが、わかりやすく言うためにあえて引き合いにすると、日本映画の残酷クリエイターが、斬/撲/絞/轢か何かの殺傷方法を、どうだすごい残酷だろと、どや顔でひけらかすのが、とても恥ずかしい。
この映画は、想定を越えた過激を扱っているとはいえ、その世界を際立たせているのは、ジュスティーヌらの生き生きした学園生活だ。
ベジタリアン少女の獣医学校入学初年度を描いた骨格に、ホラーの血肉がそなわっている。残酷もホラーも、それを表現するために、副産物にしているところがスマートであり、それが凡百の和製との決定的な違いでもあった。
加えて撮影が異様にアーティスティックだった。
新入生の通過儀礼は過剰だが、それがどこまで有り得るか、わからない。全体として架空と現実の境界があやふやだが、その虚構性もまたアーティスティックだった。
白眉は、エイドリアンの裸の上半身を狼の視線で追いながら、鼻血するジュスティーヌ。うまく言えないが、性の壊乱もSMも退廃も同性姦も血なまぐさい子宮感覚も、とうの昔に卒業してしまった先にあるヨーロッパの大人度をかいま見た気がした。が、残酷がすこしも沈殿しない。むしろ妙に笑える空気感が漂っていた。
この映画に男性がもぞもぞするのは、宦官にされてしまうのを想像するからだろう。食べようとしたら、いったいなんと食べやすい部位であることだろうか。後半はほとんどその描写がないことを祈りながら見ていた。