ガザの美容室のレビュー・感想・評価
全16件を表示
それでも、人生は続く。 ガザの美容室。そこは、女たちの“心の解放区”。
美しくありたいと願うのは、すべての女性に共通したテーマだ。
長く伸びた髪を整え、髪型を変えて気分転換し、ムダ毛の処理も済ませたい。自分では手の届かない髪や肌のムダ毛を整えてもらえる美容室には今日も女たちが集う。
つかの間の憩いのサロンには、結婚式を控えて母に伴われて来た娘や、愛人と合う前の準備に余念がないマダム、薬物中毒の饒舌女など、それぞれの今を抱える13人の女性が居合わせている。店を切り盛りするのは、中学生の娘を持つロシアからの移民で、アシスタントはマフィアの恋人との別れ話に一喜一憂し仕事が手に着かない有様だ。
男たちがいないその場所では、女たちの飾らない言葉が飛び交う。間近に迫った結婚式、クスリの問題、旦那の愚痴、ご近所界隈の噂話、いつしか周辺のイスラム社会の動向まで、会話はつきることがない。自分たちは客であるという暗黙の優越感意識も手伝って言いたい放題なのも小気味よい。美容室は女たちの“心の解放区”として機能しているのだ。
やがて会話は加速し、遂にはイスラエル封鎖をめぐるハマスやファタハを撃ち破るために、居合わせた女性たちによる新政府の組閣会議にまで行きつく。それもそのはず、美容室はパレスチナ自治区ガザにあるのだから。ガラス戸1枚で隔てられたその先には、銃声と罵声が飛び交い、爆音が鳴り響くもうひとつの日常がある。突然の停電も茶飯事、店の前には動物園から盗まれたライオンまで現れる。
『ガザの美容室』は、“心の解放区”に居合わせた女性たちのとある1日を描く。鏡を巧みに活かして、ワンシチュエーションの中で変容する様々な表情を掬い取っていく。兄弟監督は、街路に襲いかかる猛烈な爆発をダイナミックに録音することにこだわり、異常事態に包囲された“ガザの美容室”の日常を現出させる。
非日常が恒常化し、いつしか日常となってしまったガザで、それでも生きていく。心の解放区には、明日を信じる女性たちが今日も集う。すべてが解放される“その日”を待ちながら…。
考えもしないことが世の中にはたくさんある
―――私たちが思う「非日常」の中でも「日常」の営みは行われている
言われてみれば自明のことなのだけれど、考えもしなかったことが世の中にはたくさんある
そんなことをつい最近思ったのは、とある新聞記事を読んだときだった
【ガザ地区の動物園で動物の餓死が相次いでいる。ライオンなどの肉食動物には他の動物の死骸を与えたりしているが、それでも全く足りない】
そうだよな。どこにだって動物園はあるし、人間の食糧が足りていないのだから動物から犠牲になるよな
そんなことを考えた。偶然だが今作にもライオンが印象的に登場している
映画としてはとてもミニマムな作品だ
舞台はほとんどが美容室の中で、外の様子はドア一枚挟んだ道路が時々描かれるだけ
店内には美容師とアシスタントが一人ずつ。そして順番待ちの客。小さな店はそれで満員だ
彼女達は冒頭からずっと苛立っている。暑さや個々の都合もあるが、どうしようもできない毎日の連続がその空気感を作っていることは想像に難くない
そんな彼女達の会話が聞けるのはこの作品しかない
ライオン、脱毛、ハマス批判。
戦争が日常であるガザ地区。平和とはかけ離れているようだが、そんな中でも平常を保とうと女たちは美容院をサロン代わりにしていた。離婚の話、妊娠の話など他愛も無いように思えるが、一歩外に出たら男たちは銃を構えている。戦争は愚かな者が行うもの。女たちは現実を非難しながら会話に花を咲かせている。
イラン映画なら見慣れているけど、パレスチナ映画はまだ数本。女性の自由、人権を謳ったものが多いけど、ここまで女性だらけの作品は珍しい。言ってみれば、パレスチナ版「この世界の片隅に」といったところだろうか。ちょっと違うのは政治にも関心を持ち、軽く政権批判しているところ。「イスラエルはおまけ」と言ってみせるほど、真の意味での反戦かもしれません。ただし、戦争描写は音だけ・・・
原題のdegradeとは品位を落とす、自分の品位を下げるといったところなので、彼女たちの雑談そのものを表していたのだろうか。ヒジャブを被った信心深い女性と、店主のクリスティンが品位を保っていたけど・・・
中東の人達独特の遠慮のないお喋りが笑いを誘う
【パレスチナ自治区ガザの小さな美容院が舞台の戦争の愚かさを女性目線で描いた作品】
パレスチナの日常
パラダイス・ナウ、オマールの壁、なぜかパレスチナの映画は気になって結局観ていることが多い。
物語はガザにある美容室が舞台。店員と客の女性たちの会話がメインで外の描写は最小限にしか出てこない。
けしてわかりやすい・観やすい作品ではない。女性たちの会話ややりとりも、楽しいものばかりではなく、前半はちょっと退屈に感じることもあった。
そこにいる女性たちは人種も立場も宗教も年齢も様々。共通点は美容院に来ているということだけ。
だが、彼女たちの自然な会話を通して社会の問題、今のパレスチナの問題を伺い知ることができる。こんなにも生活の中に浸食している理不尽な暴力を彼女たちは停電や恋愛の話と同等に扱う。
耳をつんざく銃撃シーン。日常も、特別な幸せなイベントも蹂躙されてしまう、そんな恐怖も彼女たちの日常の一部なのだということを感じ、平和のありがたさを思うとともに、世界の平和を祈る。
混沌
戦地の女性の姿が垣間見れた。
今年見た映画『ラッカは静かに虐殺されている』では、一切女性の姿が出てこなかったので、戦地では女性は何をやっているんだろうって興味があって見ることにしました。
イライラする美容室。
壁を一枚隔てたところでは、こんな日常的な、ひどい言い方をしてしまえば、取るに足りないくだらないことが繰り広げられているのでしょうか。
というのが、見終わったあとの印象です。
しかし、この映画の真意はそうではないと気づきました。
例えば、この美容室にミサイルが当たってしまったとしたら?
彼女たちは、何か戦争に働きかけた人たちだったでしょうか。
いや、違います。
無抵抗で、たった今の今まで日常を生きていました。
戦争では、戦地では、そういう普通の生活が、あっという間に失われることがあるんですよ、そういうメッセージが込められているのかなと思いました。
オシャレが女達の抵抗
とある日の出来事。
銃を持たない人達
全16件を表示