甘き人生のレビュー・感想・評価
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【”良い夢を・・”と囁いて、僕のお母さんは何処かに行ってしまった・・。突然、母を失った喪失感を抱えながら生きる男の人生を30年のイタリアの歴史と共に描き出した作品。】
ー 当時のフライヤーに記載してある言葉。
”巨匠、マルコ・ベロッキオが、ある男の人生を通して激変の時代を描きつくした、イタリア映画
史に残る傑作!”
私はマルコ・ベロッキオ作は、「シチリアーノ 裏切りの美学」しか、観賞した事がないが、一人の男の人生を軸に、近代イタリアの変遷する時代の描き方が似ているなあ、と思った作品である。ー
<Caution 内容に触れています。>
・1969年、トリノ。
9歳のマッシモは、母親に甘え放題の日々。
だが、ある夜から、忽然と母親は彼の前から消える。
神父に聞いても”お母さんは、天使になったんだよ”と、言われるばかり。
ー この年の子供にとって、母親の不在の心的喪失感は、想像のしようもない。ー
・友人のエンリコが、母親に悪態をつく姿が、何故か羨ましい、マッシモ。
ー ミュンヘン五輪の高飛び込みのシーンや、スモーク・オン・ザ・ウォーターが、大音量で流れる。ー
□時は流れ、1990年代。
マッシモ(バレリオ・マスタンドレア)はジャーナリストとして、地位を築いていたが、
”母を失った私は、人を愛することが出来ない・・”と呟く日々。
だが、サラエボに取材に行った際に、パニック発作を起こし、女医エリーザ(ベレニス・ベジョ:アーチストで、一気に脚光を浴びましたね)に助けられる。
・1995年、トリノで久しぶりに父と会うも、母の死についてははぐらかされ、母の指輪を貰う。
・そんな中、マッシモが勤める新聞社に母についての投稿”母は愛しく、憎い”が寄せられる。その投稿に対するマッシモの回答は、情緒的ながらも、自らの経験を基にしたもので、賛否は合ったが、心を打つモノであった。
ー ”母親が居る事は、それだけで幸せな事なのだ!”ー
・マッシモは、女医エリーザの祖父母のパーティに出席し、軽やかに踊るエリーザの姿を見詰めるのであった。
<そして、父の死後、自宅の書棚を整理していくうちに、混乱し、夜中にも関わらず、叔母を呼び出すマッシモ。
”本当の死因は何だったんだ”
と言うマッシモに対し、叔母が書棚の本に挟まっていた新聞記事を取り出し、手渡すシーン。
彼は、きっと漸く喪失感から抜け出し、女医エリーザと親交を深めていくだろう事を願った作品である。>
無駄に長い
『甘き人生』
格式高い映画
深く傷つくこと
さほど面白くないが、抜群のエピソードもある
1999年、イタリア・トリノ。
ジャーナリストのマッシモ(ヴァレリオ・マスタンドレア)は、久方ぶりに実家のアパートメントに戻った。
部屋を売り払うために残された品々を整理するためだ。
整理するうち彼は昔のことを思い出す。
1960年代末、9歳のときに母親が急死したことを。
そして、幼い自分はそのことを受け容れられなかったことを・・・
といったところから始まる物語で、亡き母の思い出とその後の人生が混じりあって描き出されていきます。
画面にはどっしりとした重厚感があり、取り留めないといってもいいほど交差し連なるエピソードを一本の映画にまとめるのは、さすが1939年生まれのベテラン監督らしい手腕。
ですが、映画はあまり面白くない。
主人公が母親の死の真相を探るでもなし(彼は母親の遺品をみただけでパニック発作を起こしてしまうのだから)、年老いた父親との間の確執が描かれるでもなし、知り合った女性との恋愛描写が深いわけでもない。
ただ、主人公がまだ若く、紛争中のボスニア・ヘルツェゴビナに戦場ジャーナリストとして赴いた際のエピソードが興味深い。
民家の裏庭でそこの主婦と思われる女性が射殺され、血を流して倒れている。
離れた一室には、椅子に腰をかけ、黙々とビデオゲームをし続ける少年がいる。
主人公の同僚は、その少年を見つけて、椅子ごと少年を運び、女性の死体の前に座らせ、写真を撮る。
この少年は主人公のメタファーであり、母親の死を受け入れられずに、激変する社会の中で孤独でいることを示しているのだろう。
といいうことで、映画全体は(母親の死の真相も予想がつくし)さほど面白くはないのだけれど、このエピソードだけで評価アップ。
主人公に感情移入できないまま終わる
予告編にある通り、子供の頃に母を失った男の物語だ。母が何故死んだのか、どんな死に方をしたのか不明なまま、男は長じてジャーナリストになり、危険地帯をはじめ世界中を飛び回る。しかし依然として母を失った喪失感は消えない。
話は理解できるが、男の気持ちが理解できない。どうしてそこまで死んだ母親に
こだわるのか?
高圧的な父親に対する反発や世の人々についての猜疑心もあっただろう。それが子供の頃からずっと消えず、素直に人を愛せない人間にしてしまった?
もしこの作品が子供の頃に芽生えた猜疑心がその後の人生を左右したというテーマなら、お金と時間をかけて映画を作る動機としてはあまりにも弱すぎる。かといって、前世紀後半のヨーロッパの社会状況を考えてみても、この映画に結び付くような出来事は思い当たらない。
ということは、トラウマを抱えた人間が自分自身とどのように向き合っていくかという極めて個人的な人生観がテーマである可能性が高い。長い年月をかけて真実に辿り着く、時間軸のロードムービーだ。それにしては主人公の動機が分かりにくく、まったく感情移入できないまま、映画が終わってしまった。
重力と垂直運動
私たちの三次元の世界には重力がある。
エネルギーが加わると物は無情に落下し、停止する。時間と空間を自由に動き回ることは、神にもベルフェゴールにも決してできない。
人の心の動きも、物質における重力の法則と類似しているようだ。
昔の家、思い出の品々、新聞記事の挟まった本がそのままであるように、マッシモの心も9歳のまま留まっている。留まっているどころか、悲しみの淵を知らず知らずのうちに下降している。まさに重力。
パーティでのダンス、女医の存在が、新しいエネルギーとなって、悲しみの淵から押し上げてくれるのかな?…と思いきや、母に抱かれながら入ったかくれんぼの箱は、ブラックホールのように強烈にマッシモを飲み込んで終わる。
決してセンチメンタルでなく、洒落っ気にあふれ、とにかく面白い!!
こんな名作は、監督が、自分の実力と観客の感性を十分に信頼していないと作れないんだろうな。本物中の本物の作品でした。
男はつらいぜ、いい夢を!
夜から朝に変わる時間に母が突然消え、亡くなったと聞かされた9歳のマッシモ。彼は愛する母の死を信じることができない。映画は、マッシモのその後の人生を、少年時代と30年後のジャーナリスト時代とを行ったり来たりしながら描く。中年の男性新聞読者からの、昔は愛していたけど今は殺したいほど憎らしい母親の悩み相談への、マッシモの「クソみたいな」泣かせる回答や、金持ち友達の母親や、恋人の叔母さんの色気と怖さ満点の演技など、濃い見どころ満載。
マッシモは、弔いができていない母の居場所を自分の心の中に見つけることができないのだね。鬼ごっこが終わって、マンマと一緒にいる場所を最後に見つけられたかな?
しかし、マッシモの人生はぜんぜん甘くないね!
@Busan IFF. Some parts are pretty...
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