パターソンのレビュー・感想・評価
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幸福
人間は幸福を求める習性がありますが、幸福とは何か、と問われるとよくわからない場合が多いかと思います。10人いれば10通りの幸福観があるでしょうが、この映画では、幸福な人生の1事例が発表されているような印象を受けました。パターソン夫妻、ホント幸せだわ。
パターソンさんの毎日はルーティーンですが、彼の内面は常に新しい出会いに満ちており、しかも詩としてアウトプットする力も備えている。なんて豊かで幸せなヤツなんだ。
感受性が強いと些細なことで揺れやすく、メンタルが不安定な人も多いですが、パターソンさんは安定している。メンタルが安定しているから仕事も続けられ、その結果経済的にも安定している。安定の連鎖!幸せだ!運転中に客の話を聞いてニヤッとする彼を見ると、基本的に人間好きなんだろうね。
そしてパートナーのローラちゃん。ラディカルで移り気、可愛いけど一緒に暮らすには癖が強くファンキーすぎるタイプだと思います。しかしパターソンさんはローラちゃんとうまくやれている。互いに欠けているものを補いあった関係のように思えて、それも幸福だ。
また、パターソンさんがギターの出費とかメシがマズいとか、結構我慢しているのもいい。でも我慢よりも愛がだいぶ勝っているので、大きな視点で見れば我慢と言っても些細なもの。折り合いながら生きる方が、成熟を促されるため長い目で見ると幸せだと思います。
細かい出会いも幸福です。詩人の少女とか、日本の詩人とか。特に後者の出会いは、パターソンさんの再生(と言うと大袈裟だが、マービンに詩のノートを食い破られるのはある意味死の象徴なので、プチ死と再生が起きている)に一役買っており、そんな白紙のノート送られたら、幸せでアーハ?って言いたくなります。
出会いには幸運な側面もあるけれど、パターソンさんは出会いを幸福なものにする能力があるようにも感じます。
そして、本作に彩りを添えているのが、いかにもジムジャーって感じのギャグの数々。ジムジャーのギャグはオチをつけてハッキリと笑いを取りに行くベタなタイプではなく、反復とかヘンなこだわりとか、後からジワジワくるナンセンスなタイプ。これも彼の作家性のひとつでしょう。
やたら出てくる双子とか、韻を踏んでいるとも言えるし駄洒落とも言えますが、「また出た」みたいな反復ギャグだと認識してます。あとあの不穏なBGMとかもナンセンスなギャグなんだと思います。
このような、意味がなくて無駄な演出こそが余裕の現れであり、その余裕も幸福に寄与してるんだな感じました。
合理性を追求し、無駄なく生きている現代社会に対して、ジムジャーは一貫してアーハ?って言い続けて来た人だと思います。そんなジムジャーの哲学が結実したような傑作でした。
個人的には、初期3部作以来の名作だと思います。
日々是好日
ジム・ジャームッシュ監督最新作。とはいえ
自分はジャームッシュ監督作品をまだ2作品しか観ておらず、
過去作との比較とかはできないのですが
まあひとつ Uh, huh. と聞き流してください。
ニュージャージー州パターソン在住のバス運転手・パターソン。
今どきスマホもPCも持たない彼の趣味は、詩の創作。
恋人と愛犬と共に暮らし、穏やかな毎日を過ごす彼の、
なんでもないような、なんでもあるような1週間の物語。
...
パターソンののんびりおっとりしたキャラや、
彼の日常を囲む人々がユーモラスで魅力的。
芸術肌で気ままな恋人(白黒大好き)は、
ちょい散財気味で、パイ作りの腕もアレだが、
パターソンの大切にしているものをちゃんと
理解してくれてる。大事なのはそこ。
バーの主人は故郷とチェスをこよなく愛するナイスガイだし、
未練たらたら男エヴェレットはダメダメだが、だからこそ
彼は打ちのめされた人への同情を抱く事が出来る。
そして毎日同じソファに鎮座するブサカワ犬マーヴィン君。
忠実なんだかワガママなんだか、何考えてるのか
良く分かんない(笑)。大事なノートを食べちゃっても、
あのシュンとしてる顔を見ちゃうと怒り切れない。
...
パターソンの1日のサイクル。
恋人と目覚め、朝食にシリアルを頬張り、
徒歩で職場へ向かいながら詩を練り上げ、
バスを運転し、帰宅し、恋人と話し、
犬を散歩させ、ついでにバーに寄り、眠る。
月曜から金曜日までずっとこのサイクル。
だがそんな決まりきった毎日でも、
よっく見れば新たな出会いや発見に溢れているわけで、
例えばバスの運転中に聴こえてくる乗客の会話は様々だし、
恋人は新作料理に塗装にギターにと毎日違うことをしてるし、
バーではパターソン在住の有名人情報が日々更新されるし、
通勤路やコインランドリーで思いがけず
同じ趣味を持つ者に出くわすこともある。
...
パターソンの詩はそんな日常そのものが材料だ。
「ただの言葉さ。いつかは消える」
自作の詩をまとめたノートをズタズタにされた彼は
恋人(と自身)を落ち着かせる為にそう言ったが、
失われたノートは言うまでもなくただの紙の束ではない。
あの詩集は、時間と共にかすれて消えてしまう
日々の記憶と、そこから生まれた感動とを、
自分の人生に少しでも長く繋ぎ止めようとした記録だ。
マッチ、雨、車窓からの風景、恋人への想い、歌の一節、
なんでもない日常の中になんでもないように転がるものを、
言葉によって拾い上げ、磨き上げ、美しさを見出だす。
そこから伝わる感動は写真とも違う、絵画とも違う、
まさに言葉にしか伝えられない感覚のものだ。
だが同時に、言葉は儚く脆い。
感覚の海にその日その瞬間ぽかんと浮上した言葉を、
後から振り返ってすくい取るというのは至難の技。
だからこそ言葉は貴重で、書き残すだけの価値がある。
パターソンがコピーやら便利なスマホやらに
頼りたがらないのも、可能な限り、その瞬間に
拾い上げた唯一無二の言葉を大切にしたいという
想いからなのかも。
...
日々の何気無いものに目を向け、その価値を見出だす。
平々凡々に見える日々が、実は豊かなものであると知る。
そんな日々は続き、そんな日々は消える。
ふと呟いた言葉のように、過ぎ去った瞬間から
どことも知れぬ空虚へと消えてしまう。それを
形として遺そうとする行為は言い様もなくいじらしい。
鑑賞後、日常の何気無い出来事が、いつもより
ちょっと素敵に見えてくる、のんびりおっとり良い映画。
<2017.10.13鑑賞>
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余談:
永瀬正敏演じる謎の日本人。
ふわふわした言動でどことなく現実離れしてるが、
落胆したパターソンの心に火を点ける面白いキャラ。
あれはやたら堅苦しい天使か何かだったのかしら。
なんでもいいか! それでは皆さんご一緒にッ!
「Uh, huh.」
優しい気持ちになる
何か悪いことが起きるんじゃないかと不安になりながら観てて、ノートのこと以外はそんなに悪いことは起きなくてホッとして、犬ちゃん攫われちゃうんじゃないかとか、バスで大きな事故が起こるんじゃないかとか、ギター通販は詐欺なんじゃないかとか、カップケーキ売れないんじゃないかとか、めっちゃ美人の奥さんが、エキセントリックで危なっかしそうに見えて、歌をやっても成功しちゃうのかもしれないと思って、ほほえましくなった。夜中のランドリーでラップを作ってる人が良かった。自分の日常も詩的なふうに見てみたくなった。
マーヴィンかわいい、いや全部かわいい。
詩の芸術性を味わう素養がなく、英語の詩なんて更にわからないけど、雰囲気だけでも十分楽しい映画でした。
パターソンみたいに暮らしていけたらいいなと思います。
食うに困らぬ仕事、趣味、馴染みの店、マーヴィンとローラ、乗客の会話の盗み聞き。
同じことの繰り返しのようでいてドラマチックな日常。
いいなと思いました。
ふたごリフレインとか、街の名のパターソンと主人公の名前のパターソンとか、飲み屋の壁の殿堂入りとか、日本人の詩人の存在とか、わからないことはたくさんあるんです。私には難しいだけなのですが。
でも、ローラ面白いし(水をがぶ飲みしなあかん=ま◯い料理とか)、バスの乗客の会話もふっと和むし、何よりマーヴィンが、可愛いすぎるやろってことなんですよ。
毎日ポスト蹴ってたんかなー?、散歩ルード変えたら嫌がるとか、ちょっとローラと仲悪いよねとか、詩のノートをあれしちゃったとか、ソファーに駆け上る仕草もいちいち可愛い!はっはっはっはってゆう息さえもかわいい!!!と思いました。
詩を愛するパターソンも可愛いです。詩的なものを見つけたら近づかずにはいられない。道端の女の子も、コインランドリーのラッパーも。
ノートが粉々にされてマーヴィンを許せない時の顔の可愛いこと。
一番かわいいのは、ローラにありがとうを何度もいい、ローラのすることを何度も褒め、ローラに何度も口付けるパターソン。それがあたりまえであるパターソンですね。
詩が読みたくなる
ジム・ジャームッシュの映画を久しぶりに見ました。
パターソンって本当にあるんですね、ニュージャージー州に。
パターソンとローラはどうやって知り合ったのかなと思いました。高校で一緒だったのかな? だってこの二人、そんなにうまくいってるようには見えなくて。5年後も一緒にいるでしょうか?
NYも遠くはないのに、ローラははたして今の生活に満足しているんでしょうか? 昼間 彼女は何してるんだろう? ギターが欲しくなる気持ちもなんとなくわかります。カップケーキを作ってファーマーズマーケットに売りに行く。彼は来ない(家で詩作)。本当は彼にあのキケンなバーにも行ってほしくないし、携帯電話だって持ってほしいと思っている。
二人がいつマリーとエヴェレットみたいになってもおかしくないなと感じました。紙一重のところでつながっている、みたいな。
エヴェレットがバーで暴れたとき、パターソンがとびかかったのはちょっと意外でした。ただ傍観し観察するだけの人かと思っていたから。
でもこんなハプニングがあったのに、ローラにその話をするのは翌朝なんですね。彼が帰った時、彼女はもう寝てたんだ。お互いにあまり干渉しない方がうまくいくのかもしれません。
ケーキの売り上げで映画を見に行き帰宅すると、愛犬が彼の大切な詩のノートをぼろぼろにしていた。これは、芸術が日常や現実の生活に脅かされるという事なのかな、などと考えながら見てました。
猫派だけど犬もかわいい。
とにかくインスピレーションがかきたてられるすてきな映画でした。
Would you rather be a fish?
かなり難しい作品。『ポエム』という日本ではあまり馴染みのない世界での、ある若い夫婦の1週間を描いたものだが、その何気ない日常の中にもちょっとした事件が起こる度、詩の題材やテーマ、それを端に発する夫婦の会話や優しさが映像に滲み出てくる流れである。BGMが少々オーバー目な雰囲気をだしているので、サスペンス的要素が現われるのではと思うのだが、別にそれ程酷い状況にはならない。勿論、主人公にとっては大事件なのだろうが・・・
鑑賞していて思うのは、ニューヨークの上に位置するロケーションの良さをベースに、風光明媚な滝、アメリカの古い町並み、適度に都会で適度に田舎的な雰囲気が、この作品にかかせない大事なところだということ。なんせ、主人公の役名がそのまま町の名前なのだから。そして、一種幻想的に誘う、双子の大量出現。ネットで調べてみてもこの町の双子の出生率についての記述が見当たらないので、単に演出上の効果なのだろうが、でも充分その登場が作品のスパイスを利かせている。ちょっと変わってはいるけど、決して踏み外さない程度の逸脱さ。ダイバーシティというのを綺麗に扱った作品としてもなかなかの傑作だ。
考えてみれば、この手のジャンル、日本の方が得意なんじゃないかなと思うのだが。そういう心の機微を丁寧に慈しむ映画である。
一言で言えば、『いっぷくの清涼剤』
レインコートを着てでもシャワーを浴びたい!
ここ数年ほど年間200本以上映画館で映画を観ているが、本当に面白い!観て良かった!と思える作品には年間数本しか出会えない。
まさに本作はその1本に当たる。
本作の監督であるジム・ジャームッシュの作品を観るのは『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ダウン・バイ・ロー』『ミステリー・トレイン』『ナイト・オン・ザ・プラネット』『デッドマン』『ブロークン・フラワーズ』『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』、それに『10ミニッツオールダー』の短編を入れて9作品目になる。
シネフィルのジャームッシュはかつて撮影監督として宮川一夫を起用したいと思ったが、既に高齢だった宮川が断ったというエピソードがある。
この宮川はフランスで宮川週間と銘打った特集上映が組まれるくらい有名な映画カメラマンである。
『羅生門』で志村喬演じる杣売りが山道を歩くシーンで志村にS字の道を歩かせることで移動カメラを2度またがせてワンカットにまとめることに成功したり、溝口健二からは撮影の構成やカメラの位置はすべて宮川に任されていたり、とにかく日本を代表する巨匠たちから信頼の厚いカメラマンである。
前回観た『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』も期待せずに観に行ったのだが、生きるのに飽きたヴァンパイアのカップルが主人公という設定が秀逸だった。
男ヴァンパイアは音楽狂で音楽知識も豊富だが今はそれすらちょっと飽きていたり、各時代時代の有名な作家と友達だったりと知的好奇心も満たしてくれる。
女ヴァンパイアの妹が登場して物語は急展開するのだが、2人のカップルがとにかく波風を立てないように生きていたいと願うのには笑ってしまう。
ただ確かに数百年生きていればそうなるだろうなと妙に納得してしまった。
さらにいろいろな引用にも洗練されたものを感じた。
そして同じことが本作にも言える。
パターソン市に住むパターソンという名の男の1週間を追った物語だ。
起床して、バスドライバーとして働きに出て、始業前にノートに詩を書き、中東アジア系の彼女の持たせてくれた弁当を食べながらまた詩をノートに書き、インド系の上司から自宅の愚痴をこぼされ、帰宅する際倒れたポストを直し、彼女とキスする度に吠える愛犬マーヴィンの散歩がてら行きつけのバーに行ってビールを1杯注文して黒人のマスターと他愛ない話をする。
多少の異同はあるものの土日を抜かせばほぼ変わらない毎日を過ごしている。自宅正面を捉えたカメラアングルは常にいっしょである。
活動的で常に何か新しいことを始める彼女とパターソンはまったくの正反対だ。
パターソンは地味で仕事着以外でも毎日似たような服装だが、内面は詩という自分だけの宇宙を持っている。
一方彼女は服装も含めて常に新しいことを求め続けるアバンギャルドな性格だが、どこか表面的で微妙に悪趣味だ。
穏やかな自宅を勝手に改装していって草間彌生のような神経質で落ち着かない空間にしてしまったりする。
美術館で観る分にはいいけど、自宅ではちょっと…と思ってしまう。
ただそんな彼女の行動をあまり肯定はしていないながらもパターソンが許せてしまうのは、彼の内面が豊かで余裕があるからだろう。
パターソンはスマホどころか携帯電話も持っていない。
筆者も携帯電話自体持つのが遅かったし、いまだにスマホではない。
しかしつい最近ライブで本人認証の際にスマホかタブレットが必要なことがあり、うっかり注意事項を読み忘れて必要な画面を印刷することも忘れてしまい会場で相当苦労する羽目に陥った。
また過去に携帯電話自体を解約してみたこともあるが、知り合った人から「携帯の番号交換しましょう」と言われ、「いや、持っていなくて」と答えるとほぼ全員から呆れた顔をされた。
昔はなくても平気だったのに徐々に社会が我々の生き方を規定していく、まさにパターソンと同じ経験をしたし、現在進行形でそれを感じている。
電車に乗ってもスマホ画面を見るために顔を下に向けている人を多く見る。都会も地方も変わりはない。
スマホを持たない筆者からは異様な光景に映る。
ジャームッシュは詩という内面世界を提示することでめまぐるしく変化してがちゃがちゃと騒々しい現代社会に静かに抗議している。
たしかパターソン家にはテレビもなかったように感じる。
本作を観た友人が「最近の映画は貧乏人は不幸せに我慢しろと暗に伝えてくる映画が多いが、『パターソン』からはあまり裕福でなくても人生をポジティブに捉えるメッセージが伝わってくる」と言っていた。
たしかにバスドライバーという職業はセレブからはほど遠いが、パターソンのように自分たちの考え方1つで世界は豊かになると示してくれる。
土曜日に2人で過ごす最高の贅沢が古い白黒映画の鑑賞なんて実につつましやかではないか。(彼女のギター購入は相当な散財っぽいが…)
時折映る軍服姿のパターソンの写真があるがイラクやアフガンで従軍したのだろうか?バーでエヴェレットのオモチャの銃を取り上げるシーンの伏線になっているように感じた。
重要な役割を担う大阪出身の詩人永瀬など、本作はパターソン以外主要な登場人物に白人がいないユートピアを体現しているようだ。大上段から人種差別を語ることなくメッセージを込めているのもスマートだ。
ある種の符牒のように毎日登場する双子、バスの中で交わされる乗客の会話、どれも何か意味があるのではないか?と何度も観返したくなる作品である。
他にも詩人のアレン・ギンズバーグやフランス画家のジャン・デュビュッフェの名前などが出てくる。
ギンズバーグの詩自体は読んだことはないが、彼らビートジェネレーションを描いた映画の『オン・ザ・ロード』を観て、ジャック・ケルアックの原作の『路上』も読んだことや、デュビュッフェの絵を国立西洋美術館の常設展示で観たことなどを想い出させてくれた。
『スター・ウォーズ』の出演依頼注目の集まるアダム・ドライバーだが、本作も含めて『ヤング・アダルト・ニューヨーク』『沈黙』など面白い作品を選んで出演している印象を受ける。
詩は少ない言葉の中から無限の広がりを持たせることができるまさに宇宙だ。
小学生の時はテストで詩の解釈が正解と尽く外れて苦手意識を持っていたが、大人になってから短歌や俳句、漢詩、西洋詩などをいろいろと触れてみることで自分独自の解釈をしていいことに気付いてその面白さに目覚めた。
つい最近は頼山陽という江戸時代の詩人の漢詩を集中的に読んでいたが、漢文なので意味を取るのが難しいながらも無限の広がりを持つ詩をいくつも発見した。
筆者は本作の核をなすウィリアム・カーロス・ウィリアムズという詩人を知らなかったが、本作を観て興味を持ったのでいずれ彼の詩を読んでみようと思う。
ただし本編中で永瀬が手にしている本は実在しない小道具だから、日本語訳だけで読み「レインコートを着てシャワーを浴びる」ことになると思う。
ふつうの生活
ニュージャージー州パターソンに住むバス運転手のパターソン(アダム・ドライバー)。彼の1日は朝、隣に眠る妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)にキスをして始まる。いつものように仕事に向かい、乗務をこなす中で、心に芽生える詩を秘密のノートに書きとめていく。帰宅して妻と夕食を取り、愛犬マーヴィンと夜の散歩。バーへ立ち寄り、1杯だけ飲んで帰宅しローラの隣で眠りにつく。そんな一見変わりのない毎日。パターソンの日々を、ユニークな人々との交流と、思いがけない出会いと共に描く、ユーモアと優しさに溢れた7日間の物語。
ローラの夢であったカップケーキを市場で売ることがうまくいったお祝いにディナーと映画で過ごして家に帰ると大切な詩のノートが愛犬にびりびりに破られたいた、失意の日曜の公園で呆然とするパターソンの前に永瀬演じる謎の男が現れる。彼との会話が弾んでゆく。その男がパターソンに白紙のノートを渡される。これを機会に再び詩を書いてゆくパターソンであった。そしていつもの月曜が始まる。
幸せな気持ちになる映画
すごく素敵な映画だったけど個人的な感想としては映画館で観るよりは家でゆっくり観たい映画。
映画は曜日ごとに区切られていて、必ず冒頭シーンは2人の寝ている所を上から映している。
毎日寝方が違うので次はどんな寝方をしているんだろう?と楽しみだった。
パターソンの起きる時間がきっちり決まっていなくてまちまちなシーンを毎回映す所が何故か私はすごく好き。
毎朝パターソンが時計をつけながら奥さんにやさしいキスをするシーンが印象的だった。
その時の奥さんが王子様のキスで目覚めたお姫様みたいに起きるもんですごく可愛らしくて愛おしかったから。
あまり調べずに何気なく観た映画だったけど、主人公のパターソンは沈黙のガルペ役だった事を映画を見てから知ったので、鑑賞中1人心の中で驚いていた。
沈黙の時は顔をあまり見なかったけど、よくよく見るととてもかっこいい!あたりまえか(笑)
日常はいつもではない
単純だけれど、詩的な映画でした。
日常、いつも通りの一日と思っているけど、もう同じ日が決してないって事にふと気がつく。そんな風でした。
黒と白のマフィン、ドレス、壁、モノクロ映画、レンガ、バス、奥さんのギターと歌、ポストと犬、いつもの店、双子達、女の子の詩
パターソンの似たような日々を1週間描くが、日々何かが違う。 彼は毎...
パターソンの似たような日々を1週間描くが、日々何かが違う。
彼は毎日同じようなことを繰り返すが、バスの運転手として乗客の話に耳を傾け、バーでは色々な人と出会う。少し変わった彼女がいる。毎日散歩に連れて行く愛犬がいる。
そして、日々詩を書く。
そんな少し違った毎日を淡々と描いているが、飽きさせないこの作品は美しく、愛おしい。
また愛犬の日々が可愛く、ずっと観ていられる。
「詩を翻訳することはレインコートを着てシャワーを浴びるようなもの。」
永瀬さんが最後に言っていた言葉をパターソンも共感していたことがとても印象に残った。
その言葉にパターソンが救われたように感じた。
後からジワジワ
見終わった後、穏やかな気持ちになり、それで終わりかなと思っていたら、翌朝、なんだか、それだけじゃないなと思えてきた。
パターソンは、平凡な男?受け身だし、一見、単調な毎日。でも、彼の頭の中では、詩が生まれてる。それは、とてもエキサイティングなことなんじゃないかな。
彼の生活に憧れるのは、アーティストであり、彼が自分と他人を信じて、日々を慈しみながら生活してるから。
多分、自分に満足している人は、何が起きても誇張しないし、誰かの所為にしたりしないし、責めない。
携帯がなくても誰かが貸してくれるし、犬にノートを噛まれても、誰かがノートをプレゼントしてくれる。
スーパーヒーローにならなくても、詩を作ることで高揚感が得られるなんて、何て素敵なんだろう。
ジャームッシュ!!
何も起きない映画を撮らせたら、ジャームッシュは最高峰なのでは?鑑賞していてこんなにも気持ちよくなる不思議。公園を歩いていて親子連れを見かけたらつい微笑ましくなる…そんな感じ。それを表現で出来るのがジャームッシュだ。
微妙な線を描く天才。実は主人公が嫁さんのセンスや料理を気にいってない…けど口に出せないとか。爆笑じゃないけど思わず笑んでしまう日常のおかしみ。道ですれ違い簡単にあいさつするだけなのに、別れた後、昨日とまた違う日常が続いていくどこかせつない感覚。
その作家にしかできない表現をジャームッシュは持ってる。
ものすごく面白いのに、なぜか眠くなる
バレエでも宝塚でもアニメとかでもあるんですが、とっても面白いのに、なぜか眠くなる作品ってあるじゃないですか。これがそうでした。脳からα波が出すぎるのか、眠気との戦いです。見てるとマッサージされて体がポカポカしてくる感じがします。もしくは夏の日陰でハンモックに揺られているような…。ストーリーはすごく面白いし、穏やかな日常ながら起伏もあって、主役夫婦が可愛くてずっと見ていたくなります。面白かった。でも眠い。
パターソンの何気ない一週間を毎日寝起きから描いたものですが、何気な...
パターソンの何気ない一週間を毎日寝起きから描いたものですが、何気ない日々に愛が溢れていてうらやましい限り。
BAR以外では特に音楽も使われておらず、無駄に演出せず生活そのものが描かれてます。
最後に永瀬さん登場で急に空気が変わりそのままフィナーレとなったのには少し驚きました。
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