「見応えあり」パトリオット・デイ アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
見応えあり
4年前に発生したボストンマラソン爆弾テロ事件を映画化したものである。アメリカ独立戦争の開戦を記念した Patriot's Day(愛国者の日)は,国の祝日ではなく,マサチューセッツ州ほか3つの州でのみ祝日に指定された日で,4月の第3月曜に指定されており,ボストンマラソンは毎年この日に開催されている。映画の題名を「ボストンマラソン爆弾テロ事件」などという生々しいものにしたくないという配慮が感じられる。
まだ記憶に新しい事件だが,事件の詳しい流れや犠牲者の背景などは,この映画で教えられることが多かった。事故の被害の描写は徹底していて,全く容赦がない。血の気の引くようなシーンが多かったのは,見知らぬ人間に対してこういうことを行う人間がいることの恐ろしさを観客に直接訴えるのに必要だと思ったからなのだろう。血まみれの悪趣味な映画に陥る寸前で止まっていたのが救いだった。
イスラム過激派のテロはこの事件に限らないのだが,何度テロを起こしても,非イスラム国側の恨みを買うばかりで,その考え方を改めることができるなどということは絶対にないのに,何故やめないのかというと,あいつらの頭の中は,9.11 の事件がアメリカの自演だというような嘘の情報によって,実体のない一方的な被害者意識で埋め尽くされ,この状況を打開するには非合法活動でも厭わないという極限的な精神状態に追い込まれているのだと思う。50 年ほど前に日本の極左グループが行ったのと全く同じ手法で,何の関係もない市民を標的にした無残な事件を起こすという結末まで同じである。
もともと,イスラム教は異教徒に戦いを挑んで勢力を拡大してきたという歴史があるので,信じなければ殺されるという布教の仕方をして来た訳である。今のテロリストどもの中にも,恐怖で信じ込まされたという経験を持つ者がいるはずで,そいつらにとっては,恐怖は相手の考えを変えるための有効な手段であるという認識があり,他人に対しても有効だと信じ込んでいるのではないかと思われる。流石に,1300 年前の社会しか知らない野蛮な宗教であるというほかはなく,到底妥協点を見出すことはできない。
この映画では,憎しみに勝てるのは愛でしかないという主張が貫かれているようで,重要なシーンや台詞の端々にそれが感じられる。だが,それはキリストの説法にあるところの,右の頬を打たれたら左の頬を差し出せという話から一歩も出ていない甘い考えであると思う。向こうは頰どころか命をよこせと言っているのである。拳銃や爆弾を向けてくる相手に愛を説くというのは,憲法9条さえ守っていれば日本にミサイルは飛んで来ないという根拠のない妄信と変わりがないという印象を受ける。
この映画では,イスラムに改宗したアメリカ女性も重要な人物として出てくる。私も米国滞在中にそういう人と知り合う機会があったが,自分の権利意識については日本の女性の比ではないアメリカ女性が,何を好き好んで男尊女卑の典型の宗教に改宗するのか,全く解せなかった。イスラムでは,男性は神に仕えるだけで良いのだが,女性は神と夫に仕えなければならないのである。どんなことにも耐え忍んだ女性が尊敬の対象になるなどと,男の都合のいいように作られた価値観を生涯をかけて守ろうとは,憲法9条の信者より哀れに思われてならない。
ちなみに,これまでの我が国の法律では,この犯人を事件の発生後でなければ逮捕できなかった。それを計画段階で逮捕できるようにしようというのが今話題になっているテロ等準備罪である。わが国は,1995 年にオウムの狂信者どもが起こした地下鉄サリン事件で,世界で初めて化学兵器テロ攻撃を受けた国なのである。あの時も,この法案を共謀罪と呼んで反対しているのと同じ人権派組織の反対の声に押され,公安審査会が破壊活動防止法を適用しなかったことを猛省すべきで,共謀罪と呼んで反対している連中は,自分らが逮捕されるから嫌がっているだけなのである。
この事件は,発生から僅か4日で犯人逮捕に至っているのだが,その決め手となったのは町中に置かれた監視カメラの映像と,地元の警官の経験に裏付けられた地道な捜査の賜物であることが描かれていた。犯人の逃走時の銃撃戦で被弾したりする警官が誰なのか読めないというところは,まさに実話ならではかと思わせられた。ただ,主人公の警官が最初何の原因で現場を外されていたのかとか,ウィンカーを動かすと窓が開いてしまうパトカーのエピソードが必要だったのか,など,脚本にはいくつか不満がある。
音楽は全く耳に残らなかった。また,実際の防犯カメラ映像を多用した演出には感心したが,一つだけ不満だったのは,犯人らが爆弾を置いた時に,周囲の人間を見回すシーンがなかったことである。この爆弾が爆発した時に,最も被害を受ける人々の顔を,この犯人どもは絶対に見たはずなのである。そこにこそ,最大の許し難い思いが感じられるはずであるのに,何故この監督はそれを外してしまったのだろう?最後のエピソードが泣ける話であるだけに,本当に惜しまれた。
(映像5+脚本4+役者4+音楽2+演出5)×4= 80 点。