怪物はささやくのレビュー・感想・評価
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同じジャンルの傑作「パンズ・ラビリンス」とは違う後味が。
重い病を患う母親が自分と過ごす時間に限りがあると感じている少年の前に、巨木の姿をした怪物が夜な夜な現れて試練を与える。それが少年にとってどんな意味を持つものか?そしてそもそも、怪物の正体は?そんな風にダークファンタジーとして推移する物語が、ファンタジーのふりをしたリアルな母と子の対話の記録だと分かる幕切れで、本作が宿命的に比較される同ジャンルの傑作「パンズ・ラビリンス」とは違い、ポジティブなメッセージを発していたことが判明する。主人公は向こう側で儚い夢を実現するのではなく、あくまでこちら側で現実を受け容れて生きていく覚悟を決めるのだから。
生と死と。
軽い気持ちで何となく寝る前に観たけど...、私は子どもがいるので母としての気持ちも考えさせられたし、今年父親を亡くしたこともあり子供としての気持ちもどちらも考えさせられたような気がします。終始泣いてしまいました。
怪物を友達だと言っていた母親は、最後のシーンで怪物を見つめていましたが、自分が亡くなることを悟って最後に友達である怪物に息子の事を託したのではないかと思いました。
怪物は母の思いそのものだったように思います。
切なくも愛のある物語でした。
なかなか難解
自分には難解なところも多かったな〜
最近「永遠のこどもたち」を観たが、同じ監督さんだったんだ。←遅い
病気のお母さんを気遣い、朝ごはん、身支度も全て自分で済ませ、いじめも我慢して?休まず学校に通うコナー少年がいじらしい。
しかし意地悪なクラスメイトは何なんだ?
誰が気づいて助けてあげて〜と叫びたくなる。
真夜中の同じ時間に現れるモンスター。
全てが夢かと思いきや、おばあちゃんの部屋の中のものを破壊しまくったのはリアルだった…おばあちゃんびっくり、だよ。おばあちゃんの大切なコレクション…涙
自分を出せないコナーに抱えてるもの全てを吐き出させるモンスターの?計らいか?
これからコナー少年が悲しみを乗り越えて成長して欲しいと思った。
怪物の正体
泣けました。怖そうな怪物だけど、なんとなく寄り添ってる感じ。難病の母が新薬でも治らないって分かってるのに受け入れられなくて、治ると言い続けるコナー。怪物が語る話も、考えさせられる。ラストそういうことかな…と思ったりして。これからコナーがおばあちゃんと、助け合って生きていって欲しいと思った。
少年の心に潜むモンスター
"どう考えるより、どう行動するかだ“
彼の中には答えがあったけど、受け入れるだけの勇気がなかなか持てなかった。
13歳の彼には早過ぎる試練。
モンスターは彼の心を現す幻像なのではなかろうか…
夢と現実の交わり
内面の世界と現実世界が交差する
思春期の内面を、繊細に、かつクリエイティブに表現された作品
CGと実写の境がわからない
まさに夢と現実がわからない世界観が見事に映像化されている
結末には
切なくて目をそらしたくなる。
まさに結末に向かって
怪物と向き合っていた少年
私はまだ向き合えないかもな。
洋画だからこそできるストーリー。 とにかく切ない。 泣けるとか感動...
洋画だからこそできるストーリー。
とにかく切ない。
泣けるとか感動したとはまたちょっと違う。
母の死を乗り越えて前向きに生きるとかいう単純なメッセージではなくて、人間の複雑な感情の中にある二面性や矛盾にまで言及しているのが深い。
死んでほしくないけど終わってほしいって、わかる気がするね。
ひとつ言うなら3番目の話もちゃんとやってほしかった。
母親は死病、自身はいじめられ頼る背のない孤独な少年 抑圧された心が...
母親は死病、自身はいじめられ頼る背のない孤独な少年
抑圧された心がどういう風に育っていくのか
毎夜同じ時間に登場する怪物を通して少年に必要な答えにたどり着くファンタジー
これは少年が主人公だけど、
少年が怪物に露見した叫びは
介護や闘病を支える近親者はみなほとんどの人が理解出来る気持ちだと思います。
母の作り出した愛情が少年を解放出来て本当に良かった
「あなたが悪いのではない、世の中とはそういうものなのよ」
児童文学にしては観念的であり母親との死別への恐怖、上辺だけの繕いに見える大人社会、現実社会での理解者を得られず悪夢に苛まれる少年の物語である。重いテーマを掲げており、反抗、破壊に対して異様なほどの共感、寛容を示す作家性の強い話だ。どうしたらこのような視点で児童文学が書けるのか気になって調べてみたら英国の作家シオバン・ダウドの未完成の遺稿を脚本のパトリック・ネスが引き継いで完成させたようだ。シオバンは乳がんで47歳で死亡している、作家と並行して恵まれない子供たちや、若い犯罪者の救済活動にも腐心していたようだ、そんな子供たちの心に寄り添うには綺麗ごとのお伽噺ではなく不条理な現実社会を暴いて見せる手法が必要と気づいたのであろう。活動を通じて得た教育者としての信念と自身の死期を悟って鬼気迫る物語が出来上がった。
「あなたが悪いのではない、世の中とはそういうものなのよ」という作者の無償の愛のメッセージは、もはや評価の域を超えているのだが個人的にはこの種のダークファンタジーは苦手、映画にしてまで辛いことの追体験をしたいとは思えないので致し方ない。
不合理で矛盾だらけで複雑なこの世の真実
インポッシブル、ジュラシックワールド 炎の王国に続き3度目のバヨナ作品。
母と息子は同じ怪物に出会っていた。
想像力を持っていたから出会えたのか。
なぜあの親子が怪物を見ることができたのか。
怪物の話は矛盾する。
そして怪物自身、恐ろしいものに見えたかと思えば、物語のラストシーンの優しい瞳も印象的で、恐怖と優しさという相反するものを感じさせる。
完全な善や悪はいない。
だいたいのものは中間だ。
恋人を殺して国を平和に統治した王子
王座に魅了され王子に結婚を迫ったが人殺しはしていない魔女
とっつきにくい性格の調合士
信念のない聖職者
いじめっ子だが、最後に暴力をやめたクラスメイト
いじめられっ子だが、クラスメイトを病院送りにしたコナー
何を考えたかではなく、どう行動したか
怪物は何のメタファーなのか
不合理で矛盾だらけで複雑なこの世の真実そのものなのか
瞳に映っているものを描くことで、目に生命が宿る、と母は言った。
母親を亡くして窓の外を見るコナーの目には生命が宿っていた。
タブー
癌の末期や難病の方の手記やブログを読んでいると、頑張っても頑張っても駄目な場合が記してあります。また、私の友人の元恋人は末期癌で亡くなったのですが、成すすべがなくなってしまった時に、友人は「早く精神的に楽になりたい」と言ってました。
母親の病について「早く楽になりたい」とコナーが吐き出すシーンは、一般的なドラマであれば口には出さない事です。しかし、敢えてコナーを真実と向き合わす事により、何かを乗り越える時には真実に向き合うしか方法はない事を示唆しているのだと感じました。コナーは無意識のうちにその事に気がついていたからこそ、恐ろしい妄想を使って楽になったのだと思います。反対に母親の病が治るという都合の良い妄想に逃げ込んだままだったら、コナーは母親の死を乗り越える事はできないでしょう。人の死に対して、癒しやスピリチュアルとは全く違うアプローチが新鮮でしたし、非常に哲学的な作品だと思いました。
大人になったベビー・グルート
病魔に侵された母親リジー(フェリシティ・ジョーンズ)と二人暮らしの13歳の少年コナー(ルイス・マクドゥーガル)の家に、夜な夜な12時07分にやって来る木の怪物(声:リーアム・ニーソン)。「今から、お前に3つの真実の物語を話す。4つ目の物語はお前が話せ。」と怪物はコナーに告げるのだ。ママのことが大好きで、現実とも夢とも区別がつかないコナーはママのベッドにもぐり込む。5分だけね、5分だけ・・・
祖母とはそりが合わず、絵が好きでいつも空想ばかりしていて、学校ではいじめっ子に殴られるコナー。で、強くなりたいという願望の具現化なのかと思わせるほど巨大な怪物。曾祖父が持っていたという映写機で見た『キングコング』が関係あるのかもしれないと想像しつつも、母親の言う“癒しの木”とも関係ありそうな、不思議な巨木なのだ。
怪物の1話目は黒の王妃と若き王子。後妻となった王妃が王様を毒殺し、1年間摂政になったが、さらに王子に求婚して王制をわが物にしようとする。王子には農民の娘という民も認める恋人がいたため駆け落ちするのだが、木の下で恋人が殺されてしまうのだ。王子は王妃が犯人だとして失脚させる・・・しかし、真実は王様は老衰のため死亡し、恋人を殺したのは王子だというとんでもない話。
2話目は薬師の秘薬。村で慕われていた牧師が効かないと吹聴したため薬師は職を失う。しかし、最愛の二人の娘が病気になり、医者の治療でも治らなかったために、牧師は薬師の薬に泣いてすがるのだが、治そうとせず、そのまま娘たちは死んでしまった。巨木は牧師の信念が無いと怒り、牧師の家を破壊したのだ。コナーの前から巨木が姿を消したと思ったら、コナーは祖母の部屋の家具を破壊しまくっていた・・・
3話目は透明人間の男。誰にも気づかれないため透明になった男がするべきことは、無視する奴を殴れ!(短か・・・)と、コナーはいじめっ子のリーダーを殴って殴って殴り倒していた。訴訟を起こすとまで言われ、祖母に対しても迷惑かけっぱなしのコナー。コナーに会いに来ていた実父に対して「罰しないの?」などと問う。やがて、祖母とは最初からやり直そうと前向きな言葉をもらって落ち着くが、その後、巨木の怪物から「真実を話せ」と迫られる。
巨木の怪物はどことなく不条理でメタファーだらけの真実の話。コナー少年は母に関する真実を語るのだが、それもちょっと現実的すぎる内容でした。キングコングはどうなったんだ?などと考えているうちに素直に感動することを忘れてしまいました(真実)。それでも、祖母が用意してくれた新たな部屋と、母親の遺したスケッチブックに描かれた真実の物語の絵には不思議な因縁を感じ、じわりと心に染み入る作品となりました。
矛盾と共に生きるということ
怪物は孤独な少年の妄想の産物かと誰もが思っていたところで、あのエンディング。
母も昔は同じように孤独な少女で、彼女が広げた空想の翼が愛する息子に人生の矛盾と生き抜く強さを教えていたのだと。
祖母と母、母と父、母と少年。決して美しくはないけど根強い絆がそこにあって、怪物はその化身だったのだと。最後の最後で涙が溢れた。
芸術的でもあり、すばらしい映画でした。
ダークではない
ダークファンタジーというわりには、なんかお粗末。
怪物が語る話がどれも安いというか、よくある話というか。
4つ目の話はお前自身の話だ〜真実を話せえ〜と
さんざん話せ〜話せ〜と主人公にせまるが、その真実というのが…
は?そんだけ?なにいってんだこの少年?
ダークファンタジーというか家族愛に少しホラー要素を加えました、という最後はほっこり。
お母さんは病気で助からないが、ばあちゃんはそんなやな人ではないし、親父さんもこの息子をすごく愛している。
いじめっこにはやり返してるし。
感想書くのも馬鹿馬鹿しいくらいつまらなかったが、これもチェックしてたから一応。
心を抉られる作品
少年が自分の中の怪物と向き合う話。中学生の頃に読書感想文を買うために読み、最近実写化したとたまたま知り鑑賞。中学生の時も深く感銘を受けたが、少し歳をとってから改めて見るととても心を揺さぶられる。人は矛盾していて当然。大切なのはどう行動したか。勇気をもらいたい時に見たい一本。
物語(ファンタジー)は、真実
見る前は『パンズ・ラビリンス』のようなダーク・ファンタジーと思っていたが、確かにダークな雰囲気ではあるが、ちょっと違う感じがした。かと言って、夢見るような純度100%のファンタジーでもない。
子供にも大人にもほろ苦く、その後でほんのり甘みが包み込む、ビターでスウィートなファンタジー。
ファンタジーはヒューマン・ドラマ以上に教訓や下地になるものがなければならない。それが無いと、ファンタジーはただの偽物になってしまうからだ。
その点、本作は非常に巧い。
ある孤独な少年が居る。
両親は離婚し、母親は難病。
厳格な祖母とは気が合わない。
学校ではいじめられ…。
少年が抱える不安、悲しみ、苛立ち、怒り…。
突然少年の前に現れた木の怪物が語る3つの物語が、それとなく少年のその時の心情を反映させている。
ある王子の物語、ある調合師の物語、ある透明人間の物語…。
それはいずれも、不条理で矛盾してる物語ばかり。
単純に割り切れない人の善悪。世の中、綺麗事ばかりじゃない。
少年が今、突き付けられている現実世界そのものだ。
怪物は3つの物語を話した後、最後の4つ目の物語は少年が話せと迫る。
それは、少年が抱えている“真実”を吐き出させる事。
少年はその“真実”を認めたくない。
が、認めなくてはいけないのだ。
その“真実”は辛い。
“真実”から目を背け、“嘘”にばかり耽っている方がもっと辛い。
私も数年前にあった。
何処かで“嘘”を望んでいた。何か奇跡が起こって助かるんじゃないかと…。
でも、“真実”がもう目の前に迫っていたのも分かっていた。母親の死という…。
少年の前に現れる怪物は、少年の空想なのは明白。が、現実なのか空想なのか、時々境が曖昧な描かれ方が面白い。
怪物が話す物語は、水彩画のようなアニメーション。その幻想的な表現。
少年役ルイス・マクドゥーガルが素晴らしい。ピーターパンが成長していた。
母親役フェリシティ・ジョーンスは勿論、最近スペシャルゲスト的な役が続いたシガニー・ウィーヴァーも祖母役で印象的な演技を見せる。
モーション・キャプチャーで怪物を演じたリーアム・ニーソンはさすがの存在感。
ファンタジーではあるが、少年の繊細な苦悩や葛藤のドラマ、家族のドラマとしても上質。
『インポッシブル』や本作など、J・A・バヨナはドラマとVFXの巧みな併せに長け、今夏の某恐竜映画の続編でもどんな手腕を奮うか楽しみだ。
最後、少年は母親が描いたある本を開く。
そこには…。
物語(ファンタジー)は、真実。
真実を語れ。
自分の心に溜まったストレスをすぐ吐き出す人はいるが、やたら
迷惑極まりない人間が周囲に多いせいか、溜め込んでいる人達は
大丈夫なんだろうかと心配する。ある程度の我慢が美徳だろうと
13歳の少年に吐き出せる場がないのは辛い。重病の母親は優しく
て言えない、そりの合わない祖母になどもちろん、離れて暮らす
父親は息子の気持ちにも気付かない、もう八方塞がりじゃないの。
そこへ巨木の怪物が登場。彼が話す3つの物語はシュールで説得力
のある話ばかり、最後にお前が真実を話せと怪物は少年に迫るが…
全編を通して重苦しいイメージが強く、気持ちを解放する必要性
を強く感じる。意地悪にみえた祖母の孫への思い遣りには泣けた。
重い鉛に繋がれた少年の心が、解き放たれる感動。
原作はヤング・アダルト向けの小説だというけれど、描かれている内容は大人の鑑賞に堪えうるどころか、完全に哀しみや失望を知った大人のためのフェアリー・テールという感じで実に深遠。映画を見終えた後で思わず原作本を買いに書店に入りました。
主人公のコナー少年は、13歳の小さな身体の中に、本来は抱えなくてもよい筈の罪の意識を封じ込めて、まるで罰せられることを待ち侘びているかのように日々を送っている。クラスメイトからの酷いいじめに耐えているのも、自分は罰せられて然るべきだと考えているから、という風に見える。そしてそんな罪の意識や悲しみや失意が、その小さな体では閉じ込めきれなくなって、こころが完全に押しつぶされかけている時に、巨大のイチイの木の怪物が、二面性のある矛盾を抱えた物語を話して聞かせるというストーリー。怪物の話す物語は善と悪や正と否とが反転したような結末を迎える。それが、重たい鉛に繋がれたような少年のこころや、矛盾だらけで説明のつかない感情に徐々に共鳴していく様子がとても情感的で実にドラマティック。主演のルイス・マクドゥーガルはまだまだ10代前半の少年なのに、悲しみと失意を少ないセリフであんなにも表現できてしまうなんて本当に凄い。
映画は悲しい結末を迎えるが、だから涙が出るわけではない。寧ろ、罪の意識や失望に縛られて身動きが取れなくなっていた少年のこころが、ようやく解き放たれて自由になるのを感じて、その解放感に思わず涙が溢れた。同時に感じる、母の深い愛にも。
原作小説を読んで改めて驚いたのは、映画の脚本は原作の小説をとても短く刈り込んでいながらも、映画の中で語り足りていない部分がなかったことだ。映画を観ていると、劇中には描かれていない原作の要素まで、きちんとこちらに伝わっていた。原作者が映画脚本を担当した強みと、映像と演技によって言葉など使わずとも伝えられる演出力を感じる体験だった。
とても静謐で深刻な内容の映画なので、見る人を選んでしまうかもしれないが、水彩画や水墨画を思わせるアニメーション映像の美しさや、役者陣の素晴らしい演技、そして神話のように含みのある物語は見る価値があると思う。
エンドロールで、インストゥルメンタルが2曲流れた後で歌ありの曲が最後に流れるが、その曲がまた、まるで心に羽をつけてまさに飛び立とうとする少年の心そのものを謳ったかのように雄大かつ清々しい佳曲なので、是非エンドロール最後の曲まで聴いてから席を立つことを薦めたい。
英国ファンタジーとスペインの光と闇の文化の融合
J・A・バヨナ監督の初期作、『永遠の子どもたち』が好きなので観に行きました。
原作の予備知識がなかったので舞台がイギリス(湖水地方?)ということを知らずに見ていました。
病気(癌?)を患った母親と二人で暮らすコナー。
母親の死期が近いことを悟りながらも気丈に生きようと必死でもがく中、近所の教会が建つ丘の上の木が怪物と化して彼に3つの話をする。
国を支配する地位を得るために、愛した人を殺した王子。
自分を陥れたのにもかかわらず娘の命を救うことを懇願した牧師の願いを退けた調剤師。
透明人間になった男。
そして怪物から第四の物語を話すことを強要される。
個人的には第二の物語の信念を貫くという、テーマがとても印象に残った。
怪物の物語とコナーの現実がリンクするように物語は展開され、最終的に彼の口から語られた第四の物語は彼の母親に対する今の実直な思いだった。
「本当はお母さんの死で早く楽になりたかった。」
親の介護を担っていた人から出てくるならまだ分かるが、こんな小さな子供からこんなセリフが出てしまうような状況を思うと、とても胸が痛んだ。
父が認知症の祖母の介護から解放された時も、不謹慎ながらきっとほっとしたことだろう。
途中、怪物とお母さんとの接点が描かれていて、もしやこの怪物や物語を想像したのはお母さん?みたいな描かれ方をしていたのも、にくい演出だった。
舞台がイギリスというのは物語が進んでいくうちに判明したけど、原作がイギリスの児童文学ということは後でパンフレットを読んでわかった。
人の心の闇に問いかける演出は本当にうまかったし、またその背景にあるファンタジーの要素もちゃんと出されていて、まさに英国ファンタジーとスペインの光と闇の文化の融合だと思った。
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