劇場公開日 2017年9月9日

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三度目の殺人のレビュー・感想・評価

全495件中、301~320件目を表示

5.0素晴らしい!

2017年9月22日
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泣ける

正直あの役所さん、と福山さんのラストの戦いに涙しました。タイトルの三度目の殺人の意味は役所さんは自らを処刑したかったのだと僕は理解してます。それと広瀬すずちゃんの演技に脱帽しました。この作品最近では珍しい日本映画です。

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ラメッシュ

1.0うーむ

2017年9月22日
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タイトル弁護士にしろよw
ってぐらい弁護士の話しが多い。
だけどタイトルが弁護士だったら
すげぇセンスねぇなwwww
期待してたぶんガッカリ

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キースへリング

3.5役所広司の演技がすごい…

2017年9月22日
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役所広司の演技が凄すぎて、心の底からゾッとするほど恐かった。
三隅は本当はどういう人物なのか… 接見場面での言動一つひとつに揺るがされていく。福山雅治演じる重盛も同じように翻弄されていくのが分かって面白かった。役所広司、やっぱり上手い!

最後まで分からないのがモヤモヤする訳ではなく、程よい余韻になっていて良い感じ。こういうラストはたぶん日本人にしか理解できない感覚…たしかに。

司法の現場のリアルな感じにもうんざりしてしまう位。撮り方、引き込まれる演出も良かった!

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ミャミャミー

5.0面白い映画ではなく見るべき映画

2017年9月22日
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と言いたい。すずちゃんの最後のセリフはしびれます。題名も考えると深い。役所広司さんの演技もいい。品川なんとかさんもいい。みんなうまい。でも脚本、監督の是枝裕和を好きになった。なんか賞とるな。

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ゾイ

5.01秒も目が離せない

2017年9月21日
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そら

3.5映画作家としての思い

2017年9月21日
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悲しい

知的

是枝監督の映画作家としての思いの詰まった作品だったのではないでしょうか?
近年の映画産業はコミックの無理な実写化ばかりでウンザリする中、この映画の様にオリジナリティに溢れた映画は好感が持てます。
犯罪劇とは言え、ミステリーとしての要素は少なく、邦画独特の湿り気と淡々とした展開に退屈される方も多いと思いますが、刑務所での弁護士と被告人の接見シーンは主演二人の力演でなかなか見応えのあるものになっていたと思います。特に福山雅治にとっては、二枚目から大人の俳優としてのステップアップになったのではないでしょうか?(くれぐれも、いつまでもイイ男しか演じられないk.tの様にならないように。)
ドラマは一応の解決を見せるが、真実はあやふやなままで余韻を残してくれます。

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Masaya

5.0十字架と神の器

2017年9月21日
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この映画には十字架のモチーフしつこいくらい登場する。

この映画の登場人物もそうですが人間は自己中心的に生きています。その人の本能とまったく逆の行動をとったのがイエス・キリストでした。イエスは人のために仕えるため、人の罪のための贖いの代価として十字架上で死んだのです。 今これを書いている僕や読んでいるあなたの罪のために死んだということです。十字架はやはり気になる。

「個人的な怨恨は感じられず、空っぽの器のようだった」と最初の事件を担当した刑事が役所広司を評していう言葉。「空っぽの器にすぎない」という役所広司の最後の台詞も気になりました。

登場人物がみな嘘つきで誰が真犯人なのかよくわかりませんでした。接見室で仕事人間の福山雅治が役所広司に翻弄され、やがて取り込まれていくのを非常に面白い映像で表現がされていて面白く見ました。

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劇場の天使2

1.0つまらない

2017年9月21日
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今年観た映画の中でワースト1位です。
つまらない

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家路

4.5司法とは何を守るためのものなのか

2017年9月21日
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とえ

4.0生きているだけで人を傷つけるの意味

2017年9月21日
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生きているだけで人を傷つける存在、という言葉が気になりました。
そこまで自身の生に否定的なのは、自分が生まれてはいけなかった存在、不貞の末の生、近親相姦からの生が想像できる。そうした生の真実を知ってしまった存在は生まれながらの罪を感じながら生きざるをえなかっただろう。もしかしたら、実際のところ理由がわからない最初の殺人もそこにつながっているのかもしれないと思った。
そこから今回の殺人の真実を探ろうと思うと多方向からの情報が絡み合ってひとつだけではない真実がみえてくる。
三隅から葉書を受けとるほど信頼されている重盛父裁判官のあえてつきはなしたような言葉や態度の理由、結局会えなかった三隅の娘、社長が娘を犯す、娘が夫に犯されているのを見ぬふりする母親。レイプ犯罪を言わせない弁護士。真実を求めない法廷。
頬の血をぬぐう三隅と咲江、頬の涙をぬぐう重盛はラストシーンの十字路で立ちすくむ。
三度目の殺人を犯したのは誰か?殺されたのは誰か?
作り手、観てる者それぞれが考える、そんな映画でした。観た側の考えに任せるというちょっと作り手の傲慢を感じる映画なのですが、役所広司さんがとにかくすごくて、他の俳優陣の力と引き合い、良い映画を観たというより、凄い演技を観たという作品になりました。

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ベッラ

3.0レビューというか吐き出し。

2017年9月21日
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想像のつきやすい人がよく出てくる。
でもそれは想像であって本当はどうなのか、
確かめてみないとわからない。
過去に何かあったからこうなった、と簡単にいえない、とか。こういう人はこういうことをするんだ、みたいな根拠のないこととか。?

本当にそれでいいのか、色んなことを自分のなかで確かめながら生きてるけれど、正しいか正しくないかなんてはっきり言えるものがない。

なんというかそういう意味で現実的な話なんだけど、
ドラマとか映画でよくいる人たち?を出すことでつくり話っぽくなっているのかな。

どういう見方をすればいいのか迷った。

殺人ってこのたった2文字だけでえらく悲劇的なもののような気がするけど、ただ単に人を殺すって意味でなら、ああ、三度目の殺人か〜って納得。できる気がする。笑

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ノグ

5.0是枝監督さんの世界観

2017年9月20日
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知的

難しい

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tennmin

4.0ちょっとわかりづらい

2017年9月20日
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法律を勉強しているので内容は面白かったです。でも映画としては、盛り上がりにかけるというか、三度目って?という感じ。それにしても、役所広司は素晴らしいですね。見とれました。

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みかろん

1.0

2017年9月20日
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zm3104

5.0No Pain No Gain (何かを失わなければ何も得られない)

2017年9月20日
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難しい

容疑者、弁護士、検事、裁判官、被害者家族など、
立場により観方を変えると、
「正義」さえも変わってしまいます。

咲江とにとっての正義は、
「娘をレイプする父親は殺されて当然」です。

弁護士事務所にとっての正義は、
「裁判に勝つ事」です。

美津江にとっての正義は、
「食品偽装しても会社を守る事」です。

しかしながら、
弁護士・重森にとっての正義は
三隅と接するにつれ、変化していきました。
「勝つ事」から「勝ち方」へ
そして、「弁護人を信じる」へと。

三隅は、「生きていれば他人を傷つける悪者」と
自己評価しながらも、「咲江」を守ろうとしました。
三隅にとっての「正義」です。
しかしながら、
最後に重森が三隅に対して発した
「空っぽの器」の理解は難しい。。。

私は、次の様に感じました。

重森は、仕事を重視するが故に、家庭を失いました。
しかし、もしも、家庭を重視していたら、
重森の今の名声は無かったかもしれません。
"No Pain No Gain"「何かを失わなければ、何も得られない」
のです。
また、三隅は「生きているだけで他人を傷つけてしまう」と
自己分析しましたが、重森も、
「裁判に勝ち続ける事は、ある意味も他人を傷つけてきた」と
感じていたはずです。
すなわち、重森は、三隅が自分に似ていると感じていたのです。

三隅は、
30年前に殺人を犯し、今回、2回目の殺人を犯した容疑者ですが、
この裁判で、
「三度目の殺人」すなわち自分自身を殺してしまったのです
自分の命を捨てる事で、咲江の正義を守ったのです。
こんな三隅の生き方が、
重森は、自分自身の過去の生き方と重なってしまった。
「咲江の持つ正義感を中身として、三隅自身は、器に徹した事で、
咲江を守れた」
言い換えるならば、
「器だけとなり中身を捨てる事で、咲江の正義を得た」
のではないかと思いました。

Michi

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z4coupe

4.0やられた。

2017年9月20日
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鑑賞方法:映画館

と素直に感じた。
暗い展開と映像で淡々と進んでいくが福山雅治と役所広司の演技に引き込まれ、眠気がくることもなく楽しめた。
役所広司のサイコパスのような人間性と福山雅治の掴み所のない人間性が様々な人の供述により少しずつ変化していく。
回収していない伏線もあるがそれはそれで、結末や真相は個人で考えさせるといった感じ。
最後の福山が頬の血を拭うような仕草はびっくりした。

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24歳社会人

1.5薄い

2017年9月19日
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わざわざお金払って、映画館で見る作品ではない。
展開も予想通り。
役所広司のやっつけ仕事感満載の演技。
福山雅治ふけた。
広瀬すず大して可愛くない。
話題の斉藤由貴出てたの?
半年ぐらいしたらテレビ放送ゃないの?

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tojiro

5.0なぜ、「三度目」の殺人なのか?

2017年9月19日
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知的

難しい

役所広司演ずる容疑者は、
30年前に殺人を犯し、今回、2回目の殺人を犯した容疑者なのに、
タイトルは「三度目の殺人」なのです。
ここに、当該作品の深さが隠されていました。
そうです、「三度目」は、自分自身を殺してしまったのです。。。

感想を一言で表現すれば、「凄かった!」
文句なし、満点の5.0点です。

容疑者、弁護士、検事、裁判官、被害者家族など、
立場により観方を変えると、
「真実」も、そして「正義」さえも変わってしまいます。

容疑者が、最後に次の発言をします。
「私は、生きていても、人を傷つけるだけだから」
なんか私自身の事を言われている様で、
思わず涙が止まらなくなってしまいました。

お薦めです!

Michi
[PS]
しかし、役所広司と福山雅治と広瀬すずの迫真の演技力には
「脱帽」を通り越して「尊敬」に値します。

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Michi

4.0映画『三度目の殺人』評

2017年9月19日
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☆映画『三度目の殺人』(2017年フジテレビ・アミューズ・ギャガ/是枝裕和監督作品)評

-人間の尊厳を真摯に見つめる厳粛な視線を面会室と法廷内に定めた是枝裕和監督の、これはジョン・フォード作品、アルフレッド・ヒッチコック作品から西川美和監督、万田邦敏監督へと連なる法廷ならびに集会の系譜学を映画の枢要に据える時、構築されるオルタナティヴな思考回路の装置化に務める裁判劇。或いはそこが生と死の本質を二項対立により乖離させる為に、説話的磁場として面会室のガラス板一枚の介在するお互いの手に表象され、最期の天と地に張り巡らされる電線の交錯と十字路に変容する時、それがこの映画のリゾームの役割を果たす交通の概念を露呈するポスト・モダニズムについて-

 冒頭、不意に現れる被告人・三隅氏の川辺での社長惨殺事件の映像は、この映画が暗鬱なる悲劇として提示される予兆を孕んでいる。その死体にガソリンを掛け焼死体にする事からも、この映画全体の特に色使いが反映された殺人事件の発端は実に鮮烈だ。そこには冷めた暗黒の闇の惨劇が、次第にパトスを纏う炎の赤に変色する様が見出だされよう。
 是枝裕和監督はその即物性が時に即興演出の様相を帯びる時、叙事詩の品格を備えた佳品『奇跡』とは、一見対極に属するかの如く思えて、実は冷徹さに満ちたグレイの配色を基調とする映像の叙事性溢れるモンタージュによりそこに共通項を認めださせる。
 このロング・ショットの大胆さと手を中枢に据えたクローズ・アップによる繊細さが同居した折衷主義が、『奇跡』と濃厚な共示作用を催す是枝風リアリズムを醸成する土壌を、ガラス板一枚で仕切られた面会室という非情にも限定されたセパレイトな空間を人が占有する事で、そこに差異を伴う被告人と弁護人の社会性に帰属する聡明さを際立たせるのだ。
 それは有罪と無罪、犯罪者と弁護人、男性と女性、子供と大人、そして生と死等のオルタナティヴな倫理学にまで及ぶ峻厳さを、実に秀逸なライティングと撮影技法で描出する際の光と影の絶妙なコンビネーションが生み出す聡明なる演出力によるものであると謂えよう。
 そして観る者を常に宙吊り状態に追い込むのが、弁護側の取り調べの毎回が、恰もセレモニーであるかのような極めてハイ・テンションなモンタージュの連鎖反応である。それがガラス越しに対峙する三隅氏と弁護人・重盛氏の横顔が、顔そのものの映画としてカール・ドライヤー監督の映画にどうしても似てしまう事で覗かせる映画のアルケオロジーの流通として認識したくもなるのだ。
 そこには、前述の光と影の峻別の証拠が認識できよう。前半の逆光による暗さを称える重盛氏の顔と明度に満ちた三隅氏のそれは、この立場の相反する二人の男が次第に融合・交錯してゆくに連れて、後半この関係が逆転する過程が謎解きの過程と平行するドラマツルギーこそが、この映画の眼目であると謂えよう。
 この対峙とは裏腹に重盛氏の肉親の父親と女子学生の娘との視線の殆ど交わる事のない映像処理には、是枝監督が描く家族像への実に冷めた視線が感じ取れる。その人物配置の変容が、最終的には重盛氏と三隅氏を面会室のガラス一枚に反映させる事で、同一のショットに収める近似性を露呈する。それが重盛氏の娘の髪型と三隅氏の殺された社長の娘のそれとの同型に言及する事で、事件の真相である彼女が実は三隅氏の娘であるかもしれないという予想を孕んだシンメトリーな構図にまで及ぶのだ。
 この苛酷なまでに酷似した二人が、死刑を回避する為に互いに捏造された虚偽性を奮う時を基点として、この映画の相貌の反転が成される。そしてもう一つの反転の記号体系が、重盛氏の右手と三隅氏の左手がガラス板を通して合わさる時からだ。その証拠に死刑判決後、面会室で三隅氏と結ぼうとするコミュニケーションの断絶が、重盛氏の右手だけが虚しくガラス板に張り付く事で表象される事からも明らかであろう。
 裁判の判決により死刑が言い渡される瞬間から、真実が被害者の娘の口から漏れるという反転の反復が、映画を活性化させる説話的磁場を法廷外の面会室に再び固定させるのも、この二律背反の世界がいかに停滞と逡巡を露出するかに懸けた是枝監督の執念がなしえた業といえよう。それは生と死の業であり、これがガラス一枚で峻別される彼の死生観の表出でもあり、この簡易なる装置が虚構と現実の境目をも分かつ強靭なる人間の壁として屹立している証明でもある。
 このコミュニケーションの断絶を克服する儀式として、ラスト・シーンで重盛氏が屹立することになる十字路と電線の交錯地帯。そこでは天と地に張り巡らされたリゾームの如きこの交通と通信を司る都市空間に於けるコミュニケーション・ツールが、重盛氏と昇天したであろう三隅氏とのガラス一枚隔て通じた手による魂の唯物性溢れるコミュニケーションの再発見が成される。
 その十字路は三隅氏が飼っていた鳥の墳墓に描かれた十字架と、北海道で雪合戦する三隅氏と重盛氏、そして被害者の娘が積雪に仰臥する姿を真俯瞰で捉えた時の十字型のイメージ場面に符合している。それは宗教観を払拭した唯物的な即物性を奮う事で、この映画の重要な記号として確認できるのだ。
 ここには是枝裕和監督の交通の概念のトポス化への固執が、装置として君臨している。そこには人間関係の乖離から融合、そして冤罪による理不尽なる死刑という宿命的離反からの再生を願う主人公の魂の軌跡をも表象する、リゾーム(網状組織)としての都市空間に於けるポスト・モダニズムが犇めいているのだ。
 その証明とは、この複雑怪奇な事件がクールな都市の冷めた思考回路とは確執する根深い血縁関係という親和作用を伴った肉体的欠損により顕れる親子の黙契が、宿命という不自由さに起因するからに他ならないのだ。
(了)

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シネフィル淀川

4.0十字路に立たされたまま

2017年9月19日
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レイトで1人でじっくり考えながら見るのにいい作品だった。
連休最後のレイトだったから、人も少なくて、音響がよく機能してた。

この作品は、別にドンパチがあるわけでも、爆音で聞いた方がいいSEがあるわけでもないけど、あえて映画館で見るべき作品だとお思う。
セリフの言葉尻とか、登場人物の呼吸とか、一つ一つの衣擦れの音とか、全部の音ひっくるめて引き込んでくれる。

役所広司さんの演技がほんとに素晴らしかった。
目で、顔のシワで、手で演技する。
善良なのか、サイコパスなのか、愛があるのか、ないのか。

広瀬すずちゃんも、凛とした佇まいが作中で際立つ。
言葉数が少ないけど、意思があるし、誰よりも生気があった。

「ここではみんなが嘘をつく」

このセリフが、すべての登場人物の発言をグレーにしたと思う。
誰が裁いて、誰が裁かれるべきなのか。
誰がほんとで、誰が嘘なのか。

何一つ真実が明かされないまま、
誰も幸せにならない(のか分からないけど)、そんな結末だった。
ラストに十字路に立たされた福山雅治演じる重盛弁護士と、観客の心境が一体になる。
ラストは「うまいな、」と思った。

考察すれば、いくらでも可能性が見えて来る終わりかただった。
誰かと議論するよりは、1人で見てじっくり吟味してみたほうがいい作品でした。

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haru