三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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モヤモヤ感半端ない
観終わったあとに内容を色々と考えちゃう映画。
自分の中で作品の辻褄合わせをしようとする。
そういうのが好きな人にはたまらない映画だと思う。
個人的には問題提起だけで何も問題が回収されないってのはちょっと…。
モヤモヤ感だけが残る。
意味不明な雪遊びのシーンや河原のシーン。
イメージシーンと呼ぶには余りにも曖昧さばかりが目立つ。
意味がないシーンを見せられてもこっちは混乱するだけ。
何がしたいのかわからない。
タイトルもそう。
劇中以前の殺人、そして劇中の殺人。
それだけで物語は終わる。
え?三度目は何処?
三隅が死刑になるから三度目?
けど、三隅が殺さない限り三度目とは言えないよね?
よしんば三隅の死刑を三度目と言いはるなら、ある意味それは自死だから殺人と呼んじゃダメじゃん?
結局私の気分も映画の内容もモヤモヤだけ……。
唯一の救いは役所広司さんの演技。
柄本明さんばりの腹から声を出さず抑揚をつけない台詞回しに脱帽。
台詞、目線の向け方だけで「普通じゃない人」と観客に印象づける演技は素晴らしく鳥肌もの。
役所広司さんじゃなかったら評価は★1だが、役所広司という稀有な役者さんに敬意を評し★3です。
客席で寝てる人も居たが、つまらないとは言わないが観客を選ぶ映画だと思う。
嘘に嘘
ずーっと混乱させられて戸惑っている。それは、観客である私も例外ではなかった。表情と言葉に惑わされている内に、何を信じればいいのか。手からの温度から伝わるものこそが真実なのかもしれない。目に耳に騙されてはいけない。福山雅治と役所広司の会話から、福山一人の独白・自問自答に移り変わっていくようなシーンもある。
真実は自分の中にしかないのかもしれない。
ひとの裁きには限界が…。
福山さんと役所さんの凄みのある演技に圧倒される。
ストーリーは他の方のレビューにあるように謎の多いもの。ただ単純に考えると三隅とサキエの共犯。三隅は、サキエをかばい単独犯として罪を受けようとしている。
スローテンポで進行するが、時間を感じさせない。124分もあっただろうか。
ひとの裁きには限界がある。
そのことを再認識させられる。
主人公とその娘のエピソードから思うこと
観終わった後に引っかかった点は主人公(重盛)とその娘のエピソードでした。
万引きをした娘を引き取りに行く描写を入れて仕事が忙しい上にプライベートでも問題を抱えている重盛の人物描写をしているのだと思いました。
それで娘の出番は終了だと思っていたのです。
ところが、裁判も大詰めを迎えている最中に娘が重盛に何か問題を起こしそうなことを予感させる電話をかけて来たのです。
それを観ながら「ああ、ここでその話を入れると本筋じゃないしブレるな。いやだな」と思ったのです。
娘の話はどう決着付けるのかを気にしながら観ざるを得なくなったのですが、それ以降娘の出番はなく映画が終わってしまったので、あれ?と思ったのです。
なぜ、終盤の大事なところで回収しないエピソードを挟み込んだのか?あの描写は無駄じゃなかったのか?と。
映画自体は犯人(三隅)は本当に殺人を犯したのか?とか、裁判とは真実をはっきりさせる場ではないという、結論を観る側に委ねるモヤモヤした結末になっています。
でも自分的には一番残ったモヤモヤは前述の描写だったので初めから整理をすることにしました。
映画の題名は「三度目の殺人」なので3回人が殺されています。(1回目は北海道の金融業者、2回目は工場の社長、3回目は三隅自身)
そして三隅を示すものとして「器」と「人の気持ちが読める」ことがキーワードとして出ており、三隅は他人の気持ちが読めすぎ且つ、感情の器であるため犯罪を重ねていたのではないかと思いました。
1回目の殺人は金融業者の被害者の恨みに影響された結果であり、2回目は社長の娘(咲江)の虐待を恨んだ気持ちに影響された結果。
では、3回目は誰の影響を受けたのか?
三隅は裁判の途中で犯行理由を再三変えています。
当初は強盗殺人ではなく恨みを持っていたことによる犯行と弁護士の意見に沿った供述をしていました。
次は社長の妻の保険金殺人のために指示されたとする雑誌記者の意見に近くなり、最後は咲江の虐待被害を理由にすれば、裁判に勝てると考えた重盛の意見。
いずれにしてもそれらの理由であれば裁判は死刑ではなく無期懲役が勝ち取れるはず。
なのに土壇場で三隅が犯行そのものを否定したことで死刑判決が下されます。
つまり3回目の殺人は三隅自身の考えで自分を殺したという結論になるのか?
と、ここまで来て引っかかっていた重盛と娘のエピソードを思い出しました。
娘は重盛と三隅の接見の直前に電話をかけてきていました。三隅が重盛に問いかけます「あなたの本当の気持ちは何か?」何度も何度も。
その時、重盛は高校生くらいの女の子がつらい思いをしてほしくないという気持ちになっていて、その気持ちが三隅に影響を与えたとしたら?ガラス反射で2人の顔が重なり合う描写はそれを表していたのでは?
裁判では情状酌量を求めるためには、咲江が裁判の場で虐待被害を自分で説明する必要がありました。
重盛の「咲江につらい思いをさせたくない」という気持ちに影響されたことで三隅は、それを回避する行動に出たのでは?
そう考えれば重盛と娘のエピソードは無駄な描写ではなかった、むしろ非常に重要なものだったと思えました。
映画の中で殺人現場やカナリアの墓に十字架が印象的に使われていました。
他者の命を奪うことへの贖罪か後悔という「十字架を背負う」という暗喩でしょう。
最後のシーンは重盛が空を見上げたカットで終わりますが、その立っている場所は十字路の真ん中でした。
3回目の殺人は重盛自身も十字架を背負っていると言っているように思えました。
数学と国語
数学が好きな人は低評価で、国語が好きな人には高評価だと思う。
是枝監督の映画へのひたむきな姿勢がすき。
2年に一度ほどしか作品を作らないけど、毎月のように何らかの作品が公開される他の監督にはない丁寧さと観客への愛情が、是枝監督の作品にはあると思う。
重盛が十字路で立ち尽くし、エンドロールが流れた瞬間、私が思ったことは、
あ、、、ずるい。
こんな風に終わるなんてずるいよ。
何も明かされないまま、もやもやしたまま終わるなんて…。
けど、そうおもった時点でたぶん、既に監督の思惑どおり。
答えがほしい。
答えがほしい。
私理系だから、耐えられない笑
何が嘘で何が真実か
全然スッキリする終わり方じゃない。問題提起はするけど解決は示さない映画。正解とか不正解とか、正義とか悪とかきっちりわけられるものの方が世の中少ないんだろうな。この社会の理不尽さ、司法の嘘、人間の悪、家族の闇、色々盛り込まれてて、まだ消化しきれてないことが多く、良い意味で後味の悪い映画でした。
というか、人間の抽象的な心理状態を抽象的な状態そのままにしてよく映画という形に昇華できるな~!と感服。でも、心理サスペンス映画では絶対に無いですよ。
真実
この映画を観て、最後まで真実はわからない、それが現実なのだと思いました。しかし判決は下されます。誰が人を本当に裁くことができるのか?何の為に裁くのか?本当の悪はなんなのか?そんなことを鑑賞中には考えさせられます。
観終わったあとの後味は決して良くはありませんが、私は私なりの真実を見つけ、自分なりに答えを出しました。
三度目の被害者は
若干期待しすぎたと思ったが、それでも十分楽しめた。
会うたびに証言が変わる被告人、ある秘密を抱えていた被害者とその娘。そして三度目の殺人の被害者は...、といった内容。
おそらく誰も予想出来ないような、そんな衝撃の結末へと向かっていく。
物語は始まりから終わりまでずーっと重たいし、暗い。そして結末以外で盛り上がるところや驚くようなシーンはないと思う。もっと観客を驚かせるようなシーンがあればよかったし、さらに複雑なストーリーにすればもっといい作品になったのではないかと感じた。
観客を置き去りに
福山雅治さんと役所広司さんは、期待通り凄みのある好演。広瀬すずさんも、凛とした存在感でした。けど全編に渡る会話劇はサスペンスでもスリラーでもなく、淡々と。拘置所でのカット割りもワンパターンで、退屈が続く。舞台なら面白いのかな。けどこれ、WOWWOWでいいやつだ。伏線回収に期待したけど、ラストも見事に投げっぱなし。すみません後から知ったのですが、いつも観客を置き去りにする苦手な監督さんでした。
う~~んッ
福山さんはカッコ良かった。
役所さんの演技も良かった。
……監督さんの映画が合わないのか?
落ちがわかってる映画は長い。
人間模様や背景がすごく描かれてて…
おバカな自分には理解するのに時間がかかる。
一緒に行った20才の娘は寝てた。
となりのおばちゃんも寝てた。笑
人を裁くとはどういうことなのか
これは法廷ミステリー/サスペンスの体裁はとっているが、その実は寓話なんだろう。
高利貸しの殺人も咲江の父親の殺人も犯人は三隅で疑う余地はない。重要なのはなぜ殺したのか。
そこでキーワードとなるのが「器」「裁き」「生まれてこないほうがよい人間がいる」ということ。
三隅は器であり、三隅自身に意思はない。三隅は人の心を読み取る力があり、読み取ったその人の意思に従い行動する。
一度目の殺人はおそらくは高利貸しの被害者の誰かの意思に従ったもの。二度目は咲江の意思に従ったもの。つまり父親を「生まれてこなかったほうがよかった」と裁いたのは咲江であり、三隅はその裁きを実行しただけである。
では三度目は? もちろん三度目は三隅の死刑を指す。三隅が死刑になったのは犯行の認否を翻したからである。それはなぜか。もちろん三隅が咲江を守ろうとしたからではない。なぜなら三隅は器に過ぎないから。それでは誰の意思か。それは重盛に他ならない。重盛と三隅の最後の面会の場面で両者が重なり合う描写がされていることがそれを示している。
ここで重盛と娘のエピソードが重要になってくる。
重盛は娘に困ったときは必ず助けると約束した。咲江と娘を重ねたのは三隅ではなく重盛だった。重盛は、三隅が犯行を否定し死刑になることで咲江が証言をしないでよいようにすることを望んだ。重盛が三隅に語ったことはすべて重盛自身の考えだった。三隅はその意思に従っただけだ。三番目の殺人は重盛の意思によって行われたのだ。
ラストシーンで重森は交差点の真ん中にいる。十字は「裁き」の象徴である。これは重盛が「裁き」を行ったことを示すものだろう。
このように三隅は全くリアリティのある存在ではない。法廷ミステリーではなく寓話だといったのはそういう意味だ。
本当のテーマは人が人を裁くのはどういうことなのかということではないだろうか。
法廷サスペンスとは異なり、本作では裁判を徹底的に事務的に描く。検事も裁判官も人の生き死にを扱うにあたっても極めて事務的に対応する。法廷では「だれも本当のことを言わない。」という咲江自身も本当のこと(父親を憎んでいたこと、暴行されていたこと、三隅と親しかったこと)を言わない。
法廷は茶番である。じゃあ三隅は?
被害者の裁きに従いただ実行しただけだ。どこが違うのか?むしろこちらのほうが内心に忠実であり真実に近いのではないか。
解釈はいろいろあるだろうが本作が素晴らしい作品であることは間違いない。特に役所と広瀬の演技は素晴らしかった。(平日とはいえ観客が少なかったのは残念だった)
あえて言えばもう少しわかりやすく作ってもよかったのではないだろうか。ミステリアスにしなくても十分な題材だと思う。
他人の意見が気になってしょうがない
とにかく全編を通して、重くて暗い。かつての邦画を思い出させる映画だなと感じました。
答えがなくてもやもやしながら、だめだ、この映画は、面白くないと切り捨ててはみたものの、一緒に行った友達にどう思った?と興味シンシンに意見を聞き、家に帰ってからはレビューを一通り読みあさる。他人はどう理解したんだろう?どう消化したんだろう?高評価なんだろうか?低評価?
人の意見が気になって気になってしょうがない映画でした。
是枝さん!なにか寂しいっす!
筆者の個人的な話で申し訳ないが、かつて10年以上前筆者は映画の専門学校に通っていた。
はじめフィクション科を受けたが落とされた。
学校側からドキュメンタリー科なら無試験で入学を許すという。
当時ドキュメンタリーには全く興味がなかったが、何事も勉強だと思って入った。
初等科を終えて2年目、ドキュメンタリー制作に興味を覚えたので、高等科に進んだ。
その時の講師が是枝裕和監督だった。
ちょうど『誰も知らない』が上映された頃だったと思う。
もう1人の講師がオウム真理経のドキュメンタリー映画『A』『A2』を制作していた森達也監督だった。
是枝さんは元々はテレビマンユニオンという映像制作会社に所属してドキュメンタリー番組を制作している人だった。(今も所属していると思う。)
是枝さんからコマーシャル制作やフィクション映画制作の裏話を聞いたりもした。
相談も無く勝手に主演を決めてしまう敏腕?プロデューサーもいたりするらしい。
講義中に是枝さんの過去に制作したドキュメンタリー作品を観ても結構寝てしまっていたので、感性があまり合わなかった記憶があるが、シーンの合間に挟むインサートショットに美しい映像があったことなどを覚えている。
「作品さえ面白ければ映像は雑でも構わない」的なことを豪語する森さんとは正反対だった。
(たしかに酷かったので面と向かって森さんに「撮影が下手クソ」と言ったら「自分でもわかっているけど面と向かって言われると傷つくなぁ」と笑っていた。)
是枝さんが仕事の合間に個人で撮り溜めた映像を編集した作品を観た時は、作品制作への真摯な姿勢もうかがうことができた。
ドキュメンタリー的な演出方法を用いた『誰も知らない』は本当に最高の作品だった。
ただその成功が返ってプレッシャーになったのか次作の岡田准一主演の『花よりもなほ』では何か作品から迷いを感じた。
その後配役や内容に興味が持てないなどの理由から是枝さんの作品から遠ざかっていたが『そして父になる』以降は欠かさずに作品を観ている。
その上での個人的な意見となるが、確かに『誰も知らない』よりも近年の作品は格段に映像も演出も洗練されているが、同時に何か物足りなさを感じる。
本作も無駄がない。しかしむしろ寝てしまっても印象に残るような美しいショットは全くなかった。
テレンス・マリックは脚本も用意しない一般受けしない映画を制作し続けているが、映像は驚異的に美しいし、そこには確かな監督自身の息吹を感じる。
もう一人の講師だった森さんも昔より格段に撮影技術は向上しているが、『フェイク』を観て「誰だっていつか死ぬからその前にとがったものをぶつけて死ぬ」ような心意気が相変わらずあるのが知られた。
河瀬直美の監督作品もだいたい河瀬の個性そのものを浴びせられて苦手なのだが、それでもそのパワーを認めざるを得ない。
本作は「日本映画史に残るサスペンス大作の誕生」などと宣伝しているが頓珍漢もはなはだしい。
この作品自体は犯人探しの謎解き映画ではなく、むしろ黒澤明監督作品の『羅生門』的な効果のもと人それぞれの闇や不合理さ、世の中の不条理を表現したものだろう。
2度殺人を犯し役所広司が、自分を死刑にするか、広瀬すずを社会的に殺すかの二重の意味合いで三度目の殺人をかけているが真相は「薮の中」といったところだろうか。
立っているだけで絵にはなるが、芝居自体はそれほどうまくない福山雅治の周りを役所広司はじめ芸達者で固める手腕もさすがだし、普段の広瀬より良い演技も引き出している。
本作のちょうど中ほどに、これから壊れそうな家族を抱える福山、自分のせいで家族を壊した役所、他人によって家族を壊された広瀬の3人が雪の上に大の字に仰向けとなる架空のシーンが描かれる。
また映画最後の接見室のシーンで覚悟を決めて晴れやかな役所広司の背後は後光のようにまぶしい。
照らされた福山の顔には強い光と濃い影が共存している。
そしてガラスを利用して役所の顔に福山の顔を重ねて会話が交わされるが、最後に役所との違いを再認識した福山が後ろに姿勢を戻すことで2人の顔は重ならなくなる。
これらは素晴らしい演出とも見えるが、あざといとも取れる。
人によって評価は違うだろう。
筆者は若手の女優や俳優においてもブレークする一歩手前で放つ輝きに格段の魅力を感じる。
それと同じことなのだろうか?もっとも近年ブレークする若手の俳優たちにその手の輝きは一切感じない。
本作は間違いなく平均点以上の傑作である。が、『誰も知らない』の時のような輝きは感じない。
それを妥協と呼ぶか、大人になった、あるいは洗練されたと呼ぶかは人それぞれだろうが、人生の一時期に教えを受けた者として何か寂しさを感じるのも確かだ。
是枝さんの作品は常に家族というパーソナルな領域を扱っている。原案も監督も脚本も編集も全部一人でこなす。
だからこそより是枝さんらしさを全面に出しても良いのではないか、やはりそう思えてしまう。
真実はひとつじゃない
正義ってどこの視点からなのか?
誰の正義が正解なのか?
役所広司の演じる人は何をしたかったのか?自分を律したかったのか?誰かを守りたかったのか?福山雅治の判断に委ねただけで、自分の言葉がなかった。
見る人がどう思いたいかだけで結果が変わってくるとっても辛い映画だった。
しかも、事実が明かされないまま。。。
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