三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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是枝作品
「そして父になる」「海よりもまだ深く」は、テーマが受け入れられなくて映画館に行かず、CS放送も途中止め。是枝さんとは感覚が合わないかな~って思ったけど、今回は最後までいけた(笑)
いろいろ散りばめてあって、「ヒントは残した、後はご自由に」てな感じかなぁ。三隅は考えてではなく、受け入れて言動するということか?だから「器」?意図的ではなく、しかし巧妙に第3の殺人へと導く。
でも、要因が近親相姦てのは、なんか嫌だったな。娘をもつ父としては受け入れられない。も少し、納得させる背景など加えてほしかった。
彼女はウソつきとは思えないけど、結局のところ、落ちたのか、生まれつきなのか、分かんなかった。
ラストシーン、そこで感動を!(容疑者Xみたいな…)、もしくは「あぁ、そうだったのか!」みたいなのがいいです。
でも、頭を使ったし、十分楽しめました。
結果、何も進まない
2時間では足りないのか、わからないことが多い。
ルドヴィコ・エイナウディの音楽に絵が負けている。
音の深みがあるだけに、映像の薄さが露見してしまった。
旦那を殺されたばかりの奥さんが、なぜあんなに着飾れるのか?
それだけ非情な奥さんなら納得がいくが、それもなし。
なぜ父親が殺されて当然な人間だというのをやめたのか?それもわからない。
器としての空っぽさを表すために、作品までも空っぽになる必要はあるのか?
カナリアを一匹逃した理由は?
裁かれるべき人間は誰か?十字架ではなく選択する道によってかわるといいたかったのか?最後の十字路や電線は意味を持たせる意味はあったのか?
正直、つまらなかった。
考えても考えても
モヤモヤ感半端ない
観終わったあとに内容を色々と考えちゃう映画。
自分の中で作品の辻褄合わせをしようとする。
そういうのが好きな人にはたまらない映画だと思う。
個人的には問題提起だけで何も問題が回収されないってのはちょっと…。
モヤモヤ感だけが残る。
意味不明な雪遊びのシーンや河原のシーン。
イメージシーンと呼ぶには余りにも曖昧さばかりが目立つ。
意味がないシーンを見せられてもこっちは混乱するだけ。
何がしたいのかわからない。
タイトルもそう。
劇中以前の殺人、そして劇中の殺人。
それだけで物語は終わる。
え?三度目は何処?
三隅が死刑になるから三度目?
けど、三隅が殺さない限り三度目とは言えないよね?
よしんば三隅の死刑を三度目と言いはるなら、ある意味それは自死だから殺人と呼んじゃダメじゃん?
結局私の気分も映画の内容もモヤモヤだけ……。
唯一の救いは役所広司さんの演技。
柄本明さんばりの腹から声を出さず抑揚をつけない台詞回しに脱帽。
台詞、目線の向け方だけで「普通じゃない人」と観客に印象づける演技は素晴らしく鳥肌もの。
役所広司さんじゃなかったら評価は★1だが、役所広司という稀有な役者さんに敬意を評し★3です。
客席で寝てる人も居たが、つまらないとは言わないが観客を選ぶ映画だと思う。
嘘に嘘
ずーっと混乱させられて戸惑っている。それは、観客である私も例外ではなかった。表情と言葉に惑わされている内に、何を信じればいいのか。手からの温度から伝わるものこそが真実なのかもしれない。目に耳に騙されてはいけない。福山雅治と役所広司の会話から、福山一人の独白・自問自答に移り変わっていくようなシーンもある。
真実は自分の中にしかないのかもしれない。
ひとの裁きには限界が…。
福山さんと役所さんの凄みのある演技に圧倒される。
ストーリーは他の方のレビューにあるように謎の多いもの。ただ単純に考えると三隅とサキエの共犯。三隅は、サキエをかばい単独犯として罪を受けようとしている。
スローテンポで進行するが、時間を感じさせない。124分もあっただろうか。
ひとの裁きには限界がある。
そのことを再認識させられる。
主人公とその娘のエピソードから思うこと
観終わった後に引っかかった点は主人公(重盛)とその娘のエピソードでした。
万引きをした娘を引き取りに行く描写を入れて仕事が忙しい上にプライベートでも問題を抱えている重盛の人物描写をしているのだと思いました。
それで娘の出番は終了だと思っていたのです。
ところが、裁判も大詰めを迎えている最中に娘が重盛に何か問題を起こしそうなことを予感させる電話をかけて来たのです。
それを観ながら「ああ、ここでその話を入れると本筋じゃないしブレるな。いやだな」と思ったのです。
娘の話はどう決着付けるのかを気にしながら観ざるを得なくなったのですが、それ以降娘の出番はなく映画が終わってしまったので、あれ?と思ったのです。
なぜ、終盤の大事なところで回収しないエピソードを挟み込んだのか?あの描写は無駄じゃなかったのか?と。
映画自体は犯人(三隅)は本当に殺人を犯したのか?とか、裁判とは真実をはっきりさせる場ではないという、結論を観る側に委ねるモヤモヤした結末になっています。
でも自分的には一番残ったモヤモヤは前述の描写だったので初めから整理をすることにしました。
映画の題名は「三度目の殺人」なので3回人が殺されています。(1回目は北海道の金融業者、2回目は工場の社長、3回目は三隅自身)
そして三隅を示すものとして「器」と「人の気持ちが読める」ことがキーワードとして出ており、三隅は他人の気持ちが読めすぎ且つ、感情の器であるため犯罪を重ねていたのではないかと思いました。
1回目の殺人は金融業者の被害者の恨みに影響された結果であり、2回目は社長の娘(咲江)の虐待を恨んだ気持ちに影響された結果。
では、3回目は誰の影響を受けたのか?
三隅は裁判の途中で犯行理由を再三変えています。
当初は強盗殺人ではなく恨みを持っていたことによる犯行と弁護士の意見に沿った供述をしていました。
次は社長の妻の保険金殺人のために指示されたとする雑誌記者の意見に近くなり、最後は咲江の虐待被害を理由にすれば、裁判に勝てると考えた重盛の意見。
いずれにしてもそれらの理由であれば裁判は死刑ではなく無期懲役が勝ち取れるはず。
なのに土壇場で三隅が犯行そのものを否定したことで死刑判決が下されます。
つまり3回目の殺人は三隅自身の考えで自分を殺したという結論になるのか?
と、ここまで来て引っかかっていた重盛と娘のエピソードを思い出しました。
娘は重盛と三隅の接見の直前に電話をかけてきていました。三隅が重盛に問いかけます「あなたの本当の気持ちは何か?」何度も何度も。
その時、重盛は高校生くらいの女の子がつらい思いをしてほしくないという気持ちになっていて、その気持ちが三隅に影響を与えたとしたら?ガラス反射で2人の顔が重なり合う描写はそれを表していたのでは?
裁判では情状酌量を求めるためには、咲江が裁判の場で虐待被害を自分で説明する必要がありました。
重盛の「咲江につらい思いをさせたくない」という気持ちに影響されたことで三隅は、それを回避する行動に出たのでは?
そう考えれば重盛と娘のエピソードは無駄な描写ではなかった、むしろ非常に重要なものだったと思えました。
映画の中で殺人現場やカナリアの墓に十字架が印象的に使われていました。
他者の命を奪うことへの贖罪か後悔という「十字架を背負う」という暗喩でしょう。
最後のシーンは重盛が空を見上げたカットで終わりますが、その立っている場所は十字路の真ん中でした。
3回目の殺人は重盛自身も十字架を背負っていると言っているように思えました。
数学と国語
何が嘘で何が真実か
真実
三度目の被害者は
観客を置き去りに
う~~んッ
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