三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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是枝さん!なにか寂しいっす!
筆者の個人的な話で申し訳ないが、かつて10年以上前筆者は映画の専門学校に通っていた。
はじめフィクション科を受けたが落とされた。
学校側からドキュメンタリー科なら無試験で入学を許すという。
当時ドキュメンタリーには全く興味がなかったが、何事も勉強だと思って入った。
初等科を終えて2年目、ドキュメンタリー制作に興味を覚えたので、高等科に進んだ。
その時の講師が是枝裕和監督だった。
ちょうど『誰も知らない』が上映された頃だったと思う。
もう1人の講師がオウム真理経のドキュメンタリー映画『A』『A2』を制作していた森達也監督だった。
是枝さんは元々はテレビマンユニオンという映像制作会社に所属してドキュメンタリー番組を制作している人だった。(今も所属していると思う。)
是枝さんからコマーシャル制作やフィクション映画制作の裏話を聞いたりもした。
相談も無く勝手に主演を決めてしまう敏腕?プロデューサーもいたりするらしい。
講義中に是枝さんの過去に制作したドキュメンタリー作品を観ても結構寝てしまっていたので、感性があまり合わなかった記憶があるが、シーンの合間に挟むインサートショットに美しい映像があったことなどを覚えている。
「作品さえ面白ければ映像は雑でも構わない」的なことを豪語する森さんとは正反対だった。
(たしかに酷かったので面と向かって森さんに「撮影が下手クソ」と言ったら「自分でもわかっているけど面と向かって言われると傷つくなぁ」と笑っていた。)
是枝さんが仕事の合間に個人で撮り溜めた映像を編集した作品を観た時は、作品制作への真摯な姿勢もうかがうことができた。
ドキュメンタリー的な演出方法を用いた『誰も知らない』は本当に最高の作品だった。
ただその成功が返ってプレッシャーになったのか次作の岡田准一主演の『花よりもなほ』では何か作品から迷いを感じた。
その後配役や内容に興味が持てないなどの理由から是枝さんの作品から遠ざかっていたが『そして父になる』以降は欠かさずに作品を観ている。
その上での個人的な意見となるが、確かに『誰も知らない』よりも近年の作品は格段に映像も演出も洗練されているが、同時に何か物足りなさを感じる。
本作も無駄がない。しかしむしろ寝てしまっても印象に残るような美しいショットは全くなかった。
テレンス・マリックは脚本も用意しない一般受けしない映画を制作し続けているが、映像は驚異的に美しいし、そこには確かな監督自身の息吹を感じる。
もう一人の講師だった森さんも昔より格段に撮影技術は向上しているが、『フェイク』を観て「誰だっていつか死ぬからその前にとがったものをぶつけて死ぬ」ような心意気が相変わらずあるのが知られた。
河瀬直美の監督作品もだいたい河瀬の個性そのものを浴びせられて苦手なのだが、それでもそのパワーを認めざるを得ない。
本作は「日本映画史に残るサスペンス大作の誕生」などと宣伝しているが頓珍漢もはなはだしい。
この作品自体は犯人探しの謎解き映画ではなく、むしろ黒澤明監督作品の『羅生門』的な効果のもと人それぞれの闇や不合理さ、世の中の不条理を表現したものだろう。
2度殺人を犯し役所広司が、自分を死刑にするか、広瀬すずを社会的に殺すかの二重の意味合いで三度目の殺人をかけているが真相は「薮の中」といったところだろうか。
立っているだけで絵にはなるが、芝居自体はそれほどうまくない福山雅治の周りを役所広司はじめ芸達者で固める手腕もさすがだし、普段の広瀬より良い演技も引き出している。
本作のちょうど中ほどに、これから壊れそうな家族を抱える福山、自分のせいで家族を壊した役所、他人によって家族を壊された広瀬の3人が雪の上に大の字に仰向けとなる架空のシーンが描かれる。
また映画最後の接見室のシーンで覚悟を決めて晴れやかな役所広司の背後は後光のようにまぶしい。
照らされた福山の顔には強い光と濃い影が共存している。
そしてガラスを利用して役所の顔に福山の顔を重ねて会話が交わされるが、最後に役所との違いを再認識した福山が後ろに姿勢を戻すことで2人の顔は重ならなくなる。
これらは素晴らしい演出とも見えるが、あざといとも取れる。
人によって評価は違うだろう。
筆者は若手の女優や俳優においてもブレークする一歩手前で放つ輝きに格段の魅力を感じる。
それと同じことなのだろうか?もっとも近年ブレークする若手の俳優たちにその手の輝きは一切感じない。
本作は間違いなく平均点以上の傑作である。が、『誰も知らない』の時のような輝きは感じない。
それを妥協と呼ぶか、大人になった、あるいは洗練されたと呼ぶかは人それぞれだろうが、人生の一時期に教えを受けた者として何か寂しさを感じるのも確かだ。
是枝さんの作品は常に家族というパーソナルな領域を扱っている。原案も監督も脚本も編集も全部一人でこなす。
だからこそより是枝さんらしさを全面に出しても良いのではないか、やはりそう思えてしまう。
真実はひとつじゃない
正義ってどこの視点からなのか?
誰の正義が正解なのか?
役所広司の演じる人は何をしたかったのか?自分を律したかったのか?誰かを守りたかったのか?福山雅治の判断に委ねただけで、自分の言葉がなかった。
見る人がどう思いたいかだけで結果が変わってくるとっても辛い映画だった。
しかも、事実が明かされないまま。。。
是枝監督の最高傑作
映画IQが必要な作品
やるせない
考えさせられる
今作における三隅と重盛の関係は、そのまま作品そのものと観客の関係にあてはめることができるのではないでしょうか。
三隅の供述の同様、二転三転する物語の中で明確な答えは存在せず、あるのはヒントであることを匂わせるシーンの断片のみ。
冒頭のシークエンスで描かれる三隅の犯行でさえ、虚実入り混じる映像の中で確信性が失われていく。
劇中で三隅が放つ言葉のように「真実が何なのか」それ自体が重要ではなく、「信じるかどうか」が重要である。
観客は重盛同様、自分の中の倫理観や経験、「こうあってほしい」という願いの下に、ヒントをつなぎ合わせて自分の中で真実を創り出していく。
真実の持つ虚構性と、その集合である社会の歪な正しさ?みたいなものを文字通り「考えさせられる」作品でした。
(法廷ってのは個人の真実を擦り合わせて、丁度イイ社会の真実に加工する場所なんだな~とか思ってしまった。)
だからこそ、ラストシーンで重盛が導き出した「事件の真実」に少し安心してしまいました。
僕はあれが真実だとは思いませんが、そうあっては欲しい思うし、やっぱりその方が幸せだと思う。
そして、その答えに対する三隅の返答もまた、監督自身が「そうであればいいな」という観客=社会に対する思いそのものなんじゃないかなと。
久しぶりに何度も観直したい。そして色んな人と話をしたい映画でした。
色々考えて最後にスッキリできて面白い!
レビューというか考察を。
三隅はめちゃくちゃ空気を読む人なのでしょう。三隅は他人の感情や考えが流れ込んでくる「器」のような存在だと考えると、この人のつじつまの合わない言動が理解できると考えます。最初の殺人は近隣住人の感情から、二度目の殺人は咲江の感情から、殺人を認めたのは検事、減刑を求めたのは摂津、新たに出てきた事実に対して供述を変えたのは摂津や重盛がそうであろうと考えたから、最後、殺人を否認したのは重盛がそうして欲しいと望んだから、だと考えます。カナリヤを逃がしたり殺したりしたのもカナリヤ自身の感情が流れ込んだから...と考えるのはちょっと強引かもしれませんが。
重盛の手をガラス越し (ガラスではないけれど) に自分の手と重ねたところなどが他人の感情が流れ込んでくる描写に当たると考えます。
また、色々な他人の感情がある中で、三隅はより強い感情に「あてられる」と考えると、はじめはあの女検事の感情、最後は重盛の感情により強く影響を受けたと考えることもできます。
以上のことから、三隅の殺人はほぼ「自分の意志ではない」と考えられます。だから自分の意志で他人の生き死にを判断できる裁判官に憧れたのでしょう。
と、ここまで自分の考えをつらつらと書き並べましたが、様々な謎を提示してと最後にそれらをしっかり解決させてくれる (と考えられる) ところがとても面白い作品だと感じました。
まだ見落としていることがあるように思うのでぜひもう一度見たいです!
雪原の中
役所さんの蜩の記を最近観て、この人の脱力した演技は観る価値あるな~!凄いな~!と思って関心をもっていたところ、この映画にたどり着きました。
まず咲江さんを救う為に、殺人を犯したんだろうと思いました。
そして咲江さんを守る為に殺人を否認して裁判で供述させないようにしたのでしょう。
三隅さんが牢屋の外で鳥が鳴いているのに気づいて、窓から鳥に餌をやろうとしたシ―ンがあります。
その時の三隅さんの様子に、あ~この人は愛に飢えているんだ!愛を、誰か何かに与えたい!愛したいんだ!と強く感じました。
それは、心の琴線に響く、魂の叫びのようでした。
人を殺すことで解決するしかない…自分を殺すことでしか解決するしかない。
そんな生き方を選びたかったわけではないが、そうしか出来なかった人。
咲江さんの為には咲江さんは事実を裁判で供述することが、これからの彼女の人生の為に必要なことだったと思いました。
この映画はそのことも意識させる意図があって作られたんだろうか?
様々な理由の元に事実に蓋をする人々、そして私自身も様々な理由の元に事実に蓋をしてきた経験がある。
咲江さんに供述させて彼女を傷つけたくない、彼女を守りたい、そのためにしたことが三隅さんが選んだ愛なんだろう。
それが悲しい。
劇中で重盛の夢の中での雪原の美しさ、静けさ、そこに現れる人達の無邪気さ、安らぎとともに、劇中では出なかった雪原の中誰かを殺す画が観終わった後心に問いかけてくる。
群盲象を評してたわー
3度目は、まだ。
暗いけど、良かったです。
題名が、これじゃなかったら、本当のところは
わからないけど、これなら。
個人的解釈として。
二度の殺人はあったという事だから、三隅はヤッてるんだよ。
サキエは、親父に河原でいつも?れてたんだよ。サキエが先か、三隅が先かはわからないが、
2人で、オヤジを殺した。多分、オヤジがサキエ
を河原に呼び出した時を狙って。
2人で殴った証拠を消すために、焼いた。
それを隠すために、自供した。
知ってて、知らないふりしてた、母親にも痛い目を合わせようとして、殺人依頼されたと言った。
だか、サキエが自分を、かばうために供述すると知り、作戦を、変えた。
自分が否認すれば、サキエが供述する意味がなくなる。
重盛も、結局それに乗った。本当に信じたのかどうかは、わからないが。
判決は、死刑。だけども、
結果として、保険金は払われる。
サキエは、供述しないで済む。罪も負わない。
大学にも多分行ける。結果オーライ。
最後、重盛が、頬の血を拭う仕草で、共犯になったのを表現。
サキエと、三隅の愛?に感化され、重盛も娘に素直になれて、謝れた。
3度目は、三隅の死刑宣告。自殺ともとれるし、結果として重盛もそれに加担した。本当に、三隅を信じたのか、とにかく、信じることに決めた。
蛇足
裁判室出る時、三隅はサキエを一度も見ない所に、
その覚悟をみた。
ラストシーンは、十字架で、「止まれ」に挟まれ、動けない?
うーん、そんなに。。。
すごく練られた作品、深い、第三の殺人の意味、など評価高いようだが、理解能力の低い自分にはそこまで響かなかった。
伏線の回収もちゃんとできていないし。
・食品偽装の真相
・足を引きずっているのは生まれつきか上から落ちたのか
・供述がころころ変わるのはなぜ
・メールの真相
・十字架の意味
・アパートで会っていた意味
そのあたりの伏線を回収してから、第三の殺人の意味を描いてほしい。
あと、法廷で勝つことしか考えていないのであれば、もう少し勝ちにこだわる雰囲気を出して、そこから変化していく様子を描いてほしかった。
雪の上のシーン、最後あたりの十字路のシーン、の意味が伝わらないし、カメラアングルがちょいちょいわざとらしく見えて目障りだった。
見た瞬間、これじゃ映画祭で賞は取れないよね、と思ってしまった。
タイトルの意味がわかれば、どっぷりハマる。
役所広司にこういう役をさせると右に出るものはいない。
重苦しい、間接的にものを言う演技はさすがとしか言いようがない。
物語は全体的にくらい作りだが、やはり光の使い方が非常に上手いと感じた。
とくに、終盤になるにつれて明るくなるスクリーンには、福山の、どのようにしても勝ちたいという意識が変わっていく、そんな感情が感じられた。
ストーリーもまた、言うことなし。
題名の意味が分からない方はもう1度見るべき。
結局、どのような真実なのか。
それは実際に法廷に立つ弁護士や検事、裁判官も同じなのではないか。
ストーリーでは、円滑に進めるために様々な話が飛び交うが、それも今の法廷事情や、福山の考えを変えていくストーリーの伏線になっており、非常に練られていて飽きることはない。
実際の弁護士や検事も、同じように真実を知ることなく決断する裁判は多いだろう。
映画を見終わったあと、同じような気持ちになった。
スカッとする映画ではないが、映画を見る前よりも10倍深い内容に、さすが是枝映画と感嘆する限りである。
にしても、広瀬すずの演技はまた更に上手くなったと感じた。怒りでもそうだったが、今回も特に難しい役どころ。ただ単に悲しみを演技するわけではなく、目で感情を訴えてくる彼女の演技には脱帽。
個人的には、イチオシの蒔田彩珠が出ていて嬉しかった。笑
三人目
映画を見終わり、三度目の殺人。というタイトルを考えた。
作中で死ぬのは三人。となると、三人目は死刑になった三隅である。三隅は本当に殺したのか定かでないまま終わってしまったが、二度本当に殺したというのであれば、三隅が三隅を死刑にしたということで三度目の殺人になる。
それか三隅は、重森の心を殺したのか。咲江の未来を殺したのか。重森が、咲江が、三隅を死刑にしたのか。
もしかしたら死ぬべきだと思った人間皆被害者を殺していて、三隅はそれを実行する器に過ぎないのではないだろうか。三度目といっても、三隅だけが苦しめられていた訳ではないのは、あなたも殺したいと思ったことあるでしょ?その人が死んだら、少し嬉しかったりしたら、あなたも殺人と同じじゃない?という事なのかもしれないと背筋がひんやりした。
にしても実行した人間が圧倒的に悪い。
結局分からないが、あの訳のわからない容疑者を演じた役所広司はほんとうに凄かった。私なら怖くて手を合わせるなんて出来ない。すごく不気味だった。
法廷という場所は不気味である。事実を知る場所ではなく、白黒つけるため、ストーリを作る裁判になってしまっているというのは私には気付かなかった事だと思う。
この映画で咲江に感情移入してしまうあたりまだ子どもだなぁと自覚した。私はあそこで三隅と目を合わせたかった。いつも、子どもの知らないうちに大人が覚悟を決めている。
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