「魂に塩を塗られたようなヒリヒリ感」静かなる叫び りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
魂に塩を塗られたようなヒリヒリ感
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の2009年作品。
1989年12月、カナダのモントリオール理工科大学で起こった銃乱射事件を、人物に変更を加えての映画化で、主に3人の登場人物を中心に描いていきます。
ひとりは、理工科大学の女子学生ヴァレリー(カリーヌ・ヴァナッス)。
彼女は求職中で、航空機のエンジニアになることが目標。
それは、まだ男性優位の職場で、女性にとっては狭き門。
もうひとりは、ヴァレリーのクラスメイトの男子学生ジャン=フランソワ(セバスティアン・ユベルドー)。
彼にとっては、学校の授業は高度で、なかなかついて行けず、ヴァレリーのノートを借りたりして、しのいでいるような状況。
そして、犯人(マキシム・ゴーデット)。
彼は、自身の不遇な境遇の原因を、女性優遇制度の社会に求め、フェミニスト憎し、それが昂じて、女性憎しとなっている。
そんな彼が、女性を標的に、銃を乱射し、最後には自殺する。
日常の何気ない学校生活が、突然の暴力で破られる。
それを捉えるモノクロ・シネマスコープサイズの画面がヒリヒリする。
ヴィルヌーヴ監督の演出スタイルも、かなりしっかりと固まっている。
静謐といってもいいような、ゆったりと動くカメラと、突然の手持ちカメラの混交。
静と動の対比が効いた演出である。
そして、少々時制を前後させる語り口。
巻頭、学生が集まるコピー室で突然響く銃声。
犯行前の犯人のモノローグ。
ヴァレリーの求職活動の様子。
ジャン=フランソワの学生生活。
そして、乱射事件・・・
乱射事件後の、時制を前後させた描き方も、意表を突かれる。
事件を途中でぶった切って描かれる、事件後のジャン=フランソワの生活。
再び、事件中のヴァレリー。
辛くも生き残る彼女と、ジャン=フランソワが交差するシーンにもハッとさせられる。
そして、犯人の自死。
額を打ち抜いた犯人から流れる血が、隣に斃れている犠牲者女子学生の血だまりが混ざり合うのを、俯瞰で撮ったショット、その印象の鮮烈なこと。
終盤描かれる、事件後のヴァレリーの独白(差し出すことのない、犯人の親へ宛てた手紙の一節)も印象的だ。
「わたしたちは憎悪に縛られている。犯人であるあなたの息子は自死によって、その憎悪から解放されたが、わたしは、いまも、何かに縛られている・・・」
映画の惹句は「あの日のことは今も 私の魂を揺さぶる」であるが、観終わったわたしには、魂に塩を塗られたようなヒリヒリしたものが残っている。