ザ・ディスカバリーのレビュー・感想・評価
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トマス・ハーバー博士(ロバート・レッドフォード)は死後の世界が実...
トマス・ハーバー博士(ロバート・レッドフォード)は死後の世界が実在することを証明したと公表し、世界中に衝撃を与えた。死後の世界で暮らすほうがこの世よりずっと幸せになれるからと、来世に希望を託して自殺する人が急増する。しかし、その実態は何なのか。博士の息子ウィルはその謎に迫り、真相を明らかにしようとする。
ウィルが出会ったアイラとの恋愛を横軸にして、ふたりが何度も過去をさかのぼりながら、死でなく生きることを希求する物語。
トム・クルーズ主演の「オール・ユー・ニード・イズ・キル」という映画が思い出された。
地球を襲撃した宇宙人と戦う特殊部隊の一員として前線へ送られたトム・クルーズは、何度も戦闘で命を落とす。しかし、彼は死んだ後に目を覚ますと、また同じ戦いの瞬間に舞い戻り、何度も繰り返して死を経験する時間の循環に陥る。彼は死んでは生き返って、何度も同じ戦闘を繰り返す学習の結果として、宇宙人を倒す技術を身につけていくという話だ。
ウィルは愛するアイラとその幼い息子を救うことを願い、何度も同じことを繰り返して経験し、やがてその望みを果たすことができるようになる。
そういえば、過去に遡りながら、現実の世界を変えようとする「バック・トゥ・ザ・フューチャー」もあったな。
博士の科学は極楽浄土を示す救済で、STEINS;GATE
死後に別の世界があり、この自意識と記憶が持続するとしたら。よく故人と故人の絆を偲び、「あの世で再会してまた酒を酌み交わしているでしょう」なんて言われますが、そのイメージですね。死後の世界があると証明された時、世界中の人々が次々と自殺を選んでいく。
まず星新一によく似た話があります。それは(星新一いつもの)アルファベット一文字博士がセミナー会場で新たな発明品を披露するシーンで始まりました。電話機のような発明品を見せて、これは死者と会話することができるものです、と言って博士は突然自殺します。どよめく会場のなか、その電話機が鳴り響き、博士の助手だった男がおそるおそる出ると「やあ、話には聞いていたが、死後の世界はこんなところなのか。意外といいところじゃないか…」と博士の声が聞こえてくるわけで。
死後の世界に電話をかけ、喪った親しき人と話をすれば「私もそっちに行く」と行って自殺する人が列をなしていくわけですね。
しかし違うのは、星作品の方は死後の世界が存在して、自意識も記憶も継続して、それを信頼できる人との話によって確信させられる、というところですよね。本作では「行き先がわからなくても、電車が発進したことを証明することはできる」とか行って、証明曖昧すぎます。死後の世界あったとして、現世と同じかより良いものか、わかるわけがない。
ですので、クソだと確定している現世に留まるより、未規定な(もしかしたらさらにクソかも知れないが、よりよい可能性もある)死後の世界とやらに希望を見出だすという人たちが続出したということです。
博士の発表なんて、おそらく誰も、自殺した人たちでさえほとんど真に受けてはいなかった。けれど、藁にもすがる思いで、死後の世界があってもしかしたら現世よりいい場所かも知れないと希望をもった人たち。つまり今のこの世界を、これ以下のない最も苦しい場所だと確信した人たちが100万人以上もいたという映画内の出来事は、現実においてもリアルかも知れません。
発達した科学と魔法はなんとやら。極楽浄土で幸せになる宗教を信じて幸せになる人を羨ましがって、神様より科学(詳しくない一般人からしたらどっちも同じだが)を信じた人たちの心に救済を与えた博士の発表。「これはカルトだ」なんてシーンもありますが、博士に責任なんてないですよ。自殺した人たちにとって、今すぐ脱出せざるを得ない社会を構成してる、私を含めた全ての人の責任ですね。
めっちゃ面白い入りで引き込まれましたが、主人公がオカリンやってる理屈はわかりませんでした。結局STEINS;GATE世界線には行けなかったぽいですけど。
『綺麗な可愛い子が自殺すると悲しい』こんな台詞は何故あるのか?
単なる死生観を哲学的に描こうとした話であるが、宗教的な基盤がキリスト教故に、復活は当たり前。だから、出鱈目なストーリーになってしまっている。仏教的に考えれば、輪廻転生と言うものがある。だから『パラレルワールドが存在して』なんて出鱈目な死生観は今更登場する訳もない。
まぁ、現実的に見れば、この集団はカルトな集団で、この科学者は18世紀末に登場したジョン・ハンターの様なマッドサイエンティストだ。彼はジキル博士とハイド氏のモデルと言われている。
追記 『死後の世界がある』ってどこで証明されたのか?まぁ、どうでも良い事だが。
また『自殺者に敬意を払う』と言った台詞が出て来るが、その意味が理解出来ない。つまり、死んで別の世界に行ったのだから、現実の社会の負担を減らした。故に、敬意を表せ!ってことなのだろうが。そんな出鱈目な話にして良いのだろうか?これではPLAN75と一緒だ。
死なない理由を見つけたい
マトリックスの世界を理解したときになるほど〜と思いかなり合点がいった時のことを思い出しました
幽霊やスーパーアスリートやデジャブはコンピュータのバグとかだと知ったときに今のこの世は現実なのかマトリックスなのか私にはわからなくなったものです
そして今、私の思考はまさにその時と同じような感覚に囚われています
はたして今は何度目なのだろうかと、前回よりも上手く出来ているのかと、何に後悔して何のために繰り返しているのだろうかと
マトリックスの時よりかは混乱していないように思えるのはとてつもなく後悔している事があるのにその記憶を持ったまま今も生きている、それが証のように思えてならないのです
あの時のあの悲しみは数年大引きましたからね
そうそうビル・マレーの『恋はデジャブ』この作品の後に見ると気も晴れるし楽しいかと思いますよ
でわでわ
【他SF作品との比較】「心身一元論」+「マルチユニバース」?
『トゥモロー・ワールド』風の、ブルーな映像と、鬱々しく諦めに満ちたディストピア風の近未来世界。
質の高く有名なキャストを採り入れた。派手さはない。独白的・1人称的。
物語構造は『ミッション:8ミニッツ』+『インセプション』+『13F』に近い。だが肉体を「現実世界」に残したまま、意識だけが精神世界に行くのではない。死ぬと肉体も精神も別の人生へと移行するので、心身二元論的な『ミッション〜』『インセプション』『13F』とは異なる。
また『バタフライ・エフェクト』や『タイムマシン』のような、意識を保持したままの肉体が1つの時間軸を巻き戻して行ったり来たりする作品とも異なる。というのも別の時間軸へと、肉体も精神も移行するように思えるからだ。
心身一元論的・唯心論的であり、マルチユニバース的でもある。
ブルーの映像と静かだが悲惨な作風にとって「死」という要素は不可欠だが、唯心論的立場に立ったからといって、マルチユニバースを死で繋ぐ必然性はない。
鑑賞前は「死後の世界」に気を取られるけれど、振り返ってみると本質は「マルチユニバース」や「観念論VS唯物論」「心身一元論VS二元論」という科学哲学的、SF的問題であるように思う。
が、死後の世界をどう表現するのか?と興味を惹き、鑑賞させることには成功している気がする。
SF映画に新たなパターンがまた1つ追加された?
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