「憎悪はいつどこから生まれるか」ラビング 愛という名前のふたり masakingさんの映画レビュー(感想・評価)
憎悪はいつどこから生まれるか
仕事帰りに発作的に映画館へ行き、予備知識の全くないまま、消去法で選び鑑賞した。
ヴァージニア州の法律の理不尽さに驚くが、おそらく彼らは何の疑問も抱かずに淡々と遵守していたに違いない。
根本が憎悪なのか、種の保存本能なのか。そこが判断つきかねるわけだが、驚くのはそれを観ている時の自分の感情である。
夫婦の動静に異常なほどに敏感な保安官や、同じ地域で共に生活していながら夫婦の動きを逐一密告している誰かの存在に、憤りを通り越して、憎悪さえ感じてしまっている。
これが差別が生む、恐ろしい副作用なのではないか。
差別する側の憎悪は、差別を受ける者やそれを端から見ている者の憎悪を生む。時には後者が前者を上回ることも十分に考えられるのだ。
テレビドキュメンタリーも含めて3度目の映像化ということを鑑賞後に初めて知った。
なぜ今、この作品なのか。
ラビング夫婦が、憎悪には憎悪でなく、法と愛情を同じベクトルに働かせて闘い続けたという事実こそが、この問いに対する答えになるだろう。
最高裁の判事に向けた夫リチャード・ラビングの一言は、どうやら実話であるようだ。
彼こそが、古き良きアメリカの良心だ。それを取り戻すための長い闘いにアメリカは向き合っている。
それを傍観する我々は、どのような形の愛で関われるだろうか。そんなことをぼんやりと考えてしまう。
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