「【第二次世界大戦末期、極北の地で母に捨てられたと思っていた息子が15年ぶりに再会した母との溝を埋め、悲しき記憶を取り戻しながらも、仄かな明るい未来を感じさせる物語。】」北の桜守 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【第二次世界大戦末期、極北の地で母に捨てられたと思っていた息子が15年ぶりに再会した母との溝を埋め、悲しき記憶を取り戻しながらも、仄かな明るい未来を感じさせる物語。】
ー1945年5月 南樺太で暮らす江蓮家の庭に、本土から種を運んで植えた桜が満開の花を咲かせた。
喜ぶ、夫徳次郎(阿部寛)と二人の幼き息子、セイタロウと修二郎(堺雅人)。けれど、一番喜んだのは、徳次郎の妻てつ(吉永小百合:今作が120本目‼の映画である・・)であった。
が、8月、本土では敗戦の色濃くなる中、極北の地にはソ連が樺太を占領しようと、迫って来ていた。徳次郎は”本土で会おう”と言い、樺太に残り、てつとセイタロウと修二郎は網走へ渡る舟へ乗り込んだ・・。-
・時は、一気に1971年に飛び、修二郎はアメリカ資本の”ミネソタ24”というホットドックチェーンの日本一号店の社長として開店準備に忙しい日々。
ー詳しくは語られないが、彼は戦後、アメリカに渡り苦労しながらも、”ミネソタ24”の日本オーナー(中村雅敏)の娘マリ(篠原涼子)と結婚し、日本に帰国し、札幌で店を開く・・。店長(野間口徹)以下、店員に対しても厳しい指示を出す。当時はそのような時代だったのだろうが、違和感を感じる。-
・開店直後、網走の市役所から修二郎に電話が入る。そして、網走に行った修二郎は15年ぶりに母てつと再会する。母は、かつては繁盛していたみすぼらしいおにぎりやを今でも営んでいた・・。母に捨てられたと思っている修二郎は母に対する態度がぎこちない・・。が、てつの様子がおかしい事に気付く。
ーてつが、鏡に映る自分自身に語り掛ける姿・・。世話をしていた山岡(岸部一徳)から事情を聞く修二郎。彼は母を札幌の自宅に連れ帰る。-
■ここまでで、時折挟み込まれるケラリーノ・サンドロヴィッチが手掛ける舞台劇にやや、違和感を覚えつつ、鑑賞続行。-
・妻のマリは、てつに対しては表面上優しく接するが、不満を夫にぶつける。庭で釜で米を炊き、近所からクレームが出たりしつつも、思った程売れないホットドックの状況を見て、母のおにぎりを店で出すよう指示を出す修二郎。
ー中々に、展開が粗いぞ、滝田監督・・。-
・修二郎は迷惑が掛かるから・・と家を出て、”お礼参りに行く”と言う母に同行する。
ーどんだけ、凄い場所にあるのだ!、お礼をするお社。それに、修二郎さん、開店直後ではないのかい?-
・てつと修二郎は”白滝駅”で、且つて闇米売りをしていたシンジ(佐藤浩市)とイワキ(毎熊克哉)を思い出す。そして、客の居ない居酒屋でお酒を酌み交わす。
・一方、マリは忙しい中居なくなってしまった夫への不満をオーナーであるパパに不満を漏らすが、パパは修二郎に優しい言葉を残す・・。
ー中村雅敏さんだからねえ・・-
■1945年8月22日未明
・てつとセイタロウと修二郎が乗船していた、網走へ渡る船に魚雷が命中し・・。”それまで一切、劇中に出て来なかったセイタロウの姿が初めて映し出される・・”
”あの出来事を思い出した、母てつは・・”
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ーおにぎりが保健所から指摘を受けて、製造中止になったり、山岡がシベリアに送られた15人の中で、唯一生き残った理由が語られたり・・しながらー
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・てつは、雪の舞う寂びれたバス停で再び、鏡に映った自分の姿に話しかけ、雪の舞う中、外に出て、ふらふらと歩いていく。
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■2年後
・修二郎の元へシンジから”てつ”らしき人が見つかったと電話で連絡が入る。母の元へ駆けつけた修二郎に対し、白髪になったてつは
”お帰りなさい、お父さん・・”とにっこりと笑う。
満開の桜の中、二人を見つめる、マリと幼子、シンジ、山岡たち・・
<失われた記憶を追い求める親子の旅の果てには、何があったのか・・。
不思議な舞台劇を合間に挟み込みながら、北方領土から、生き帰った人々の戦後の姿を描き出した作品。>
■蛇足
・滝田洋二郎監督が北の三部作を手掛けると知り、どうするんだろう‥、と思っていたが、イロイロあって劇場鑑賞を見送った作品。
ケラリーノ・サンドロヴィッチの劇中に挟み込まれた舞台劇をどう見るか・・、であろうなあ。
脚本も相当粗かったような気がする作品でもある。