ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツのレビュー・感想・評価
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マクドナルドという大成功の話。なのに・・・
この映画が、この時代にこのような描かれ方をするという所に考えさせる部分があった
アメリカを代表する大企業、マクドナルドの誕生から成功までの話である。創業者達はもっと栄光と賞賛を浴びるような描かれかたをされてもおかしくないはずである。昔、アメリカの飽食文明を追求する為に大盛りのマックを食わされ続ける「スーパーサイズミー」というドキュメンタリーがあったけども、あれでさえこの映画よりよほど明るかった。アメリカの心と言って良い大企業の成功譚である。笑いと明るさに包まれた話になるべきだろう
しかし、この映画では全般的に焦燥感に駆られた話が続く。レイの行き急ぐ焦燥感に引っ張られるからだ。笑顔だったマクドナルド兄弟の周辺。レイもそれに習い、笑顔が作れる職場を目指す。しかし、彼の焦燥感が周りから笑顔を奪っていく。この映画は、成功者と言われる人が、何を犠牲にして成功したのか?そして、それは本当の成功なのか?を説いている作品だと思う
そしてこういう描かれ方をされているという事自体が、今のアメリカの成功主義、資本主義に疑問を投げかけているという事だと思う。アメリカに居る大多数の敗者、そしてそれを食い物にしている勝者、しかしその勝者さえも常に焦燥感に追われ、満足行かない人生を過ごす。こういうアメリカの仕組みはどうなんだ、と
前評判とは違ってた
空腹の羊飼い
人と物に忠実な楽曲と、喜劇の様な役者の表情・仕草により、すんなりと作品の中へ入り込める。
また本来の目的であるシェイクのミキサー販売とは真逆に位置する粉シェイクへ走るという末尾への伏線もシンプルで隙がない。
本作の主人公はクロック氏だが、視点はややマクドナルド兄弟側に寄っており、兄弟に牙を剥くきっかけとなる具体的なエピソードが抜けている為、ひとつ紹介させて頂く。
クロック氏がオープンさせたシカゴ店は、本店であるカリフォルニアの様に乾燥した気候では無い為、規定通りにフライドポテトを作ってもカリカリに揚げる事が出来ず、評判が悪かった。
試行錯誤の末、ポテトの入った箱の周りに扇風機を幾つも置き、風を通す事でポテトを乾燥させる事を考案。
何度も兄弟に説得を試みるも、契約書を楯に悉く遇らわれた。
結局、独断で実施し窮地を脱したのだが、その時のシカゴ店は利益配分も合わさり、倒産寸前まで追い込まれていた。
如何に不平等とはいえ自分の意思で契約書に判を押した以上はそれを遵守すべきであるし、家を抵当に入れた為に窮地へ追いやられた事は自業自得と言えるが、兄弟も利益はしっかり頂くのに、現場の意見を真摯に受け止めなかったという落ち度はある。
怪物か、英雄か。
いずれにせよ、鏡にくっきりと写る人生を歩みたいものだ。
決して綺麗事ではない「アメリカンドリーム」
悪い奴だ
ふつう。
双方に愛情をもって描かれる
クォーターパウンダーの復活は?
理念というものはことほど左様に歪んだり失われたりするんだな。
マイケル・キートンという役者が有している「シリアスになればなるほど可笑しみが漂う」という資質が存分に活かされていると感じた。
“ファミリー”を強調し、ビジネスに関しては一貫してマクドナルド兄弟の考えを尊重していた。この辺りまでは共感もできるし好感も抱く。クロックは多くの失敗を乗り越えて必死になって成功を掴もうとしているのだ。しかし結局は金によって変わっていく。当初の理念は失われ自らの家庭を清算しフランチャイズオーナーの妻を奪う。
今となってはマクドナルドのイメージなど地に落ちているわけで、それが誰によってなされたのかがハッキリした。しかし当初のマクドナルドは片田舎で頑固な兄弟によって運営される誠実な企業であったことも事実で、そのことが余計にこの成り行きの意味を考えさせる。
それでも何だかこの作品でのクロックを憎めなくしているのがキートンならではなんだよね。
ビジネスマンなら必見の映画
レイは、マクドナルドのセールスマンだ!
レイの根気と、情熱には感服した。マクドナルド兄弟の画期的な工夫にも。
初めてマクドナルドのハンバーガーを食べたのを、今も覚えている。しっとりして、とても美味しかった。
ピクルスも、初めて食べた。
シェークも、カンタンに吸えないぐらい濃くて、冷たくて、衝撃的だった。
マクドナルドのチェーン化にとって、
必要不可欠なものとは、
品質、サービス、クリーンの高水準での標準化だった。
初期に、クラブで出資者に会ってオーナーになってもらうものの、勝手なメニューとか、掃除もしないゴミだらけの店舗が出来てしまい、失望している。
フランチャイズ化にあたり、
オーナーの人選が、鍵となっている。
ルールを徹底させる事は、掃除ひとつとっても、
かなり難しいのだ!
それが出来る人だけ、オーナーにしないと、失敗してしまう。
そのために、講演などで、ハンバーガーの素晴らしさ、夢をかたり、お金も含め、共感して、成功をつかめる人をオーナー家族として迎え入れる。大学もつくる。
夫婦で、頑張って店をやってるのを、うらやましそうに話している場面がある。
それが原点だろう。夜中に、店の掃除に行っちゃうくらいだから。
だが、それには野心と才能がありすぎたのかな?
マクドナルド兄弟との対立は、悲しいが、
尊敬もしていたと思う。白紙小切手を手に、お見舞いに行くではないか。
なぜ、マクドナルドという店名を兄弟に残せなかったのかな?
もう、そう出来ないほど、大きなビジネスになってしまったのか?
今の、パサパサのハンバーガーを見て、レイや、マクドナルド兄弟は、藤田田は、なんと言うのか?
絶対こんな、マズイに近い味じゃなかった。
やり抜く力
典型的な成功物語
20世紀のアメリカ的な価値観が生まれた背景に驚く
食カルチャー視点、あるいはビジネス視点でも観ることができ、知識欲を刺激する、かなり興味深い作品になっている。
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(2015)でアカデミー賞にノミネートされたマイケル・キートンが主演。キートンが演じるのは、世界的な外食チェーン、"マクドナルド"の創業者レイ・クロック。
実は"マクドナルド"は、マックとディックのマクドナルド兄弟がはじめた、カリフォルニア州のハンバーガーショップだったが、その新しいサービスとコンセプトに魅せられたレイ・クロックが、全米へのフランチャイズ化を兄弟に提案し、自ら展開する。しかしやがてマクドナルド兄弟と全面対決をして、乗っ取ってしまう話だ。
ビジネスマンの視点で観ると、本作は、本来の創業者であるマクドナルド兄弟を出し抜いてトップに登りつめる、印象の悪いサクセスストーリーである。
けれども、例えばレイ・クロックの著書「成功はゴミ箱の中に」は、ソフトバンクグループの孫正義社長の愛読書である。また映画の中でも出てくるレイ・クロックが日常的に聞いていたレコード「積極的考え方の力(Power of Positive Thinking)」は、ノーマン・ヴィンセント・ピールが録音したもの。ノーマンの著書は、今で言うところの自己啓発本の元祖で、トランプ米国大統領が傾倒する人物だったりもする。ビジネスで勝ち続ける男の横顔が見えてくる。
マクドナルド兄弟から、"マクドナルド"という看板を買収することに執念を燃やしたレイ・クロックが、店名はファミリー客にウケる"マクドナルド"という発音でなければならないと語る。これがまた面白い。
それはアメリカ人なら誰でも知っている、「Old MacDonald Had a Farm」(マクドナルドおじさんの農場)という唄に基づいている。"♪ E-I-E-I-O(イーアイ、イーアイ、オー)"で有名な、日本では「楽しい牧場」というタイトルでマクドナルドおじさんではなく"♪ 一郎さんの牧場で~"で知られている。
"一郎さん=マクドナルド"というくらい普遍的な名前である。この親しみある魔法の言葉"マクドナルド"がチェーン店をナンバーワンに押し上げた。
映画の冒頭で、レイ・クロックが初めてのマクドナルドの商品に戸惑うシーンも印象的だ。
"皿"も"フォーク"も"ナイフ"もない。紙で包まれたハンバーガーを手で食べるというスタイルは、当時のアメリカ人にも斬新すぎた。マクドナルド兄弟が発明したメニューは、自動車メーカーのフォードが発明した大量生産のフォード方式を、レストランに発展活用させた"ファストフード"の誕生だったのだ。
共通パーツ(材料)で単一化された商品を大量生産して、一様に全国に拡大していくという20世紀のアメリカ的な価値観、"ファストフード"や"チェーン店"は、日本においてもあらゆる飲食店を淘汰してしまった。日本全国どの駅に降りても、スターバックスをはじめとする同名チェーン店が軒を連ねる。それは"マクドナルド"からはじまった功罪なのである。
21世紀に入って、必ずしもマクドナルド方式が支持されているわけではなくなった。とはいえ、全世界で年15億食を提供するメジャー外食チェーンである。
この実話、いままで映画化されていなかったのが不思議なくらい。20世紀のアメリカ的な価値観を代表する出来事なのだ。
(2017/7/30 /角川シネマ有楽町/ビスタ/字幕:松浦美奈)
成り上がりストーリー
しがない営業マンの根気と執念と裏切りの成り上がりストーリー。
主人公は決して善人ではない。
己の事業欲のために、家族や創業者までをも捨てていく。
やはり田舎もんのお人好しではこれ程の規模拡大は出来なかっただろう。
彼に憧れ、自らも行動に移すのなら相当腹を括らなければならない。
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