「映画、または映画館が目指すべき地平」ザ・サークル うそつきカモメさんの映画レビュー(感想・評価)
映画、または映画館が目指すべき地平
この映画によって、すごく考えさせられたことがある。
プライバシーとSNSの親和性は、どこまで行っても平行線だろう。肉親が愛し合う姿を見て「うぇっ!」と目を塞ぎたくなるように、内なる可愛らしさを切り取って商品化し、それでビジネスをしているアイドル達にすら、当然見られたくない部分は存在する。
光が当たれば影が出来る。というより隠したい部分に光が当たらないようにする。
映画の出来自体は悪くないと思う。評価がかなり低いが、当たり前すぎて面白みに欠けるからなのか。例えば、中学生の子供に、初めてスマホを持たせるときに「見ておきなさい」と言って与える教科書のような刺激の少なさ。娯楽作品としては、魅力に乏しいということか。
それでもこのキャスティングは見事としか言いようがない。子役時代から常に注目を浴びてきたエマ。彼女はプライバシーについて一家言あるはずだ。同じことはトム・ハンクスにも言える。トムはいい人過ぎる都市伝説がまことしやかに囁かれる。似たような芸達者にロビン・ウィリアムズがいたが、彼が遂げた哀しい最期は、光と影のもたらす副作用だと思う。もちろん事実は定かではない。
極端に短くまとめ上げられている印象だが、編集の結果なのか、おおむね予定通りの「撮れだか」なのか。原作からの改変(おそらく主人公の性癖にエマ・ワトソン陣営が難色を示したのでは?)もあるらしく、主人公に秘すべきプライバシーは無いように描かれている。無いからこそプロジェクトのリーダーに選ばれたとも言えるか。
とにかく、見てよかった。脳に刺激を受けた。映画の目指すべき地平が見えた気がする。
Dolby7.1とか、IMAX3Dなんて、人々が劇場に足を運ぶ理由はやはり「体感」
それともう一つ。
「即時性」
今その時間、そこに行かなきゃ見ることが出来ないもの。
だとするなら、このジャンルの行き着く先にあるのは「フリーデバイス」。携帯端末の持ち込み自由。チャットルームでワイワイしながら大画面を同時に見つめるイベントムービーだろう。すでに『クレイジーリッチ』なんて映画ではネットのうわさが本人の行動を先回りするギャグまで描かれた。『レディ・プレイヤー・ワン』なんか、劇場で見ただけでは膨大な情報を処理しきれない代表格の映画だった。スピルバーグの料理の腕にがっかりした。
サファリランドで園内ガイドのラジオが貸し出されるように、、、美術館で展示品のガイドが流されるように、、、例えばオペレッタの同時通訳とか、映画を見ながら携帯の画面に捕捉の情報が送られてくる時代へ。
この可能性に気づいた人、誰か形にしてくれないかなぁ。
2018.10.12