「公開当時はもっと衝撃的な作品だったろうと思う。」合衆国最後の日 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
公開当時はもっと衝撃的な作品だったろうと思う。
1955年(昭和30年)から始まり1975年(昭和50年)まで、20年にもわたってアメリカが介入したベトナム戦争は、東西冷戦という国際政治情勢下にあって、西側資本主義国家の盟主を自認するアメリカ合衆国にとって、メンツにかけても負けることのできない、その意味では「国の威信かけた一戦」であり、ベトナムから共産主義勢力を一掃して西側陣営としての「意地」を共産主義諸国の盟主であった、当時のソビエトに見せつける…はずだったのですけれども。
しかし、蓋(ふた)を開けてみれば、「サイゴン陥落」で西側陣営は完敗、アメリカが膨大な戦費をつぎ込んで開発した高性能戦闘ヘリも、撤退に当たってはまったく使い道がなく、復員兵を収容するスペースを確保するため、みんなで押して搭載艦の甲板から海に投棄したとも聞き及びます。
資本主義国の盟主を自認していた当時のアメリカは、貧弱な兵装のベトコンごときに負ける道理がないと、高をくくっていたという背景があるそうです。優秀・最新鋭のアメリカ軍の兵装も、実際には、ジャングルに土着して戦うベトナム兵のゲリラ戦法には、その威力を十二分には発揮できなかったということなのでしょう。
(その間の事情は、ビューリッツアー賞受賞作家であるデイビッド・ハルバースタムの著書「覇者の驕り」に詳しいと承知しています。また、この戦争でアメリカ市民が受けた痛手の深さについては、別作品『ディア・ハンター』『タクシ・ドライバーー』などにも描かれているところです。)
ベトナム軍のゲリラ戦法にいらだったアメリカ軍は、ジャングル全体に枯れ葉剤を散布してゲリラ兵をあぶり出すという作戦に出ましたけれども。
その結果、その薬害で、いわゆる「ベトちゃん、ドクちゃん」という障害児の悲劇を産み出してしまったことも、また、争うことのできない事実です。
それゆえ、敗戦をなんとか避けようと、戦争の終わり頃は、戦地でもアメリカ国内でも種々の「政治的・軍事的な調整」が行われたことでしょうし、その過程では、とても国民に公表することができないような「裏工作」も(失敗に終わったとはいえ)種々行われたことは、想像に難くありません。
そういうベトナム戦争の「陰の部分」を描こうとするかのような本作は、いわゆる政治サスペンスものとしては、けっして出来の悪い作品でなかったとも思います。評論子的には。
しかし、本作の公開(ベトナム戦争の終戦間近い1977年)の当時はともかく、その後は、東西冷戦の融和(いわゆる米ソのデタント)が進み、共産主義諸国の盟主とされてい
たソ連邦が崩壊し、「共産主義の壮大な社会実験は失敗に終わった」と評される令和の今となってみれば、本作の位置づけは、「東西冷戦下では、こうだった」という歴史的道標としてほどの意味合いに後退してしまったような感を、評論子は、どうしても払拭できないでいました。
その意味では、公開時は、もっともっと、ずっとずっと「衝撃作」であったことは、間違いがなかろうとも思いますけれども。
それでも、あくまでも主観的な印象に過ぎない上記の点を計算から除くとすると、まずまずの佳作であったと評価すべきと、評論子は思います。