三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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是枝監督の最高傑作
群盲象を評する。
彼は、象なのか、カナリアなのか、
はたまた別のものなのかと思って見ていたが、器、でしたか。
「…それは素敵な話ですねぇ」
このセリフの役所さんに刮目!!
人間の普遍的なテーマと
現代日本の社会的テーマ、
名演と映像が絡まり合った傑作でした。
さらにエイナウディの音楽が素晴らしい。
ずっと聴いていたかった。
彼が指摘する通り現代の羅生門であり、
個人的には接見シーンでデッドマンウォーキングを髣髴としました。
死を覚悟しカナリアを自らの手で殺した三隅。娑婆の世界は彼にとって炭坑だったのか。
そして一匹だけ逃したのは、
神を気取る彼の気まぐれか、
それともごく僅かな生への願いか。
まあ前者かな。
映画IQが必要な作品
知識ではなく、映像から何かを読み取る力が必要。
是枝監督らしい絵で見せる作品。
役所広司という中身の詰まった天才が演じる、
阿呆とも勇者ともとれる犯人役。
サイコパスらしい丁寧な物腰が本当にリアルで引き込まれる。
対する福山雅治演じる弁護士役も、
決していい人ではないが悪い人でもなく、人間くさくて引き込まれる。
人は何をもって裁くのか、法廷ドラマとしてはありがちなテーマなのに
ここまで引き込まれるのは、
役者の持つ演技力とそれを引き出した是枝監督の技量によるものだなぁと思う。
やるせない
人のためでなく
ましてや自分のためでもない
正義や悪でもなく
真実はひとつなのにそこになんの意味も持たない
世の中はウソばかり真実すらもウソっぽい
映画やドラマの見過ぎなのかもしれませんが真実は真実 本音と建前的なね
そもそも生まれたことに意味を持たせたいのは人間だから
考える葦だから仕方がない、当然答えがあるわけもない
人と微生物の違いを明確に説明できる人なんて居ないのかも知れないな〜〜
考えさせられる
今作における三隅と重盛の関係は、そのまま作品そのものと観客の関係にあてはめることができるのではないでしょうか。
三隅の供述の同様、二転三転する物語の中で明確な答えは存在せず、あるのはヒントであることを匂わせるシーンの断片のみ。
冒頭のシークエンスで描かれる三隅の犯行でさえ、虚実入り混じる映像の中で確信性が失われていく。
劇中で三隅が放つ言葉のように「真実が何なのか」それ自体が重要ではなく、「信じるかどうか」が重要である。
観客は重盛同様、自分の中の倫理観や経験、「こうあってほしい」という願いの下に、ヒントをつなぎ合わせて自分の中で真実を創り出していく。
真実の持つ虚構性と、その集合である社会の歪な正しさ?みたいなものを文字通り「考えさせられる」作品でした。
(法廷ってのは個人の真実を擦り合わせて、丁度イイ社会の真実に加工する場所なんだな~とか思ってしまった。)
だからこそ、ラストシーンで重盛が導き出した「事件の真実」に少し安心してしまいました。
僕はあれが真実だとは思いませんが、そうあっては欲しい思うし、やっぱりその方が幸せだと思う。
そして、その答えに対する三隅の返答もまた、監督自身が「そうであればいいな」という観客=社会に対する思いそのものなんじゃないかなと。
久しぶりに何度も観直したい。そして色んな人と話をしたい映画でした。
色々考えて最後にスッキリできて面白い!
レビューというか考察を。
三隅はめちゃくちゃ空気を読む人なのでしょう。三隅は他人の感情や考えが流れ込んでくる「器」のような存在だと考えると、この人のつじつまの合わない言動が理解できると考えます。最初の殺人は近隣住人の感情から、二度目の殺人は咲江の感情から、殺人を認めたのは検事、減刑を求めたのは摂津、新たに出てきた事実に対して供述を変えたのは摂津や重盛がそうであろうと考えたから、最後、殺人を否認したのは重盛がそうして欲しいと望んだから、だと考えます。カナリヤを逃がしたり殺したりしたのもカナリヤ自身の感情が流れ込んだから...と考えるのはちょっと強引かもしれませんが。
重盛の手をガラス越し (ガラスではないけれど) に自分の手と重ねたところなどが他人の感情が流れ込んでくる描写に当たると考えます。
また、色々な他人の感情がある中で、三隅はより強い感情に「あてられる」と考えると、はじめはあの女検事の感情、最後は重盛の感情により強く影響を受けたと考えることもできます。
以上のことから、三隅の殺人はほぼ「自分の意志ではない」と考えられます。だから自分の意志で他人の生き死にを判断できる裁判官に憧れたのでしょう。
と、ここまで自分の考えをつらつらと書き並べましたが、様々な謎を提示してと最後にそれらをしっかり解決させてくれる (と考えられる) ところがとても面白い作品だと感じました。
まだ見落としていることがあるように思うのでぜひもう一度見たいです!
雪原の中
役所さんの蜩の記を最近観て、この人の脱力した演技は観る価値あるな~!凄いな~!と思って関心をもっていたところ、この映画にたどり着きました。
まず咲江さんを救う為に、殺人を犯したんだろうと思いました。
そして咲江さんを守る為に殺人を否認して裁判で供述させないようにしたのでしょう。
三隅さんが牢屋の外で鳥が鳴いているのに気づいて、窓から鳥に餌をやろうとしたシ―ンがあります。
その時の三隅さんの様子に、あ~この人は愛に飢えているんだ!愛を、誰か何かに与えたい!愛したいんだ!と強く感じました。
それは、心の琴線に響く、魂の叫びのようでした。
人を殺すことで解決するしかない…自分を殺すことでしか解決するしかない。
そんな生き方を選びたかったわけではないが、そうしか出来なかった人。
咲江さんの為には咲江さんは事実を裁判で供述することが、これからの彼女の人生の為に必要なことだったと思いました。
この映画はそのことも意識させる意図があって作られたんだろうか?
様々な理由の元に事実に蓋をする人々、そして私自身も様々な理由の元に事実に蓋をしてきた経験がある。
咲江さんに供述させて彼女を傷つけたくない、彼女を守りたい、そのためにしたことが三隅さんが選んだ愛なんだろう。
それが悲しい。
劇中で重盛の夢の中での雪原の美しさ、静けさ、そこに現れる人達の無邪気さ、安らぎとともに、劇中では出なかった雪原の中誰かを殺す画が観終わった後心に問いかけてくる。
群盲象を評してたわー
個人的にこういう曖昧模糊とした映画は好き。
ただやはりどうしても好みは分かれると思うし、是枝作品に求めるテイストとは幾分違っているとも思う。
「ゆれる」や「藪の中」を連想した。
主観と客観
自分の眼に映るものと映すもの
みたいなの好きだからこれも良かった。
その曖昧さ、余白こそがこの作品の醍醐味だというのに、そこを以って説明不足とか伏線が回収されてないとか批判するのはお門違いだとは思う。
娘役の子の涙からの、広瀬すずの涙
の流れとか一歩間違えたらあざとくなるところの見せ方は、流石是枝クオリティだと思った。
3度目は、まだ。
暗いけど、良かったです。
題名が、これじゃなかったら、本当のところは
わからないけど、これなら。
個人的解釈として。
二度の殺人はあったという事だから、三隅はヤッてるんだよ。
サキエは、親父に河原でいつも?れてたんだよ。サキエが先か、三隅が先かはわからないが、
2人で、オヤジを殺した。多分、オヤジがサキエ
を河原に呼び出した時を狙って。
2人で殴った証拠を消すために、焼いた。
それを隠すために、自供した。
知ってて、知らないふりしてた、母親にも痛い目を合わせようとして、殺人依頼されたと言った。
だか、サキエが自分を、かばうために供述すると知り、作戦を、変えた。
自分が否認すれば、サキエが供述する意味がなくなる。
重盛も、結局それに乗った。本当に信じたのかどうかは、わからないが。
判決は、死刑。だけども、
結果として、保険金は払われる。
サキエは、供述しないで済む。罪も負わない。
大学にも多分行ける。結果オーライ。
最後、重盛が、頬の血を拭う仕草で、共犯になったのを表現。
サキエと、三隅の愛?に感化され、重盛も娘に素直になれて、謝れた。
3度目は、三隅の死刑宣告。自殺ともとれるし、結果として重盛もそれに加担した。本当に、三隅を信じたのか、とにかく、信じることに決めた。
蛇足
裁判室出る時、三隅はサキエを一度も見ない所に、
その覚悟をみた。
ラストシーンは、十字架で、「止まれ」に挟まれ、動けない?
うーん、そんなに。。。
すごく練られた作品、深い、第三の殺人の意味、など評価高いようだが、理解能力の低い自分にはそこまで響かなかった。
伏線の回収もちゃんとできていないし。
・食品偽装の真相
・足を引きずっているのは生まれつきか上から落ちたのか
・供述がころころ変わるのはなぜ
・メールの真相
・十字架の意味
・アパートで会っていた意味
そのあたりの伏線を回収してから、第三の殺人の意味を描いてほしい。
あと、法廷で勝つことしか考えていないのであれば、もう少し勝ちにこだわる雰囲気を出して、そこから変化していく様子を描いてほしかった。
雪の上のシーン、最後あたりの十字路のシーン、の意味が伝わらないし、カメラアングルがちょいちょいわざとらしく見えて目障りだった。
見た瞬間、これじゃ映画祭で賞は取れないよね、と思ってしまった。
タイトルの意味がわかれば、どっぷりハマる。
役所広司にこういう役をさせると右に出るものはいない。
重苦しい、間接的にものを言う演技はさすがとしか言いようがない。
物語は全体的にくらい作りだが、やはり光の使い方が非常に上手いと感じた。
とくに、終盤になるにつれて明るくなるスクリーンには、福山の、どのようにしても勝ちたいという意識が変わっていく、そんな感情が感じられた。
ストーリーもまた、言うことなし。
題名の意味が分からない方はもう1度見るべき。
結局、どのような真実なのか。
それは実際に法廷に立つ弁護士や検事、裁判官も同じなのではないか。
ストーリーでは、円滑に進めるために様々な話が飛び交うが、それも今の法廷事情や、福山の考えを変えていくストーリーの伏線になっており、非常に練られていて飽きることはない。
実際の弁護士や検事も、同じように真実を知ることなく決断する裁判は多いだろう。
映画を見終わったあと、同じような気持ちになった。
スカッとする映画ではないが、映画を見る前よりも10倍深い内容に、さすが是枝映画と感嘆する限りである。
にしても、広瀬すずの演技はまた更に上手くなったと感じた。怒りでもそうだったが、今回も特に難しい役どころ。ただ単に悲しみを演技するわけではなく、目で感情を訴えてくる彼女の演技には脱帽。
個人的には、イチオシの蒔田彩珠が出ていて嬉しかった。笑
三人目
映画を見終わり、三度目の殺人。というタイトルを考えた。
作中で死ぬのは三人。となると、三人目は死刑になった三隅である。三隅は本当に殺したのか定かでないまま終わってしまったが、二度本当に殺したというのであれば、三隅が三隅を死刑にしたということで三度目の殺人になる。
それか三隅は、重森の心を殺したのか。咲江の未来を殺したのか。重森が、咲江が、三隅を死刑にしたのか。
もしかしたら死ぬべきだと思った人間皆被害者を殺していて、三隅はそれを実行する器に過ぎないのではないだろうか。三度目といっても、三隅だけが苦しめられていた訳ではないのは、あなたも殺したいと思ったことあるでしょ?その人が死んだら、少し嬉しかったりしたら、あなたも殺人と同じじゃない?という事なのかもしれないと背筋がひんやりした。
にしても実行した人間が圧倒的に悪い。
結局分からないが、あの訳のわからない容疑者を演じた役所広司はほんとうに凄かった。私なら怖くて手を合わせるなんて出来ない。すごく不気味だった。
法廷という場所は不気味である。事実を知る場所ではなく、白黒つけるため、ストーリを作る裁判になってしまっているというのは私には気付かなかった事だと思う。
この映画で咲江に感情移入してしまうあたりまだ子どもだなぁと自覚した。私はあそこで三隅と目を合わせたかった。いつも、子どもの知らないうちに大人が覚悟を決めている。
難しかった。
作者が伝えたかった思いと、私が受け取ったものの間に、とても大きな隔たりがあったように思います。
一度見ただけでは、ストンと理解できないのかな。
だけど、もう一度見てちゃんと理解したいとまでは、突き動かされませんでした。
私たちに何か問いかけている映画だということは、強く感じました。
その謎解きを味わうための映画だったように思います。
ただ、それがどんなものなのかを最後まで突き詰めたいと思える映画とは言えませんでした。
なぜなのだろうと、自分なりに考えたのですが、役所広司さん演じる、犯人の動機にあるのかなと思いました。
彼の動機が、我々も考えあぐねるような、ぐうの音も出ない理由だったら、まだ共感的に映画を見ることができたのですが、私には彼の動機が深いものだと感じられませんでした。
むしろ少し美談に仕上げているところは、反感さえ覚えたほどです。
キャスティングについては、お一人おひとりにコメントを書きたいほど、皆さんグレートでした。
「訴訟経済」 初めて聞く言葉でした。
ネックのような気がします。
重い、暗い、脳が疲れた。でも、
面白かった。
タイトルの「3度目」は、三隅自身の贖罪と捉えた。自己犠牲を払うことで咲江を守ったと咀嚼したが、本当に守れたのか否かは疑問符が付くところ。(この疑問符を付けられる処がこの作品が秀逸と感じる理由でもある)
ところで、法曹界はこの映画をどうみるのか?。真実の追求に対して裁判の成果主義の現実は「こんなもの」と同意するのだとしたら・・・。(恐ろしい‼︎。が、この作品を鑑賞したら、そんな気がしてならない。)
主役の二人は流石の出来。(特に役所広司は今年No.1の神演技‼︎)ラストのガラス越しのツーショットにはしびれた‼︎。カメラワーク&演出にも👏。
もう一つ驚いたのは、広瀬すず。こんな演技ができるとは‼️❣️。「すずちゃん」とか軽々しくもう言えない。。。久々に凄い目の演者に出会えた。
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