「優しい話ではある」怪物はささやく fall0さんの映画レビュー(感想・評価)
優しい話ではある
嫌悪や怒りや諦めなど、自分の中にある負の感情を肯定してくれる話。そういったものに向き合い、受け入れることは「勇気」だと、伝えてくる。
怪物がコナーの色々な内心や、薄々察知している事を表面化する。嫌悪している祖母は悪人ではないし母は誰のせいでもなくただ死に向かっているのだということ。信じれば母の病気は治るのだという願望と、母の死を仄めかしてくる祖母や父に対する失望や怒り。居場所の無い寂しさを打ち消す為に、それから自罰の為に、暴力を受けていること。自分を罰したいという願望の裏にあるのは、母の延命を望むのと同じ位かそれ以上に諦めたがっている後ろめたさである事。
「僕は自分から手を離した」と打ち明けることで、コナーは自身の弱さと向き合い、母の死を安らかに受け入れる事ができる。
負の感情や、人の心の複雑さや、善悪の多面性を、「そういうものだ」と受け止めてくれる作風は優しいけれど、なんかヌルいなぁ…と感じてしまった。ファンタジー側の画と現実側のストーリー展開の、2点で。
第二の物語で部屋をめちゃくちゃに荒らすあたりまでは、制御できない怒りや、それに恐れおののく様子がうまく描写されてる印象だったんだけど。
第三の物語で同級生に暴力を振るうシーンや、第四の物語での母の死を象徴する悪夢は、サラッとしすぎというか、もっと恐ろしく描いても良かったと思う。一番メインの第四の物語「母の延命を諦めたい、疲れた」なんて認めるの、物凄く恐ろしいはず。万能感に包まれた子供時代を抜け出しきれていない年頃であれば尚更、醜く弱い諦めの気持ちと希望を持ち母親を愛する気持ちとの葛藤は強いだろうと思う。自分に向き合う恐怖心を描くなら、もっとエグくて目を背けたくなるような心象風景になっても良かった気がする。(パンズラビリンスのスタッフ、っていう宣伝文句があるから余計そう思うのかも知れないけど…戦争描写の残虐さやファンタジー世界のグロテスクさがすごかったので、恐ろしいものを恐ろしく描く技術、もっとあるでしょと思う。)
また、コナーは自分が何かしでかすたびにそれでも罰が与えられない事にショックを受けるわけだけど、大人たちはコナーに罰を与えない。寛大で賢明な判断とも取れるけど、ヌルいといえばヌルい。コナーが「自分でも分かっている」事に、大人は気づいているのだと思う。ただでさえ自分と向き合っていく最中の難しい年頃で、そんな折に母親の病気という辛い現実に直面して、やり場のない悲しみや怒りをうまく発散できない。負の感情と上手に付き合うにはそれなりの訓練が必要で、まだそれができてない年頃だから、失敗して物や人を傷つけても、罰は与えない。コナー自身も自省して何が悪かったか理解しようとしているから。
罪を自覚した時点でその人は赦される、っていうのは精神世界的な信条としてはアリだけど、やっぱり現実の社会では(いくら未成年でも)やらかし過ぎたら取り返しのつかない事になるので、なんかそこの、ファンタジーにおける赦しと、現実世界における許しは混同しない方が納得感あるなぁと思った。