ハーフネルソンのレビュー・感想・評価
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4.0はゴズの演技に。
ゴズ26歳。
最近はいろんな年代のゴズを見ているから感じるけど、
この時の体型、すごく細身。
この4年後「Crazy,stupid,love(ラブアゲイン)」ではバキバキになってる。結構この細身ゴズも好きだな。ほどよい筋肉。
それにしても終始、顔つきが酩酊状態というか。気だるい感じ、顔つき、体の動き、上手だね〜。ほんと、見ててだるそうだった。
バキバキに動いてるゴズを最近見てたから、このダルダルなゴズが新鮮だった。ブルーバレンタインの時もそうかもな、上手だよな〜この気だるい感じも。
なんていうか、家のインテリア、布とかそういうのもダルそうに見えた笑。不思議と。ソファーにかけてある布とか、湿気を帯びてだるだるな感じとか。絶妙だったなー。
これはゴズの癖だと思うけど、恋愛シーンになるとあの半開きっぽいとろーんとした目で、じーっと見るんだよな。あれが結構今私の中でキテる。あれを見るのが好きだ。今回は元カノと公園で再会したシーンでそれが見れました。
よれよれのサンドウィッチ(サンドイッチまでだるそう)の食べ方、
車内でジャケットを無造作に枕にして休んでる感じ、
テスト中の居眠りの仕方、目覚め方、終始気だるいの上手、だし
それだけじゃなく、時に見せる切ない表情。
やるせない、でもどうにかしたい気持ちも強くある。
なんとか、日常を一日一日過ごしているけれど、ちょっとした何かですぐに穴に落ちてしまうような。穴に落ちていつも後悔し、でもまた立ち上がって元の生活に戻る。その繰り返し。
何かに依存している時、ちょっとしたストレスが引き金となって依存対象に頼ってしまう。
この映画は何が言いたかったのか、と言われそうな映画だし説明むずいけど
現実ってものをリアルに表現しようとすればするほど、はっきりしないものになると思う。
昔はこういう作品はモヤモヤするからあまり好きではなかったけど、何かに着地しなくてもいいよな、だって現実で起こることって大半着地しないこと、多くない?と思うようになって。
だからこういう終わり方も、全然ありだと思えるようになった。
(ただ、どういう作品か説明するとなるとむずかしい)
いろんな違いを超えて友人に
一言で言うとそこまで自分の好みの作品ではなかった。
きっと破滅的にころがるんだろうと予想していたけれど
それはいい意味で裏切られた。
ヤク中でありながら学校の教師で
平等や公正を子供たちに説く
危うい青年をライアンゴズリングが好演している。
繊細な目の動きだけで物語る様子をただ見ているのだけでも
価値はある。
己の至らなさを棚に上げつつも
教え子は危険にさらしたくない、
なんとか守ろうとしている。
自身でも薬はいけないなとわかっていてもやめられず
でもなんとか表の顔とで整合性のバランスを保とうとしている
人物なのだろうと受け取れる。
彼自身はなんとか教師の体面を崩したくなかったかもしれないが
逆にそこが崩れたからこその
人種や年齢立場を超えた友人関係に至れたのではないだろうか。
作中の授業内容をまるで体現してるかのようで
興味深かった。
不思議ちゃん
全編手持ちカメラでナレーションのないNHKスペシャル「唇の星条旗」みたような作品。
話に盛り上がりなく、別にどうってことない内容なので半分以上の人は退屈します。
ハマる人にはハマります。なんだかよくわからない伏線、ラリったようにぶれるストーリーだけど、深刻ぶらずサラッとライトな展開。
先生のこと好きなのにふてくされてる黒人生徒が、いかにも悩める中学生的で何とも良い。
独特の映像が肌に合うか合わないか、でしょうね。
いい映画になりそうだった
いい映画になりそうだったけど微妙だった
表現描写が多く、分かりづらい
伏線を回収しきれてない感じ
主人公がこうなった理由が説明しきれていない
歴史などの表現も惜しかった。
不完全さとせめぎ合い
授業の中で語られる「せめぎ合い」や「不完全さ」などが、作品全体で表されているのかな。
表からは良く見える先生、でも裏では薬物におぼれているという不完全さ。各人物の中で起こっているせめぎ合いや心の葛藤。いつかどちらかの力が大きくなり傾くのか、せめぎ合いが続くのか。人間のどうしようもない部分が、リアルに描かれていると感じた。
正直、感動・興奮・爽快といったエンターテイメント性はほぼ感じられず、特に前半は耐える時間だった。淡々と描かれていき、最後もはっきりとした答えが出るわけでは無い。でも現実はそんなものだろうし、だからと言って希望が無い訳でもない。最後まで見たら、じんわりと良かったと思えた作品でした。
深すぎて、私は理解してるかな?
バーである生徒の父親に、今、娘ポーラはジョージタウン大学で、歴史を専攻していると言われたが、ダンは全くこの生徒が誰かも覚えていない。先生冥利に尽きる言葉で光栄なのに。あきらかにダンのクラスで歴史を学び、興味をもったからそれを専攻にしているのだ。父親は娘をダンに自慢して感謝しているのに、教え子の名前、存在を忘れてしまっている。『一人を救えない』とかれは言っているがこの生徒に影響を与えた。一人を救ったのに。忘れているから、自分の功績を『一人を救った』と思えないし、生徒に将来どんな影響を及ぼすかより、今に焦点をおいているかもしれない。私だったら大喜びで同僚や友達にこのことを伝えるのに。
自分は一人の人間。何ができる。一人がなにができる?! 自分に自信がないんかね?
こういう言葉を何度が彼は言う。私の理解が足りないのか、なぜ、こう言うんだろう。ここに出てくるハービーミルクも、シーザースチャベスもリーダーだが改革を一人の力で成し遂げていない?結局、周りの力があったから成し遂げることができたんだよ。ダンは家族と会った時も言ってるじゃない。米国がベトナム戦争から抜け出られたのも、その当時の学生運動の人々(ダンの両親を含めて)のお陰だって。でも、母親はダニエル エルスバーグのお陰だって言ったけど。ダンの言葉は母親に『成功感』を与えた/与えることができる人。
ダンはジェファーソン中学の歴史の先生で、麻薬とアルコール中毒で基本的生活習慣はまるで保てなく、学校にもやっと行ってる状態。朝、車の中で、1.2.3、と数えて、車から立ち上がる様子で明らかにわかる。職員室でも、厭世感溢れ、歴史のクラスでも椅子に座ったら、もう終わりだという感じを与える。
でも、立って教え始めたらすごい先生だ。
まず、歴史とは何かで始まって、年号や起きたことを覚えるものではないことを伝える。(私はこう習った!?)なぜ起きたか?その結果がどうなったかと広義に、証明する教え方をしている。世界は相反するもので出来ている、左右、良い悪いなど。このバランス関係があって、世界も私たちの生活も成り立っていく。神はすべてを上手く創造したものだと。「暗喩、隠喩」も生徒に答えを出させて、いくつもの答えに賛美を与える。ダンは『dialectics of power and world politics』の弁証法的思考に誇りをもっているから、dialectics(弁証法的)を簡単にわからせるため子供の本を書いている(?)中学生を引きつける(全員じゃないけど)教授法は天下一品である。
また、ひとりの生徒を助けようとする気持ちはなんともいえなくいい。
ダンは麻薬中毒のリハビリに行ったようだが、またもどりこの中毒から抜け出せない。自分では管理できると言ってるが、いやいや。ヘロインを使っているようだから簡単には行かない。学校の女子ロッカートイレで麻薬を使って、トイレに入ってきたドレイに見つかっている。ドレイは麻薬売人を父親に持ち、兄は麻薬売人の手助けをして監獄にいる。こういうバックグラウンドだから、ダンを心配しているし、淡い恋心をダン先生に抱いている。それに、母親は救急搬送(EMI)の仕事をしていて、忙しく、ドレイは一人ぼっちだと思っているし、ダンも同じ意識を持っていて、共通点を見出している。この共通点があるから、お互いに助け合っている。麻薬中毒のダンがドレイの父親のフランクに『ドレイにいいことをしろよ。できるか?』抗議に行くシーンでわかる。自分を救えないのがどうやってドレイを救えるのかと思うかもしれないが。同じ痛みを抱えている同士が救いあえるんだと思った。相反関係のパワーのバランスがよく出ている。
『Soul on Ice』という本がダンの本箱にあったら、ドレイは借りられる聞いている。この本は作家が監獄にいたとき、書いたもので、ドレイは監獄での兄のことをもっと知りたくて借りたと思う。ドレイは黒人の本が多いと言うが彼女がそう思うだけで、ダンはオープンマインドで包括性のある考えをしているから、各種の本を持っている。
麻薬中毒は悲惨な問題であるが、ここでそれを書くのを避ける。個人的にそこが焦点ではないと思うから。焦点は麻薬中毒でもなんでもいいんで、人の二面性、人にも、ここで言う相反関係におこるパワーが働いていて、その2面のパワーは良し悪しでない。個人的に考えるとダンはパワーのバランスが崩れているだけで、崩れたバランスの両面がそれぞれの人に影響を与えていると言うことだと思う??
同僚でダンと肉体関係を持った女性がダンに『共産主義か』と聞く。本を見て、『ゲバラチェはアフリカ 』があると。マルクスの『共産党宣言コミュニストマニフェスト』があるとか。ダンはもし、『我が闘争MEIN KAMPT』の本があれば、私はナチかと聞く。まったくダンの言う通り。こういう概念で物事を考えないからダンは凄い。オープンマインドでステレオタイプで物事を考えないんだよ。私の好みの考え方をする人だ。こういう考えの人がもっと社会に必要なのに、ダンさん、自分をもっと大事にしてよと言いたくなっちゃう。
もっと他のことにも焦点を当てたい。
人間は誰でも弱い。ダンの二進も三進もいかないこの気持ち。なぜ? ただ、弱いだけじゃない。人は誰でも弱さを持っているからね。
ダンの家族にあって気づいた。家族はまだ、疑っているし、麻薬をやっていることを知っているから、特に父親は厳しい目で見る。ベトナム戦争に行って、傷をつくって帰ってきた父親、両親の青春はベトナム戦争反対時代。そして、ダンが黒人の多い学校で働いていることに喜んでいないような態度。黒人を軽蔑しているのかも? 『アス ホール』は黒人用語でなんというかとか質問するから。
なにか家族になかでも外れているといったらいいか、行き場がないと言ったらいいか。両親は弟の方に愛情が入っているかも。母親も『前のガールフレンド、レイチェルに電話したら。でも、麻薬やめなさいと。。。しあわせ? 』ダンは母親になにか話したく、『ママ』と声をかけたが、、、、母親は返事をしない。ダンが何かを話したく、お母さんと言ってるのに母親は避けた。もうなにも聞きたく無いというそぶりだった。ダンの話に耳を傾けてくれるところがない。
ダンは家庭に助けを求めるところがないんだ。どこにも助けを求めるところがないが傷ついた心を心で共有できる人はダレイなんだと。社会福祉のリハビリはいるが、心の隙間を埋められないから、また、薬中毒に戻るという悪循環だのだ。
最後にシーンでダンがドレイに水を持ってきて二人が離れてすわるシーンがあるが、ここで、二人は距離を置いて座っている。私は最後のシーンをこう読んだ。二人は友達で、同じように傷心しているいる。それを冗談で笑いに変えてる。だれにも理解されない、だれも理解してくれない。麻薬もやめられない。ダンはその空虚感を埋められない。彼の口癖『人間は一人じゃ何も出来ない』といっているけど。ここでドレイと二人でなにか変えることができるという意味で映画は終わっているのかと?人間は問題点を持っている。『聖職』なんて言う概念はやめてくれ!人間は 心のバランスの均衡を保てる人ばかりでない。ダンの生き方に素晴らしい面がある。人間は一人でも何か出来る?
蛇足:
この俳優のことは知らないが、ダメ教師のような演技はうまいが、麻薬中毒者の目をしていない。中毒の目はこんなものじゃない!
すごく深い意味のある映画で秀作、レビューを書いてみたけど、なんかイマイチ??!!
タイトルなし
黒人街で熱心に教鞭をとりながら、ドラッグに溺れるライアン・ゴズリングと、ドラッグを売る生徒の少女の奇妙な友情。ラストはいい方向に向かってるのだろうか?何とも言えないか押し付けがましくはない社会派映画。
ダメ男ゴズりん
学校では人気の教師ゴズりん、私生活ではドラッグがやめられないダメ男。ダメ男役、似合うんですよね〜。
そんなダメ顔で見つめないで〜!!
女子生徒の子がボーイッシュな感じで良かった。ラストは希望がある感じに思えました。
ドラッグ中毒先生なんて
主人公(ライアン・ゴズリング )は中学の先生、学校でドラッグをやっているところを女生徒にみつかる。
この二人の関係が微妙で面白い。
でもドラッグ教師なんて無理だなぁ。
たまにみたくなる
このレビューみてから、だいぶ経ってからかいているところであります
あー、あの映画ね、みたいになって
もう一度、思い出したくなる、
もう一度、観たくなる、
ぼくにとってはたまにある、そんなジャンルの映画です。
危なっかしい2人、でも、見入ってしまう
ライアン・ゴズリングは麻薬中毒者だけど、昼間は黒人街の教師を真面目に果たしている、生徒思いのいい先生。何故かセクシーで清潔感もある。ライアン・ゴズリングのちょっと影があるイメージに役柄が良く合っている。
教え子の少女と秘密と孤独を共有することから、ぐっと関係が近くなり、教師と生徒の関係から友情が芽生えて行く。
少女の目もすごく澄んでいて、大人と子供が同居する多感な感じが素直に演じられていて、好感が持てた。
2人が友人である限り、何とかなりそうな気がした。
螺旋
ドラッグに汚染される社会の中で葛藤する者を描く。歴史を参照にしているが、彼らは転換点を経ることができたのか。スパイラルに変化を続けるが、全体として悪い方向に進んでいるのか、良い方向に進んでいるのか、定かではなく、もどかしくもある。簡単にはいかない麻薬問題を象徴しているように思う。
失望しない不思議
生育環境がそうさせるのか、性格なのか、特に中学生位の頃って潔癖な面があったりするのに、先生に失望しない不思議。
友情、なのか淡い恋のようなものなのか。
相反する様々なもののなかに、歴史の闇や過ちと、現在があるとしたら、現在は少なくとも僅かな希望が欲しかったな。
2人ともどんどん闇深く堕ちていく感じは、観ていて楽しめるものではなかった。
羽交い締めかけられました
ドラッグ漬けの孤独なイケメン教師が、正と負の境界線をゆれゆれに行っては戻りの繰り返しで大丈夫か?というところで、黒人の女生徒に心の会話で引き戻され、正を見つつの境界線に戻りました。という結果はでていない途中段階のお話でした(◎-◎;)。タイトルのハーフネルソンは、羽交い締めという意味みたいです。なんかそんな感じの話でした。
相反する者同士が存在し合う真理
白と黒、男と女、大人と子供、教師と生徒、そして買う者と売る者・・・。映画は、白人教師と黒人の少女という、ほぼ共通点の無い相反する者同士を中心に動く。
最初は若き白人の教師が、黒人の小学生たちに熱心に教鞭を打つ様子や、積極的に部活動の指導をする様子が描かれる。さながら、学園ドラマか教師ドラマのような様相に見える(同じライアン・ゴズリング主演の映画「ラ・ラ・ランド」内で揶揄していた「デンジャラス・マインド」を想起させないではない)。しかし映画の本質は、教師と女子生徒それぞれの隠れた私生活における秘密と罪、そして教室で教師が語る言葉にある。ライアン・ゴズリング演じる白人教師が教壇で語る内容が、次第にこの映画の主題とリンクしていくのだ。彼は、相反するものが社会を構成する重要な要素であることを生徒たちに話して聞かせる。そしてその言葉を象徴するように、白人教師と黒人の女子生徒の存在が動き出す。
白人と黒人、男と女、大人と子供、教師と生徒、そして、クスリを買う男とクスリを売る少女。二人はアメリカの社会においてはまるで相反する存在だ。しかし、教師が語る言葉の通り、相反するもの同士が共存するからこそ社会である、相反する者同士だからこそ、その不思議な絆が成り立つというところを見せる。 とあるモーテルの一室で、白人教師と黒人女子生徒それぞれが生きる社会が交差する瞬間が映画で描かれたとき、まるでパズルのピースがピタリとはまるように映画が語り尽くされるのを感じた。NICE!!
「絆」という些か甘ったるい言葉を使ったが、実際の二人の関係はそんなに甘くもなければ柔くもない。ある意味では、それぞれの弱みを見せ合い削り合うような、そんな痛みを伴う関係性である。しかしいつしかそれが、手羽立った弱みを滑らかに削り整えていくようにも感じられる。
学校を舞台にしても、よくある学園ドラマがテーマではない。クスリに溺れる男が主人公だが「薬物ダメ、ゼッタイ。」がテーマではない。相反する者同士が存在しうる社会そのものがこの映画の本当のテーマであり、それを肯定する事がこの映画のメッセージなのだと思う。実に強固なメッセージと構成の映画で、とても良かったし、その思いがよく伝わってきた。
白と黒、男と女、大人と子供、富と貧、右と左、民主主義と共産主義・・・。相反する者たちは、頻繁に対立し合うけれど、しかし、相反する者両方が存在しなくては、この社会は成立しないのだということを、「アメリカ」「学校」「薬物」というものを通じて、物語の中で上手く実感させてくれる上質の社会派ドラマだった。
そして何より、10年間日本公開を待ち続け(半ば諦め)ていた作品を映画館で見られて本当に良かった!
キャンディ
歴史や相対理論を教え一見まともに見えるが私生活は乱れコカインにはまり仕事にも支障が出ている教師。他方、家を出てコカインの売人をしている兄を持つ母子家庭の教え子の女の子。
女の子がトイレでドラッグをやっている教師を見つけてしまった後に、互いに互いを心配する、教師と生徒という関係性を超えた奇妙な友情の様な関係が生まれるストーリー。
話しは授業や私生活を淡々とみせる展開で、生徒の女の子側の気持ちや境遇には考えさせられる部分もあるが、教師側は最初から堕落しており同情出来るものがなく惹かれない。
結局最後まで這い上がることもなく何とも感情移入し難い主人公で物語に入り込めなかった。
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