「女性史と米国史のユニゾン」20センチュリー・ウーマン REXさんの映画レビュー(感想・評価)
女性史と米国史のユニゾン
思春期の少年の目を通して、米国史と女性史が重なり合うように描かれる。
不思議な共同生活を送る中で、少年は女性たちの心の痛みや複雑さを理解して癒そうとするし、女性陣は少年に人生指南をするつもりが逆に彼に癒されてもいて、他人なのに近しいそんな関係性が、少し羨ましくもあった。
唯一男性の同居人ウィリアムは、女性に翻弄され自分のアイデンティティを失いかけている。彼も独特の脆さを孕んでおり、個性的な役どころではある。
女性が重要な役割を演じてはいるが、あくまで主役は親子の話。
母は息子の世界の外側に押し出されて無力に感じ、息子は母に自分と二人だけの世界ではなく、新しいパートナーを見つけて幸せになってもらいたいと願っている。
二人は微妙にすれ違ってはいるが、本心は労りに溢れてる。
僕は母さんだけいれば大丈夫。ジェイミーのラストのセリフに泣けました。
そして女性のオーガズムに関心を持ってくれる男の子なんて、本当に貴重!こんなに優しい子どこにいる?
人生を外側から見つめるような、こういう作品は瑞々しければ瑞々しいほど、見ていて苦しくなる。おそらく自分の人生を客観視すると、余りに陳腐で平凡だから。
ドロシアのセリフではないが、幸せについて考え出したら、鬱になる。もしかしたら貧乏よりも虚無の方が恐ろしいのかもしれない。目の前の小さな幸せを見つめ続けなければ、現実味が消えて無くなりそう。
観客は多種多様なフィルターを通して、この映画に自分の人生を投影するに違いない。自分らしさを取り戻して自由に生きる、登場人物たちのその後の人生に、背中を少し押された気分。
たまたまだが、この映画の前に、エル・ファニングとパンクという共通項を持つ「パーティで女の子に話しかけるには」という映画を見たばかり。彼女のツンと上向いた鼻と不思議チャンな魅力は、パンクと妙な親和性があるね。