ぼくと魔法の言葉たちのレビュー・感想・評価
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ディズニーアニメの効用
自閉症の子供の成長を綴ったドキュメンタリー、自閉症とはどういう病気なのか、21世紀の今でも原因も治療法も未解明の脳の機能障害らしい。症状も療法も患者それぞれで、本作のようなディズニーアニメの効用でコミュニケーション能力に目覚めると言うのは全ての患者に有効な処方と言う訳ではないだろう。それでも単なる苦労話には終わらず、同じ病に苦しむ人々への一筋の光明として勇気を与えようと努める作風が秀逸です。
本作は主人公の父親が書いた実話を基に映画化、趣旨に賛同したディズニーも映像の使用を快諾したらしい、自閉症でなくとも幼少期に体験するファンタジー物語の多くが子供たちの情操教育に役立つであろうことは想像に難くない。
寓話や童話の伝承は両親からの寝物語から絵本、アニメへと進化をとげ、本作のような思わぬ効用へと結びつきました。まさに先人たちからの生きる術、知恵の贈り物と言えるでしょう。
素晴らしいのは両親の育て方、ふとしたことからディズニーアニメの効用に気付くのだが、父親がピューリッツァー賞までとったジャーナリストならばこその閃きとも思えます。主人公も立派に自立し、ここまで育て上げた一家の愛と絆の素晴らしさには胸を打たれます。
自閉症の新しい見方
以前ロンドンの下町で"Disney ruined my son"という落書きを見て、この息子さん、ディズニーアニメにハマり過ぎてヒッキーになっちゃったのかなぁ、夢の世界だもんなぁ、と共感した私だが、この映画を見て見直した。
そして、ディズニーアニメはキャラクター達の表情がはっきりしているので自閉症児にも分かりやすいやすのだと知った。裏のあるセリフも(多分)ないし、物語も単純で最後は必ず幸せになる。困難に立ち向かう勇気、希望を持つことの大切さといった、生きていく上で一番大事なことは繰り返し描く。
この父親が、自閉症の我が子と、ディズニーアニメでなら意思の疎通が図れるかも、と閃いたのは僥倖だった。
主人公は沢山の作品から、多少現実離れしているものの、必要最低限のことは学ぶことができ、「この世界で自分は脇役だ」から「脇役達の守り人」になった自分の物語を創るまでに成長でき、世界の人々に自閉症だからっていつも心を閉じているわけではないことを示すことができたのだから。
彼自身の物語をアニメ化した部分も温かい感じがして、良かった。
素敵なディズニー作品をとっかかりにしているが、描かれるのは自閉症の辛さ。それに正面から向かい合う家族の愛の美しさ。
まがりなりにも障害者福祉に携わる人間としてとてもよく描かれているなと感じたし、他の方も言われている通りに描かれている主人公は軽度の知的障害である。
自閉症の特性としてディズニーやアニメーションを擦りきれる程見ることは不思議では無いが、この作品の素晴らしい点はファミリーが自閉症に対し柔軟に、しかしオーウェンの幸せだけを願い前に進んでいる点だと感じた。
もちろん障害を持つ多くの家族は本人の幸せや、将来を望むのは至極当たり前だがどうしても真逆の事をしてしまうパターンが多い。
その事が少なからず本人の成長を阻害しているパターンも見られる。
オーウェンの父ロンの言葉で「挫折も必要だ」との見解には非常に共感したし、あらゆる場面での発言にも感動した。
冒頭からの幼少期の映像を使いながら家族のインタビューを交えて進んでいくのでスムーズに入りやすく、見やすかった。
やはり日本とアメリカでは福祉サービスの違いが大きいだろうなと感じた。(北欧ではもっとだろうが、、)
障害の有る無しに関わらず、人間の持つ生きていく力強さと愛(特にディズニーの)がとても美しく描かれていた。
環境が素晴らしい。
自閉症のお子さんを持つ知り合いがいて、その成長を近くで
よく見てきたので、今作で主人公となるオーウェン君が二歳
まで普通に会話しているのに驚いた。成長過程で発症または
変貌を見せてくることもあるんだろうか。その多様性連続性
から自閉症スペクトラムと呼ばれているこの障害を持つ親御
さんの苦悩は計り知れない。両親や周囲からの温かい見守り
や協力あってこその成長ドラマである。ディズニーアニメが
彼の成長に影響を与えたことはよく分かるが、それだけでは
ないことがうかがえてリアルだった。性の問題や自立生活や
仕事探しに至るまで淡々と見せていく。恵まれた福祉環境が
あるのはもちろん本人が軽度であることもよく分かるのだが、
常に明るく前向きな姿勢には観ているこちらも元気を貰える。
奇跡の物語ではない、普遍的な自立のドキュメンタリー。
自閉症により言葉を話せなくなってしまった少年が、こよなく愛したディズニー映画を見続けながら、映画を通じて再び言葉を取り戻す。そんな奇跡のドキュメンタリー・・・と言うと語弊がある。いや確かに、彼がディズニーアニメを愛し続けたことや、両親がディズニーアニメを見せ続けたこと、そして何よりディズニーが映画を作り続けたこと、などといくつもの条件が重なって生じた奇跡のような出来事であるに違いはないのだけれど、この映画は寧ろその先をより注視していて、ディズニー映画で人生を学んできた自閉症の青年が、現実の人生はディズニー映画のようにはいかないことを目の当たりにする様を切り取ったドキュメンタリーだと言う方が正しい。それまでディズニー映画のキャラクターの気持ちを思い出し自分と重ねることでその状況を理解し乗り切ってきたオーウェン青年。しかし現実にはディズニーには決して描かれない出来事があり、その多くは悲しみや苦悩や痛みや嫌悪を伴うものだったりする。これからのオーウェン青年の未来には、ディズニー映画では説明のつかないことが度々起こるであろうことを我々は知っている。それをオーウェンはどのように乗り切っていくだろうか?どう理解していくだろうか?その旅の序章がこの映画にあるような気がした。
この映画は、もちろんディズニー映画の凄さや底力のようなものも感じるし、著作権にうるさいディズニーが映像を協力した理由もとても分かる気がするのだが、一方でこの映画は、「ディズニー映画のまやかし」を突く意味もある。現実はディズニー映画ではないことを幾度となく指し示す映画でもあるからだ。それでもディズニーがこの映画を支持し、異例の映像使用許可を出し、オーウェンを激励する様子は、さすが夢工場の意地を見たような感覚。自社が作っているものが「夢」であることを自負した上での余裕という感じ。
私はこの映画がもし、言葉を話せなくなった少年がディズニー映画を通じて言葉を発するようになる奇跡のハートフル・ドキュメンタリーだったりしたら、それこそ「夢物語だ」と少し冷めた目をしていたかもしれない。でもこの映画がそうではないことに深く安堵し、また強く共感した。この映画が描くことは、確かに自閉症の青年とディズニー映画というフィルターを通してはいるけれど、家族の愛と優しさの揺り籠の中で育った少年少女たちが社会に出て自立しようという時の気持ち、という実に普遍的なテーマであったからだ。普段は明朗で快活でとてもチャーミングなオーウェン青年が、現実とのギャップに混乱し困惑する姿を見ていると、本当に切なくてもどかしい気持ちになる。そしてそれはかつて私自身が感じた不安感でもあったなぁと思いだし、今となっては懐かしい気持ちもした。そう考えると、きっとオーウェンにも今はつらく不安だらけかもしれないこの時期のことを思い返して、「懐かしい」という日が来るのだろうという希望をもうっすらと感じるようでもあった。
にしても、ディズニー映画ってやっぱりすごいね。(良くも悪くもだろうけど)世界中の子どもたちを魅了し養育し影響を与えていくパワーがあるんだもんね。この映画はそれがいい方に向かった好例というところか。
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