ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣のレビュー・感想・評価
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古典芸術の二刀流♥
彼の性的な嗜好とかは関係なく、ナルシストだと思う。兎に角、薬で自分を鼓舞する事は道徳の次元を超えて、絶対に間違っている。誰が見ても素晴らしい踊りなのだから、それ以上鼓舞する事が必要なのだろうか?
彼程のダンサーは山ほどいると思いたい。バレエが家族を壊してしまうほど高尚な芸術であって貰いたくない。勿論、下品であっても欲しくないが、古典を忠実に踊ってくれるだけでも良いと『僕程度の鑑賞者』は思っていると感じる。僕自身がダンサーであれば、勿論、話は別だが。
また、オペラが歌えるダンサーって?なぜいないのか?所謂、今風に言えば古典芸術の二刀流さ。
よかった
最後の最後で両親とおばあちゃんが舞台を見に来れて本当によかった。
肩に『ダークナイト』のジョーカーの刺青があって、反対側のおじさんの絵は何か分からなかったが、そんなのを古典で演じていて見えたらさぞ興ざめではないだろうか。しかしそんなチンピラっぽさはあまり描かれていなかった。コカインの使用を肯定していたのがよかった。
特に気になったのは女の影が一切無くて、相手がいるから伏せているだけなのか、もしかしたらゲイであることを隠しているのだろうか。性生活の乱れを垣間見たかった。
バレエやダンスにあまり興味がないせいか、もっと圧倒されると期待したのだが、それほど感動しなかった。
純朴田舎少年ではいられなかった天才の苦悩
エディレッドメインに似た顔立ちのセルゲイポルーニンです。
ロイヤルバレエのプリンシパルだったのは知らなかったなー。
ビュンビュン走ってきてピッ飛び跳ねては、足を交差したり、回転したり。2回転の連打でも軸はまっすぐ、回転も足りないとかなし。すごい、見たことない。
そしてルックスも良くて…素人が見ても並外れています。
彼は純粋です。まだ成熟しきっていない若い心が見て取れます。貧しくとも父母に祖母の揃った家庭でゆっくり育ちたかったのでしょう。でも才能がそれを許さなかった。そのことに納得いかなくて、でも踊りは喜びで。
葛藤の最中にいる美しき魂と姿が堪能できてよかったです。
心臓の薬とか、アスリートならドーピングでやばくなるサプリとか、厭世的な小道具がバレエの主流らしくなく思いましたが、実情はそういうことも含んでいるのだろうななんて想像しました。
マッチポンプ
筆者はクラシック・バレエに関して全く詳しくない。
デアゴスティーニから発売されたバレエDVDコレクション全61号を買い揃えたが、創刊号の『白鳥の湖』以外全く観ていない。お恥ずかしい限りである。
日本人ダンサーとしても熊川哲也を知っているぐらいであるが、このセルゲイ・ポルーニンなる若者の踊りが図抜けてレベルが高いことはわかった。
たしかに素人目に見ても一目瞭然で素晴らしいのがわかってしまう、そんな天才ダンサーのドキュメンタリー映画である。
ポルーニンはウクライナの貧しい家庭の出身らしくバレエ学校に通わせる金銭の工面のため、父はポルトガルへ、祖母はギリシャへ出稼ぎに行かざるをえなかったようだ。
ポルーニン1人のために多大なる犠牲を一家が払い続けたせいで、ついには一家が崩壊、それに諸々の状況が合併症を起こして堪えかねたポルーニン自身も精神の限界を迎え、行方が定まらないさまよう日々が続いていく。
個人的な事情だが、筆者はこの映画を『ターシャ・テューダー』と同じ日に鑑賞した。
この映画の対象へのアプローチは『ターシャ』とは全く正反対と言っていい。
前回『ターシャ』の回で書いたのでくどくどしい説明は割愛するが、この映画は制作側が大きく対象に働きかけたドキュメンタリー映画である。
ポルーニンから撮影の了解を得るまで数年かかったらしく、その頃彼はプリンシパルにまでのぼりつめたロイヤル・バレエ団を突然退団してスキャンダルの渦中で苦しんでいる時期であり、そこから撮影は始まったようだ。
この時点ではどのような映画にするか方針は決まっていなかったらしい。
その後ポルーニンの母親から彼の幼少時の大量のビデオを見せられたことで方針が決定したようである。
だがそれでも抜きん出たダンスの才能はあっても方向性の定まらず飽きっぽい性格の若者を追うのは相当苦労したことだろう、制作側の苦労が偲ばれる。
そして業を煮やした?制作側がついに禁断の果実に手を出す。
『Take me to Church』という音楽にあわせて踊らないか?
実際に制作側がポルーニンにそう言ったかは知らないが、彼は全身全霊でそれを踊る。
申し訳ないが、もうこの時点で筆者は白けてしまった。
おそらくそれまでに撮れ高と劇的なドラマがなかったのだろう。
監督のスティーヴン・カンターも前作などで数々の受賞歴のある売れっ子監督らしいので、すでに次のスケジュールがあったのかもしれない。
いずれにしろ制作側がポルーニンを動かし、さらにその踊りを編集して動画としてYouTubeで世界中に向けて配信する。
時間をかけて彼の変化を追うのではなく劇薬を投じたのである。
世界中から返ってきた反応でポルーニンに新たな反応が生まれたので効き目は十分にあったが、副作用はこの映画自体がありきたりな凡作に堕ちたことだろうか。
ポルーニンの踊りとしてはハイライトにはなっても映画の流れを自分たちの望む方向に力技で無理矢理軌道修正したようにしか見えない。
『ザ・コーヴ』のような明らかなやらせや改竄されたプロパガンダ映画とは違うがマッチポンプと言われても仕方がない。
融資などの資金問題もあり短期で結果を出さなければいけないことはわかるが、ドキュメンタリーの基本は対象の変化をまずは見守ることではないだろうか。
もはや『ターシャ』のようなドキュメンタリー映画の方が希有な例なのかもしれない。
ただ映画を離れてしまえばポルーニン本人にとってはとても意義深かったのだろうと思う。
再度強調したいが彼の踊りは最高であり、特に女性にはこの映画を通して観る彼の肉体の躍動美は目の保養になるかもしれない。
「ヌレエフの再来」とうたわれた彼が今後レイフ・ファインズ監督の下その伝説的ダンサー、ヌレエフの伝記映画に出演するらしいし、ジョニー・デップやジェニファー・ローレンスとの共演映画も控えているらしい。
それらを楽しみにしたい。
類稀なる才能
本当に類い稀なる才能とはこういうもの、と思わせる、圧倒的な踊り。こんなにも高く美しく跳べる、こんなにも速く何回もターンできる、その身体能力を存分に使って彼が生み出す芸術作品にははち切れんばかりのエネルギーがみなぎっている。
その彼を支える家族、おばあちゃんもお母さんもすごく美しい。アンチエイジング整形とかではなく、姿勢良く美しくまっすぐに生きて来た人のもっと強さを持った健康的な美しさだ。その背景には計り知れない苦労があったはずだが、それを匂わせない強さと存在感がある。お父さんもカッコいい人で、子煩悩だったはずなのに、家族がバラバラになってしまったのは切ない。元には戻れなくても、彼のダンスをみるために集まることができてよかった。また招待してあげて!と思う。
見たかった
すごい。舞台で観たかった。
本人もすごいが、可能性をみつけて体操からバレエの道を用意する親もすごい。
これだけの才能があっても、家族巻き込んで稼ぎまくらないと教育の機会が得られないのが、悲しい。
苦悩する芸術
子供の才能を伸ばしてやりたいと、学費を稼ぐため父だけなでく祖母まで出稼ぎに。それに応えようと外国で厳しいレッスンに耐えてきた本人ですが、両親の離婚をきっかけに家族から距離を置きます。英才教育を支える経済的な豊かさか、温かい家庭による心の豊かさか。プリンシパルとして開花しなくとも地元に残っていた方が本人にとっては幸せだったのか…。難しい所です。奨学金などの制度があれば良かったのですが。
彫刻のような身体と生まれ持った感性。
指先から足の先までしなやかで美しい。
何て言う技かは知らないけれど、はるか高く跳んでる時と回転している時が凄い。
斜めに跳びながら回転している時はもっと凄い(^^)。
彼の全てが芸術作品のよう。
素人目にも彼のバレエが神がかっているのが分かります。子供の頃体操で鍛えた筋肉がそれを支えているのでしょうか。多少アレンジ可能なバレエの方が、型にはまって採点される体操よりは向いているようでした。
19歳で頂点に立てたのも、人より何倍も努力する天才だから。しかし才能だけではモチベーションが保てない。確かにステージを降りた世界の方がずっと広い。これからの長い人生、彼は踊り続けるのか注目したいです。
美しき天才と、神が与えた宿命との和解
この作品で一番に感じるのは「天才として生まれることの苦しみ」だ。凡人である私には、経験することのないであろう苦しみであるはずだが、この映画を観ているとセルゲイ・ポルーニンが天才故に苦悩する様子が非常に良く伝わってきた。この映画が見つめているのは、彼の栄光の様子ではない。むしろ、栄光が彼に重くのしかかり、試練に変わってしまう様。そしてその試練に耐えきれずに逃げ出してしまったり潰れてしまったりする様である。天才の背中を美化するドキュメンタリーとは一風違うところにこの映画の魅力を感じた。
セルゲイ・ポルーニンは本当に、踊ることの天才なんだろうと思う。そして踊ること自体は単純に好きなのだろうという気がする。しかしながら、天才だから踊り続けるべきだというのは我々凡人の考えだし、セルゲイ・ポルーニンにしか出来ないことだから是非ともやってくれとせがむのも凡人の身勝手だ。その美しさと才能とカリスマ性と人気故に、彼は多くを求められすぎてしまい、肉体と精神を酷使することを強要される。そして限界が来るたびに、彼は逃亡するようにして重荷を外そうとする。それは確かに無責任かもしれないし反逆的かもしれないけれど、それも天才として生まれた苦悩故なのだろうなぁと、なぜだか凡人のくせに共感できるような気がしてしまった。
そうして苦悩の積み重ねが行き付いた先が、あの「Take Me to Church」だったのだろう。YouTubeで一度再生させると止めることもスキップすることも出来なくなるほど見入ってしまう凄まじいポルーニンのパフォーマンスがそこにある。どうしてそこまであの動画に惹かれたかは、単純にセルゲイ・ポルーニンが凄いダンサーだからだと思っていたけれど、なるほど、あのパフォーマンスは彼の人生を凝縮したものであり、彼の苦悩がそのまま肉体を通じて表現されたものだったからなのだ、とこの映画を観て合点がいった。だからあんなにも目が離せなくなるほど力強く神々しいまでのパフォーマンスだったのだな、と。
「Take Me to Church」がなければ、彼は踊るのをやめていたのではないかと思う。「Take Me to Church」で彼はすべてを出し切って、終わるはずだったのではないかと。しかし皮肉なことに「Take Me to Church」が逆に彼の背中を押して、再び彼を踊らせることとなった。「Take Me to Church」の中で、”Good god, let me give you my life…(神よ、こんな命なんかくれてやる!)と彼は踊った。それに対し神はどんな答えを出したのか。神がセルゲイ・ポルーニンに下した答えは、彼を再び踊らせることだった。踊りやめようとした彼に、踊り続ける使命を更に与えた。踊ることからは逃れられないとでも言わんばかり。それが天才として生まれた人間に課せられた人生なのか。天才の気持ちをすべて理解することは難しいけれど、それでもなんだか「Take Me to Church」以降の彼は、それまでの彼とは何かが違うような気がする。「Take Me to Church」を通じて、天才として生まれた運命や宿命と和解したようなカタルシスを感じた。でも、それもまた、凡人の勝手な解釈でしかないのかもしれない。
ただただ、セルゲイ・ポルーニンのバレエはとにかく美しい。容姿も端麗であるが、その肉体の美しさ、筋肉のしなやかな動きの美しさ、所作の美しさ、身体能力の美しさ、表現力の美しさ。なにからなにまで本当に美しくてたまらない。そして皮肉なことに、苦悩する天才はことに美しい。苦しめば苦しむ程に、彼のバレエは美しいのだろうなぁと思うと、神は時々天才を世に送り出すけれど、それってちょっぴり罪深いことのように感じられるのだった。
美しい人
自分の中にある凶暴な何かを抑えきれず、振り回されているのが、思春期かよwという感じですが、よく考えたら19でプリンシパルになったのでキャリアはあるけど、今も20代前半の若者でした。頑張れ。彼の苦しみは家族と和解してもどうこうなる物では無いと思うのですが、映画は家族愛で締めていました。これから彼の人生はどうなるのでしょうね。美しく長い手足、しなやかな筋肉、空中でのバランスと、綺麗な顔を持っていて、皆から踊ることを期待され、本人も、なんだかんだ言っても踊ることが好きで仕方がない感があるので、踊る準備は整っている。あとはチューニングなんでしょうかね。バレエが素晴らしいので、これから長い間、彼の踊りをみられれば良いなと思います。
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