20センチュリー・ウーマンのレビュー・感想・評価
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1970年代の個性的な女性たちの生き方を、現代の個性派女優たちが華麗に演じる。
アネット・ベニング、エル・ファニング、グレタ・ガーウィグが共演しているだけでも、今にして思うと稀有な作品。
この後、グレタ・ガーウィグが監督業で数々の偉業を成し遂げていくとは、この映画を観た際には予想もしなかったなあ。
<2017年6月3日 劇場にて鑑賞>
3人の強い女性
女性の強さを飾らずに描いた作品。
2017年のアカデミー脚本賞にノミネートされた本作。ずっと前から気になっていた作品でしたが、ようやく観ることができました。脚本賞というのはもちろん、脚本家に贈られる賞ですが、監督にも編集者にも贈られてもいいと思います。映画というのは、3度書き換えられると言われています。脚本で、撮影で、編集で。ハリウッドは特に特徴的で、脚本家はプロダクション行こう全く作品に関わらないということも稀ではありません。この作品は、脚本家が監督もするパターンですが、脚本家のマイク・マイルズと監督としてのマイク・マイルズとは別人と考えてもいいと思います。
素晴らしい脚本は、キャラクターが動いている。もちろん、キャラクターは常に動いているのですが、動かされているのではなく、自分から動いているキャラクターというのは作品中でかなり生き生きしています。この作品の優れているところは、3世代の女性キャラクターをステレオタイプではなく、ユニークながらもその世代を象徴するように描けているということです。その3人の女性はジェイミーという少年を中心に描かれます。まず、ドロシー。ジェイミーッの母で戦争を経験し、夫と離婚し女で1つで息子を育て上げてきた強い女性です。息子の幸せを願う母親ですが、「自分よりも幸せに生きてほしい。」という願いが強すぎるが故に少し硬い部分があります。しかし、2人のシェアハウスの住人と、ジェイミーの幼なじみによってその硬さがとれ、少しずつ柔軟になることにより、彼女の人生にも小さな光が降り注ぎます。アビーはドロシーの家で一室を借りる写真家。若い輝きを放つ彼女ですが、その光が強すぎて、時には前が見えず道を外してしまうときもあります。しかし、ジェイミーという年下を気にかけることで大人の女性として落ち着きや責任を感じるように。ジェイミーの幼馴染のジュリーは思春期でなんでも吸収してしまう女の子。ドロシーとアビーの大人の姿を見て、憧れとそこからくる反感から自分とは何かを探していきます。この3世代の女性が失ったもの、まだ持っていない部分をお互いに気付かせ合い、人生とは幸せとは何かを探して行くその好奇心など、とても深い部分に入っていきます。
編集もとてもバランスが良く、咲く日のリズムをうまくつかめているように感じました、リズムと一言で言える言葉ですが、2時間の映画の中でそのリズムを作り上げて行くことはとても難しいものです。そのリズムにより、キャラクターたちの立ち位置、関係性が大きく変化するため、そのリズムを見失うことは、映画を崩すことに一致します。キャラクターを中心とした脚本と編集があってこそのこの作品の良さが最大限出ているのではないでしょうか。キャラクター同士の関係を考慮して、女性という大きなテーマを描いた素晴らしい作品です。
性別の違いを知るのにいい作品
この作品の良さは自分の息子をただ溺愛する母親の物語として描かなかったことだと思う。普通、一人の男の成長に関わった複数人の女性の話を作ろうとしたら、女性は出来るだけ"できた"女性を置きたがると思うが、今作の女性たちは良くも悪くも人間味が溢れている。
男はいくつになっても女性に妄想を抱きやすいが、この作品を観たあとはなんとも、目が醒める感じがある。
作中何度も女性に関して書いた本の一節が出てくるが、あれはかなり効いてると感じた。男はジェイミーを通じて一緒に成長していけるようなそんな作品だった。
物語要素
母子家庭、思春期、愛とか恋愛とか幸せ
なんかいい映画だった
少年の成長を描く映画かと思っていたが、母親や同居人、近所に住む少女等、少年と共に過ごした人たちの群像劇のようだった。
だから話にまとまりはないし、誰の話なの?って疑問も生まれるし、これといった盛り上がりもない。でも、なんかいい映画だった。
男に対する批判を込めた台詞もちりばめられていて、考えさせられる。そう、面白い訳じゃないけど、なんかいい映画なんだ。
母の目から見た息子と自分
50代も中盤に差し掛かった母が息子を持て余す。しっかりと地に足のついた男に育って欲しい、そのためには母親の力だけでは足りない。シングルマザーなら、いや母親なら誰もが抱くであろう悩みと、母としての自負と、さしたるドラマのない日常を生きる自分へのもどかしさ。
自分のようになってほしくない。そのセリフを語る彼女は哀しそうだ。しかし、下宿人の子宮癌の経過を気にかけ、消防士を誕生パーティに招び、クラブを見学に行き、自分の好きな音楽とタバコを誰が何と言おうと楽しむ姿は、息子の心に焼き付いている。20年後、肺がんでなくなる、息子にメモを残す力もない、とのモノローグ。母は永遠に息子を思い、やり残したことを後悔し、何者にもなれなかった自分をちっぽけに感じるのだ。母の目から見るとしみじみと共感する映画。
40歳で息子を生み離婚した’24年生まれの女性
カリフォルニア州サンタバーバラ
70年代
ハチワレの猫がいる
途中から出番なくなった。
パンク好きなら面白いのか?
自分が幸せかどうかなんて考えたらうつになる。
失神ゲーム
ここで語られる男とは、女とはには納得。70年代生まれのせいか。
話全般については?女性向映画なのかも。
そもそも母親になるつもりはなかったように感じられる。
結婚も離婚も適当。
70年代はタバコ吸い放題。
年頃の息子と母親ってこんなに話し合うのか、アメリカでは。
年上のお姉さんに色々教えてもらっちゃうとおかしくなっちゃうような気がする。
slutジュリーがヤル理由がなんとも男には聞きたくない本音。
マイクミルズは2度目から
人生はビギナーズが父の話なら、本作は思春期の青年から見た母親の回想録。70年代〜80年代の雰囲気の中、パーソナルなストーリーが展開してゆく。前作より脇役のキャラクターが立ち、主人公への感情移入は薄いのが第一印象。が、マイクミルズは2度目からじわじわと見る者の郷愁を誘う。次回作のテーマが気になるところ。
子の心親知らず、母の心子知らず
15歳の多感な少年の気持ちなんて、母親にはわからないだろうね。
セクシャリティーな面も含めて。
年上のお姉さんで子宮頸がんを患ったアビーと、息子ジェイミーの同級生でませてるジュリー。「今の世の中難しいから、息子を気にかけてやって」と頼まれた二人。普通同性の人に頼むと思うんだけど。その辺がちょっと疑問に思いました。年は違えども、母と二人は同じ女性なんだから。
登場人物の過去や生き方が随所に盛り込まれていて。群像劇っぽい面も感じました。
また母が頼んだ二人のいろんな悩みを聞いたり、話をしたり。シェアハウス+息子の同級生という、コミュニティーの一体感がありました。
母親役。最初誰このしわくちゃ(失礼)と思ってよーく見たら。アネット・べニング!。55歳の設定でしたが、こんな感じなのか?と自分の年齢を考えてショックを受けました。仕方ないけどね。
途中息子がスケボーで下り坂を左右に進んでいく所や、息子の運転で母がスケボーに乗る場面が。人生の曲がり方や下り方を表してた気がします。
ま正直、チョッとだらっとした感じは否めないかな。
90分ぐらいで凝縮してもよかったかも。
時代の変化
ジェイミーが主役とは見ずに会えて、アビーとジュリーが主役として見た。ジェイミーに10代の少女らが世間を教え、新たな広い世界へ足を踏み入れる、単なる青春映画を超えて。時代の流れを思わせる、現代の社会がかつての良さを失いつつあることを自覚したい
あまりピンとは来なかったが...
70年代後半のアメリカの世相がわからないと入り込みずらい。うわべの知識としてだけではなく、その時代のアメリカの匂いとか空気感とか、そういったものを一部でも体感していないとなかなかしっくりとはいかない。しかも当時の女性の世代間ギャップとなるともうわからない。
とはいえ普遍的な世代間の相克のさまは興味深いし、映像や音楽にも惹き付けるだけのものはある。
トーキング・ヘッズが一番共感できたな、リアルタイムではないけれど。
次観たときは違う印象を受けそうな気もする作品。
取り敢えず冒頭のヘッズの曲がアタマから離れない...
美しき70年代の思い出・・
なるほど本作に通底する部分が多い。人間関係の機微を見つめるのがお好きなのだな。
1979年、15歳の少年ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズーマン)は、55歳の母親ドロシア(アネット・ベニング)と暮らしている。広い家の空いた部屋をパンク系女性写真家アビー(グレタ・カーウィグ)と便利屋ウィリアム(ビリー・クラダップ)に貸し、家族のような近しい関係を保っている。近所の17歳の美少女ジュリー(エル・ファニング)はこっそり窓からジェイミーの部屋に入り、隣に寝るのが日常。彼女は「自分たちは友人だから性的な関係はご免こうむる」と宣言する。
母親は思春期になった息子の言動に理解できないことが多くなり、彼らの出入りするクラブやらに入って体験し接近を試みるが、遂にはジュリーやアビーに息子の面倒を見てくれるよう頼む。この二人、タイプが違うから、二人で世話をすればバランスは取れる。
母親は息子とその出奔した先で非常に良い関係を生むが、結局それは一過性のもので、そうした緊密な関係は二度と持てない。しかし、15歳の少年は母親の心配に反して「母親がいさえすれば良い」と思うのである。
マイク・ミルズは1966年生まれで、本作の少年と2歳年齢が合わないが、本作と同じように1999年に癌で母親を失っていて、自伝的映画ということになるらしく、そこはかとなく前世紀と母親へのノスタルジーに満ちている。
題名は、21世紀を知らない、古風な女性という意味合いだろうが、ヒロインは日本的な古風さとは違い、甘やかすでもなく突き放すでもなく、実に巧みに良い距離感で息子と接しているように思う。それでも子供と付き合うことに難儀を感じるのだから、親子関係とは難しいものでござる。
気の利いた台詞が多く秀逸であり、現在から過去を振り返るのではなく、1979年から未来を語るように登場人物がその後の(しかし実際には既に起きた)人生を語るところも興味深い。特に1999年に死んだ母親が自分が経験をした死を語るのだから面白いと言いたくなる。こういう芸当は、フィクションでしかできない。
題名は、Tレックスの有名な「20センチュリー・ボーイ」の応用。
母親の思い出
訊かれない話をかたりますが・・・
「セックスすると友情は終わり」―
今をときめくエル・ファニングが言いますね。その通り。
嫁とは婚約の5年間、セックスは我慢。あの時代がいちばん幸せで、盛り上がって 楽しかった。
一線越えると早晩家族・同居人になっちゃいますから。エル・ファニング扮するジュリーはその事の残念さを知っているんだ。
で、映画、
全てが母親の死後、母親についての少年の断片的な思い出~追想で組み立てられてます。
息子の心に残った母親の姿と、印象的な言葉。
僕もそろそろ母を見送る年頃です。断片的にでも彼女のことメモしておかなきゃ、記憶は消えていってしまうのでしょう。寂しいな。
映画を見ながら思うのは、自分の母親のことばかりでした。
「汚れた血」同様、最後に赤い飛行機が出てくる。
飛び立ちたかった女たちを象徴。
・・・・・・・・
「わが母の記」(井上靖原作、役所広司、樹木希林ほか)も秀作です。
アネット・ベニングが好きになる
わるくない。
でも、映画の何かが欠けている。
観客を巻き込むなにかで、それがないと映画を最後までみつづけるのがむずかしい。。70年代の騒がしさと、はでさと、軽薄さを映画にしたかったのかな。。
意味さがしは別にして、映画として冗長で凡庸だと思う。途中から倍速で流した。ぼくだって時間は限られている(笑)
それにこれってほんとうに70年代なのかな。気の抜けたシャンパンみたい。
テーマがちがうかもしれない。でも、こんな感じの映画だと「愛しのグランマ」のほうがずっとすきだし、自分に合っている。だって、戦うもの。
ビリー・クラダップは、「君が生きた証」の映画が圧倒的にだいすき。いまでも絶対だと何度も見直している。一般的には「スポットライト 世紀のスクープ」のほうが評価が高いかも。
エル・ファニングは、この値がでもつまらない。妙に少女と女性の間みたいに、女優よりとんがった乳首が気になった。
アネット・ベニングも、きれいで、魅力的な女優だと思う。こんなタフで深い女性とつきあってみたい(笑) ただ、どれがいい映画っていうのがないみたい。彼女の出演した多くの映画を知っているけど彼女を思い出せない。雰囲気だけは残っているんだけど。
*映画へのスタンス
ほくは映画について書くこと望んでない。
ただ、そのつど・・、そのときどきの映画がすきだった記録を残したい。
単なるふつーの映画ファンです。
こうしたサイトを使って毎年記録を残し続けるのがすきです。自分のためにそうした記録が、数年後自分にとって振り返るデータとなります。映画って、そういうモノだと思っている。
少し変わったボーイミーツガール
いい男は素敵な女性に育てられる者である。
が持論の私の解釈は間違っていないなと、再認識させられる一本。
時には刺激が強くても、時には我が儘ではがゆくても、時には大切で大切でもどかしくても。
少年が成長する過程でもう一度、母親に出会うお話。
あまり、色々と言いたくなくなる位、素敵で美しい。
男は謎めいた表情で言葉少なに。
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