「アニメ化の意味はなかった」打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? Geso_de_Nyoroさんの映画レビュー(感想・評価)
アニメ化の意味はなかった
これまでインプレをカキコしておられる方々がご指摘されている〝ダメダメ〟な点には自分も同意する部分が多いのでココでは控えますが、正直アニメ化する意味を全く感じない作品でした。
コレ、1993年ドラマ放映時にはどう言う評価だったんでしょう? 平成5年、バブル崩壊で日本中が混乱していた時代。そんな四半世紀前のネタと風味をマンマ現代に持ってきてもピンと来ない人も多そうですし。
あくまで個人的な想像ですが、新房・竹内両監督らも「ヨシOK! コレでいきましょう!!」的な確固たる自信と手応え殆どなく「…どうですか?」「…うーんこんなモンじゃないスかね?」「とりあえずコレで良いんじゃないですか?」みたいな曖昧で良く解らないまま、手探りでグズグズな長々しい制作進行であった様な印象を想像してしまいます。
片やキャストの2人はインタビュー記事を読んでの通り(字面通りに受け止めれば、無難にこなしとけ的に)こんなノリと意気で取り組んでいいのか?とチョッと微妙でしたし… 但しライターの文章力も影響するので一概に言えませんが。
制作方法もナゼかプレスコで声優素人に対して敢えて難しいと思われる手法を用いてるし収録も1年半以上前。映像もパット見の綺麗さはあっても細かい詰めが甘くシャフトらしくない。制作現場にもイロイロ不可解や不理解があって、それら全てを大人の事情で飲込み、無理矢理建て付けた感が拭えない結果となって現れたのか、と。結果コレ誰が得するのか?な凡作になってしまったと言う。
実写映画だったら恐らく全く違う印象になったでしょうし、こう言う作品こそ実写再作すれば良いのにと無責任ながら思うのですが…
自分は、作品の善し悪しを大雑把な評価として〝もう一度観たいか?一度で充分か?〟で判断しますが、今作は残念ながら後者です。
自己コメってのも妙ですがw
よくよく考えると、根本的にタイムリープネタって言う解釈は恐らく間違いですねコレ。ソレは脚本と演出も勘違いしてると言える部分じゃないでしょうか。
当時〝If もしも〟が根本のテーマで、登場人物が〝もし別の選択をしていたら?/もし逆の結果になっていたら?〟を、その分岐する時点へ『リセット』する(サクラダリセットの方がネタ的に近い?)もので、水泳で典道が負けた場合の意思や記憶などが典道が勝った場合の世界で残ってたり持ち込まれたりしてはいけない筈? だが典道は後半の展開で意図的に時間を巻き戻す行為に及んでいて(実際は巻き戻すと言う意志があってはならない)、そんなネタの基礎が不十分な建て付けの上に制作されたために、こんな妙な違和感を生んでしまったのでは? と解釈しました。
まどマギのほむらチャンの前例があったからこうなっちゃったのかな? と思ったりw ほむらチャンはまどかを救うため失敗した時点で時間を巻き戻すが、戻った時点で失敗の記憶が残っています。サクラダリセットのケイの様に…