「こびりついて離れない」STOP 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
こびりついて離れない
世界的に有名な映画監督が韓国からひとりで日本に乗り込んできて、ひとりで映画のプロデュースからリクルートから撮影から演出から編集までをマルチでこなした作品が上映されるとあっては、観ない訳にはいかない。
作品は粗っぽくというか、豪快に作られている。それはそうだろう、時間も予算も限られた状況での撮影だ。しかし役者の台詞の間違いや言い直しなどものともせず、ひたすらに本質に迫ろうとする姿勢がストレートに伝わってくる。東日本大震災による福島原発の被害は本当はどのようであったのか。だから我々も演技や撮影の粗探しをするよりも、作品のテーマの核心を観るようにした方がよい。
原発から5キロ以内に住んでいて、当日被曝してしまった若い夫婦。避難の指示を受けて東京に避難するが、ある男の電話と訪問を受ける。政府関係者の男だ。政府関係者はこの男以外登場せず、この男が政府の姿勢を象徴する存在となっている。男は言う。原発は必要だ、胎児は堕胎しろ、黙って俺の言うことを聞け。
妻はインターネットで見つけたチェルノブイリの奇形児の写真に怯え、堕胎しようとする。夫は自分たちは大丈夫、日本は大丈夫と、正常性バイアスだけを根拠に堕胎に反対する。そして妻を安心させるために福島の立入禁止区域に侵入して写真を撮る。
およそ8か月間と推定される期間に夫は何度も福島に通う。そして夫が最後に見たものが、おそらくこの映画で一番印象に残る映像だ。映画を見終わっても、その映像が頭にこびりついて離れない。
終映後に出演者のアイアレンさんが短い挨拶をし、そのあと質疑応答があった。ある年配の男性が、福島での出来事はこれほどまでひどいとは聞いておらず、作品には少なからず違和感があるというようなことを質問した。それに対しアイアレンさんは、キム・ギドク監督は賛否が分かれるであろう作品に葛藤もあったが、原発を扱った他の映画がソフトな表現に終始しているのに対して、自分は福島という実名を出し、ストレートに表現できることはストレートに表現する、それができるのは自分しかいないと思っていると言っていたと回答していた。
福島を「アンダーコントロール」と言ってのけた暗愚の首相にとっては、いまだに対応に苦しんでいる福島原発の現場など存在しないも同然なのかもしれない。しかし放射能を漏出しつづける福島原発の現場は厳然と存在する。メルトダウンした原子炉には誰も近づけないし、だから本当のところどんな状態なのかは誰も知らない。
もしどこかの病院で奇形児が生まれていたとしても、原子力ムラに取り込まれたマスコミはそれを報道できないだろう。被曝が遺伝子に与える影響は世代を下ると減るのか増えるのかもわからない。被爆した子供たちの次の世代が、奇形児とまでは言わないまでも、何らかの異常を持って生まれてくる可能性はゼロではない。夫が政府関係者の男に啖呵を切ったように、生れてくる自分たちの子供には自分たちが責任を持つと、果して言えるのか。
本当は、原子力は人間が制御できるエネルギーでないと、誰もが感じているのではないか。チェルノブイリ事故を受けて、ドイツはすべての原子力発電所を停止することを決めている。イタリアでは福島事故の3か月後に行なわれた原発再開の国民投票で9割が反対して原発建設ができなくなった。
日本は原発の稼働を再開した。アイアレンさんは最後にこう言っていた。福島からもう6年たったと言う人がいますが、まだ6年しかたっていません、決して過去の出来事ではないのです。