ハクソー・リッジのレビュー・感想・評価
全75件中、41~60件目を表示
すごくよかった
戦場で自分だけ銃をもたないなど、ズルではないかと思っていたのだが、その活躍ぶりが凄まじくて銃を取らなくても十分すぎるほど、銃を持っている兵士以上に勇敢で全然ズルではなかった。
日本兵が米軍兵を震え上がらせている感じが誇らしかった。火炎放射器が怖かった。もちろん銃もひどいんだけどあんな非人道的な武器もない。
冷静に考えてみると移動期間などを抜くと戦場経験は2日くらいであったのだろうか? 戦場に行くまででドラマのかなりの尺がとられていて、戦場の印象が強いのだが、それ以外のところも十分面白かった。特にアル中のお父さんが古い軍服で法廷に現れるところなど、感動的だった。
Please help me get one more. ものすごい真実の物語。
「アポカリプス」以来10年ぶりとなるメル・ギブソンの監督作品です。やっぱりメル・ギブソンは「変態」と称されるだけあって凄まじい内容の作品でした。もともと「ブレイブ・ハート」でアカデミー賞取ったりと映画人として才能溢れる人間だったのに、プライベートでのDVや差別発言等でハリウッドから総スカン食らって、これまで溜まってたんだろうなぁっと想像できます。見事な復活劇です。
血肉吹き飛ぶ容赦ない戦争描写はいかにもメル・ギブソン。武器を持つことを拒否する主人公デズモンドへの軍からのいじめも容赦ないですし、戦場で亡くなった兵士がウジやネズミに食べられていたりともう色々と容赦ないです。そんな中でも自分の信仰と信念を貫いたデズモンドは単純にスゴいなっと思えます。怪我人を救う為に戦場を駆け回る姿は手に汗握りました。固くなすぎて、もし部下とかにいたら扱いづらくてしょうがないでしょうけど。
メル・ギブソンの映画ってとにかく印象に残るんですよね。見終わった後に色んな思考がブワァーっと出てくるんでレビューもまとまんない!メル・ギブソンも敬虔なクリスチャンでありながら、アル中でDV男だったりするので。今作のデズモンドではないにせよ、ちょっとおかしな所がある人なんだろうなぁっと思います。「デズモンドの父親のヒューゴ・ウィーヴィングはメル・ギブソン自身の投影で、デズモンドはメル・ギブソンの理想」という考察は正しいと思われます。
作品はあくまで個人の物語とすることでアメリカのプロバガンダには陥ってないです。アメリカ兵に「敵が攻めてきたら命懸けで家族を守る」みたいなセリフを言わせながら、この作品で侵略をしているのはアメリカで、命懸けで守ってるのは日本側ですしね。なんて皮肉!!もともとメル・ギブソンはオーストラリア人でありアメリカ人じゃないので、アメリカ万歳にしていない所が良かったです(多分メルはアメリカ嫌い)。もしアメリカ人監督だったら前田高地(ハクソー・リッジの日本名)を占領した後に星条旗がはためいてる描写を入れてくるに違いない!
尚、日本人の切腹シーンはメルなりの武士道へのリスペクトだと思われます。核としてキリスト教の信仰を描いてる反面、日本人の精神も描いたのは公平な描写と思うのですが如何でしょうか?
もちろん映画を観てる瞬間も、観賞後にのんびりとレビュー見てるこの瞬間も、日本じゃない他の国ではこの作品のような戦争が現在進行形で起こっています。世界有数の安全な国である日本で安全な環境で観る物凄く痛ましい戦争映画。しっかりと悲惨な場面を描写することで戦争状態にいない事へのありがたみを感じれるような重く響く作品でした。
深みのある傑作
戦争映画であり、戦闘シーンで『プライベート・ライアン』を引き合いに出された売り文句がある為、「武器を持たずに戦場に立った衛生兵の英雄譚」かと思って観に行ったが、観劇後の感想はもっと深いテーマをもった映画だったと思った。
まず戦闘シーンはプライベート・ライアンに比べてそこまで過激かというと個人的にはそう思わなかった。
舞台になった戦場が大戦中屈指の激戦地、沖縄であるからそりゃあ凄惨だろうと思うし、演出がめっぽう上手いのでうずくまりたくなる程の恐怖感がある。
これはもうメル・ギブソン流石と言うしかない。
日本兵の描き方もよかった。
重要なテーマである宗教と信念に関してもライアンより考えさせられる事多し。
信仰のない自分にとって、デズモンドの信仰からくる信念は最早ヤケクソじゃないのかこいつ、とかトランス入ってんな、とかそんな感じで観てしまった訳だが、信仰とはそう言うものなのだろうか。
まぁ、根底が神であれ自己であれ結果その行動が多くの命を救ったと言う結果は変わらないので素晴らしいとは思う。
特にこの映画は日本人が見る事で深みを増す映画だと思う。
人を殺さない信念をもった男が戦場に立つ訳で、その戦場は後に戦争自体を憲法で禁じ戦場に立つ事を放棄する国な訳で、、、。
仮に軍隊を持ったとしても、デズモンドの様に殺さないという強い信念が皆にあれば戦争には参加しないのだろうが、今のこの国が戦争を行わないのは平和への強い信念ではないだろうから、、。結局憲法に縛られていないと戦争論が強くなれば大勢迎合し兼ねない国民性を嘆くばかりだ。
デズモンドが兵役を志願した理由や決意、戦場でとった行動を観ていると、戦争とは、戦場に立つ意味とは?と、日本人として考えさせられました。
多くの人に観て欲しい映画だと思った。
戦争とは何かを自らの内面に突きつけてくる映画
米国の描いた、実話に基づく沖縄戦の映画ということで観たけれども、戦略的戦争映画というよりは、殺し合う戦場で主人公が殺生禁止の強い宗教的信念から武器を持たない衛生兵として いかに英雄的行為を行ったか、を描いた作品で、色々と考えさせられた。 生々しい肉弾戦が話題のようだが、戦争とは何かを自らの内面に突きつけてくる映画だった。 一見、戦争映画なのに法の支配と(米国)憲法の重みに触れているのも感心した。
映画の中で「平時には息子が父を弔うが、戦時には父が息子を弔う」というシェークスピア的台詞が印象的だった。
主人公の生き方は日本国憲法9条の決意に通じるものがあるのでは、と思えた。
信仰心の強さが
メル・ギブソン監督。
第二次世界大戦の沖縄を舞台にした衛生兵デズモンド・ドスの実話。
戦場を描いているが、主題は繰り返し試される信仰を貫く姿勢とその尊さ。
幼い頃から敬虔なクリスチャンで、「汝、殺すことなかれ」の戒律を固く守り通し、兵役に志願し、訓練中も戦場でも武器を携帯しない。
軍法会議にかけられても信仰は揺るがない。
沖縄戦のハクソーリッジに到着し難攻不落の激戦に際しても、武器を持たずに前線に乗り込むデズモンド。
日本兵の抵抗は激しく、6回撃退された難所では米兵も次々に倒されていき、予想以上に凄惨な情景が広がっていく。
デズモンドの使命感、神の言葉は聞こえなくても、人を殺すことでなく救うことが自分の役割とばかりに、瀕死の兵(日米)を助けて壁から降ろしていく。
デズモンドも傷つき前線を退くまで、貫き通した自らの信仰心。
デズモンドを演じたのは「沈黙」で日本を舞台とし宣教師役で信仰の強さを試された、アンドリュー・ガーフィールド。
奇しくも今作でも信仰心を貫く過酷さと、力強さを表現している。
本題とは離れるけど、日本兵が倒されていくのは正直涙ぐましい。圧倒的な物量を誇る米軍に壊滅状態になっていく様を、沖縄の人はどう見るんだろうかと思ってしまった。
頭から離れない
地獄絵図と言っても過言ではないほど悲惨な戦場でのシーンは確かに印象的だけど、主人公の信念を貫く姿、何度も負傷兵を探しに行く姿、安全な場所へ戻った時の心理描写が素晴らしかった。
また、沖縄での戦いで敵が日本兵であるが故、日本人として別の観点からも楽しめる&考えさせられる映画なので、グロ耐性があるなら、ぜひ観て欲しい作品です。
本当の戦い
序盤の女にニヤニヤしていた青年が、行動で、周囲に認められていく様が心打たれた。
思わず涙を浮かべた瞬間は、ハクソーリッジで戦いが始まり、夜が明けて再び戦いが始まってから、ドスが次々と負傷兵を抱える様を目にした時だった。本当の戦いだと思った。
アンドリューガーフィールドはスパイダーマンでも女とイチャつくヒーローを演じてるイメージがあるが、これもまたヒーローで間違いない。
物語上、アメリカ視点で追いつつも、日本の戦い方、在り方も当然気になるわけで。煙の中に立つ日本兵が、まるで鬼の様に見えたのは驚きだった。
奇声をあげながら攻めるのは、恐ろしくも見えるけど、狙いやすいだろうと観てた。
右手に手榴弾持っての身投げの攻めに、何がそうさせてるのかと。かと、思えば、白旗揚げて手榴弾投げるって。
親父良かった。うん。
プライベートライアン、フルメタルジャケットとローテーションで見返したいハクソーリッジ。
サイレンスとも役かぶるな、アンドリューガーフィールド。とても好きになった。
深遠な人間愛に包まれる作品
これは戦争映画ではないと思う。哲学や信仰の表現、もっと大きな「人間愛の映画」だと思った。注目を集める戦闘シーンは、前半の「生きる喜び」を際立たせると共に、メディアの注目を集めたり観客を動員するための方便で、人間の持つ「濁」の部分を表現することで、戦争を嫌悪させる。どんな映像でも、現実にはあるはずの「温度や臭い」は無いのだ。さて、前半のキスシーンでまず涙が落ちた。人間の持つ「清」の喜びって、なんて素晴らしいんだろうと。後半の戦闘シーンで涙が落ちた。人間の持つ業って、なんて悲しいんだろうと。自分の信じるもの(志や信仰)のために或る人は殺し、或る人は救うのだから…。そう人間は「清濁併せ持つ存在」なのだ。氏より素性というが、人は家庭環境で主な人格(骨)が出来上がる。それも親に倣うより、反面教師とすることが多い気がする。米兵も日本兵も亡くなった人も生き残った人も、結局「目糞、鼻糞の違いでしかない」。ただ日本側からすると、この映画に添えておいてほしかったのは、兵士以外に沖縄の民間人が多く亡くなったという史実だ。もっと人間は成熟して、「自分の考えを他者に強いない」ことで「他者の支配」ではなく、共存共栄を目指すべきだと思う。もし、南海トラフが来て私が生き残ったら、一人でも近くにいる人を助けたいと思った。「メル・ギブソン」恐るべし。イーストウッドと共に映画に生きる場所を見つけた先進等の生き様を尊敬し、制作スタッフの皆さんに感謝したい。
奇矯なる英雄譚
戦争映画の傑作。あるいは奇矯なアメリカンヒーローの物語。
主人公は宗教的信念から武器を持たず衛生兵として戦争に参加する。しかし戦争の是非など彼は考えていない。むしろ若い男子として故郷に残ることを恥じている。彼の信念は軍隊では理解されず軋轢を生む。彼は仲間からのリンチにあい、上官からは除隊を勧められ、最後には軍法会議にかけられさえする。しかし周囲の助力で戦地に赴く。ここまでが前半だがここで描かれる陸軍の様子が意外とヌルい。「フルメタルジャケット」の凄惨で冷酷で人間性のカケラもない軍隊はそこにはなく、古き佳きアメリカ映画の軍隊ものの延長と云っていい。
後半は沖縄の戦場。凄まじい描写が続く。主人公は衛生兵として銃弾の雨の中を駆け回り75人もの負傷兵を救助する。もちろん武器は持たずに。だが彼の横にはBARを持った屈強な仲間が常に掩護に付いている。彼自身は敵を殺さないが、彼に危機が迫ると隣の仲間が彼の代わりに敵を撃つ。主人公は衛生兵に徹しているだけでも間接的には敵を殺している。ここに矛盾を感じない点でも、この主人公は信念に従ったひとというより、奇矯な英雄に見えてしまう。キリスト教徒がみればそうではないのか?アンドリュー・ガーフィールドの演技は素晴らしい。この人物はのちに妻になる恋人への対応も、軍隊での上官や仲間への対応もかなりおかしい。彼の奇矯な行動を納得させるのは常人離れしたこの人物造形だ。神がかったということなのか?彼を掩護していた仲間が死んだあとも孤立無援で救助をする彼の活躍がクライマックスだが、その描写に悲愴さはなくアクロバティックなアクションにすら見える。アメリカ軍が攻勢に転じるシーンはスローモーションで観客に戦争映画独特のカタルシスを与える。サム・ペキンパーの戦争映画のように。メル・ギブソン監督の興味と狙いはここにある。たまたま変わった実在のヒーローを見付けたから彼を主人公に選んだだけ。
ギブソン監督の手腕は見事なもので、ストーリーテリングは超一流。戦争映画の傑作たる所以だ。グロテスクな描写が喧伝されているが、よっぽど血に弱いひとやこの手の映画が苦手なひとは別にして、さほどショッキングではない。塚本晋也監督の「野火」の描写がショッキングなのと対照的だ。同じ様なグロテスクな場面でも監督の狙いが違うからだ。ギブソン監督はヒーローを描く為、塚本監督は戦争忌避を表明する為。
沖縄戦であることを隠したキャンペーンが話題になっている。第二次世界大戦のアメリカ軍のヒーローの話なら敵はナチスドイツか日本なのは当たり前だ。戦争映画の傑作を感動の実話で売ろうとする方が問題だろう。主人公が負傷した日本兵を助けるのは感動的な挿話にみえるが、あれは戦場では当たり前。国際的なルールだし戦場に残る数少ないモラルだから。
一点気になるのは日本兵。悪鬼の形相なのは分かるが何故出てくるときに尺八の音色を入れるの?戦後70年経ってもこういう描写になることの方が文化の断絶を感じさせて怖い。
戦争映画を観たいひとは是非。感動の実話を期待しているひとにはオススメできません。
異端者の英雄譚
この作品は、戦争映画であると同時に、異端者の英雄譚だった。
物語は、主人公デズモンド・T・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)の幼少期の記憶から始まり、成人して恋人に出会い、軍に志願するようになった経緯。そして、宗教上の理由から銃を取らない事を主張したせいで、軍事裁判にかけられながらも、最終的には衛生兵として戦地に赴き、衛生兵として活躍する姿を映す。
上記のとおり、ストーリーとしては至ってシンプルであるが、物語の本質は筋ではなく、デズモンドという男が、戦場という異常な場所で見せた、信念と勇気を描いた所にある。
映画はデズモンドの幼少期から始まる。
父親のトムは、第一次世界大戦の復員兵であるが、戦時中に負ったトラウマのせいでPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っており、酒浸りになり、妻に暴力を奮っていた。
ある日、兄弟と喧嘩をした際に、勢い余ってレンガで兄弟を殴り、重い怪我を負わせてしまったデズモンドは、激しい後悔と罪悪感を感じる。そして「汝、殺すことなかれ」という教えを胸に深く刻むことになる。
成長したデズモンドは、病院で出会った看護師のドロシー・シュッテと恋に落ちる。周りの人々や兄弟が次々と志願する状況の中、何か自分にも役に立てることがあるのではないかと考えた結果、デズモンドは銃を取らない衛生兵として、軍に志願する。
厳しい訓練にも耐えるだけの体力を持っていたデズモンドだが、狙撃訓練で銃を持つ事を拒否したところから、上官や兵士仲間から「除隊しろ」と嫌がらせを受けることになる。
上官から責め立てられ、仲間から暴力を受けても、決して決意を曲げないデズモンドに、次第に周りの人々は一目置くようになるが、最終的に命令拒否として軍法会議にかけられてしまう。
面会に来たドロシーは、銃を取らないデズモンドに「プライドが邪魔しているだけ」と言うが、彼は「信念を曲げたら生きていけない」と心の内を告白する。
軍法会議で「皆は殺すが、僕は助けたい」と彼は主張し、予想外の人物の尽力もあり、彼は軍に加わることを認められる。
※デズモンドの信仰について、映画だけでは分かりにくい点があるかと思うので、補足する。彼が信仰するセブンスデー・アドベンチスト教会(Seventh-day Adventist Church、以下SDA)は、プロテスタントを主張する新興の一宗派である。その名の通り、安息日を日曜日ではなく土曜に定めており、厳格な聖書主義や採食主義といった点など、伝統的なキリスト教の宗派とは色々と違う点が多い。そのため他の宗派からは、同じキリスト教でありながら、しばしば「異端」として位置づけられてきた歴史がある。
(メル・ギブソンご本人はカトリックのようです)
後半では、衛生兵として沖縄戦に従軍するデスモンドの活躍が描かれる。ハクソー・リッジの戦闘(前田高地での戦い)場面は、戦争の残虐さに満ちている。手足が飛び、はらわたが飛び散り、死体があちこちに転がる中を、米軍達は進む。烈しく銃弾が降り注ぎ、すぐ隣の兵士がヘッドショットを受けて一瞬で倒れる……。そこには人間としての尊厳など微塵もなく、辛酸を極めたような、血生臭さだけがある。
この場面での暴力描写は、まさしく目を背けたくなるような地獄絵図だった。だが、生半可に抑えた描写ではなく、暴力を暴力としてあくまでも容赦なく残酷に描きった点に、私は作り手の「暴力に対する真摯さ」を感じた。観客に痛みを与えない、あっさりとした暴力描写では、その残酷さは伝わらないからだ。
相手を殺さねば、一瞬で殺されてしまうという状況の中、デズモンドは銃弾の雨の合間をかけずり周り、負傷した兵士たちを次々と助けていく。
窮地に陥った米軍が丘陵から一時撤退した後も、デズモンドはその場に留まり、傷ついて動けなくなった仲間を見つけては、崖の下へと下ろし続ける。映画では、それは彼の良心と信仰に基づく行動として尊く描かれているが、自らの命さえ危うい中、武器を持たずに一人で負傷者を助け続ける彼の行動は、普通に考えれば、ある意味では狂っているといっていい。人が命のやり取りをする場で、ただひたすらに命を救おうとするデズモンドは、明らかに異端者なのだ。
だが、映画の中では、そんな異常なまでの彼の行動に、仲間の兵士たちは心を動かされ、デズモンドは兵士達の精神的支柱となる。最終的にハクソー・リッジは陥落するも、デズモンドは負傷し、担架に乗せられ、ロープによって中空で運ばれる。
その時、傷ついた彼の背後には後光が差し、まるでイエス・キリストの殉教を描いた宗教画のごとく、崇高な存在として、デズモンドは映される。これにより、デズモンドがその善行により、神に近い存在になったかのようにして、映画は幕を閉じる。
人と人が殺し合う戦争の場で、あくまで自分の信念を曲げず、命を助け続けたデズモンドの行動には、確かに心を動かされるものがある。
だが、そもそもこの物語には矛盾がある。これがデズモンド一人の戦いであれば、加害しないという彼の行為は正当に思えるが、デズモンドが銃を取らずとも、仲間の兵士はデズモンドが狙われれば敵兵を殺すのである。映画の中では、銃を取らないという彼の選択に至る過程を、序盤の生い立ちから説明する事で丁寧に理由付けしているが、彼を助ける為に援護射撃をする仲間達を見ていて、私にはやはりこの矛盾感を払拭することが出来なかった。
最初に述べた通り、この映画は戦争映画であると共に、デズモンド・ドスという男の英雄譚なのであるが、彼を英雄として仕立てあげることに、私は違和感を感じた。彼のとった行動自体は、素晴らしいと思う。しかし、果たして戦争に「英雄」は必要なのだろうか。そう私の個人的な倫理観が、疑問を投げかけてくるのだ。
映画では描かれなかったが、琉球新報の記事によれば、ハクソー・リッジの戦いの後、デズモンドはグアムの陸軍病院に移送され、その後結核になって、片方の肺も摘出したという。そして戦後5年半も陸軍病院で入院生活を送り、PTSDの症状に苦しんだ。
彼は信念を貫き、たしかに戦場で活躍した。しかしデズモンドは決して超人ではなく、戦争で傷ついた、一人の生身の人間であったのだと思う。彼を英雄として描くことで、まず戦争そのものが悪であるという観点が薄まってしまうのではないかと、つい私は危惧してしまう。
最後に、細かい点ではあるが、この映画が日本で公開されるにあたり、様々な「配慮」がされていた点に、違和感を覚えた。
英語の台詞では、日本兵に対して"jap"や"animals"といった差別的な表現を敢えて用い、米軍から見た日本兵への憎悪を表現していたのに対し、日本語字幕では、いずれもそれが差別的表現だと分からないように、穏当な単語に修正されている。確かにこのような表現をされれば、不快に思う日本人もいるだろうが、この映画の敵国が日本であるという設定上、登場人物たちが憎悪を敵に向けるのは、当然に思う。むしろ、敢えて作り手が差別表現を用いているのであれば、その表現から生まれる不快感は、観客として(あるいは日本人として)受け止めるべきものではないのだろうか。
また、沖縄戦が舞台の映画であるにも関わらず、映画のプロモーションではそれを敢えて伏せたかのように、見事に沖縄戦について殆ど触れられていないのも気になった。
過去にアンジョリーナ・ジョリーが監督した『アンブロークン』が公開前に反日映画と騒がれ、公開が危ぶまれるようになったのは、記憶に新しい(実際の映画内容は反日的というにはあまりにもヌルい描写だったのだが)。
上記の配慮は、いずれもそういう反日映画潰し的な反応を怖れての、配給側の配慮だと私は勝手に忖度している。しかし、行き過ぎた配慮は、映画の本質を歪めかねない。
今回この映画を観賞したことで、日本の右傾化が進んでいることや、他文化を許容する土壌が狭くなっていること。日本で衰退しつつあるのが経済だけではなく、文化面にまで及びかけていることを、思わぬ形で実感してしまい、一人の映画ファンとして、なんだか暗い気分になってしまった……。
実話な話だからこそ
真珠湾攻撃後、沖縄での地上での戦争アメリカ兵と日本兵の戦いのなか、銃を持たない1人のアメリカ兵が衛生兵として戦う生き様を描いた実話の映画でした。
相手が日本兵じゃなかったら、もっと泣けたけど、とっても勇気ある優しい、芯が強い兵士デズモンドが素敵だった。
彼女役のテリーサが可愛すぎて、女性の私でも見惚れてしまうほど。デズモンドが戦場で言った内緒話がほっこりになった。
これが、本当の話だから興味深い。
年配のお客さんが多かったが、どんな風に感じたか、聞きたいくらいだった。
人によって捉え方は様々だけど、信念を持って貫いたからこそ、得られる信頼と勲章は、これからの私たちにメッセージを送っているような映画でした。
見てよかったけど、終戦のエンペラーを超えなかったから★★★
こんな人が居てたとは
軍隊に入隊し銃を持つ事を拒否してあくまで兵士を助けるために軍人になる意思を突き通し、上官からの弾圧と他の訓練生からのリンチ、挙げ句の果て裁判とあらゆる困難を乗り越え衛生兵となったドスさんを見てるとこんな人が居てたとは驚きと感動でした。
こう言う信念を突き通す人は立派ですね。
戦地沖縄のハクソー・リッジ(ノコギリ崖)で銃を持たずに負傷した兵士を崖の下に吊るし下ろす作業を延々と行い、かつて自分を弾圧してきた上官をも助け、それどころか日本兵も助け下ろしたドスさんには言葉が出なかったです。
人を助ける事に命を賭けるなんて中々出来ません。
エンディングにはドスさんと弾圧しても助けられた元の上官のインタビューが流れてましたけど感動しました。
戦場の希望となる存在
デズモンドの信仰心の強さが心に響く作品だった。。幼い頃過ちを犯し、父にも銃口を向けた経験から人を殺さない、銃を持たないと決めた。
それを戦争のどんな状況に置かれても成し遂げ、人々を救った。
普通の人々なら宗教に関係なく、戦場で銃を持つことは当たり前であるだろう。
しかし、彼は普通ではなかった。臆病者と呼ばれることも恥じず、殴られ続けても、自分の信念を曲げない。
そして、彼はその信念を曲げることなく、たった1人で戦場の人々を救う。
1人救うと「もう1人救わせてください」と。
私は戦場に出たことはないが、きっと戦場には助けられるはずだった隊員が多くいるのではないだろうか。
もう誰も助けに来ないだろうと思った時、助けが来てくれることがどれだけ心が救われることだろうか。
誰も助けが来ないことを想像するとゾッとする。
そして、次戦場に出る時負傷しても彼が助けてくれると思うと、隊員達は希望を持って戦場に出られる。
戦争の残酷さもしっかりと描くことによって、彼の行動はより勇気ある行動であると感じさせる。
戦争と信仰心
予告で気になり見に行きました。
武器を持たずに戦場に出るのにも深い理由があり、宗教や信仰心の問題について考えさせられました。現在問題となっているイスラム国や宗教対立の問題も大元は信仰心の違いから起こっているものであり、その点について考えさせられました。
映画の戦闘シーンはかなり良く出来ていたと思います。死体や負傷者など戦争の悲惨さにもかなり焦点が当てられています。グロいものが苦手な方には結構キツイかもしれません。
アメリカ軍と日本軍の戦いをアメリカの方が映画化したので偏りが少しあるかなと思っていましたが、そこまで酷いものはなかったように感じます。
切腹や少々卑怯な手を使う場面も見られましたが、実際にあってもおかしくないなと感じました。
是非見てください!!
この人が撮ると、戦争というより戦闘なんだな
前半で訓練が描かれて後半で実戦が描かれるという構成は『フルメタルジャケット』のそれと重なっている。そしてやはり微笑んでいる兵隊が足手まといになり連帯責任を負わされた他の隊員はリンチをするというのも同じ。ただし本編の末尾に見られたデズモンド・ドス本人の映像を観てわかるのだが、その本人が特徴的な笑みをたたえているのでアンドリューはそれを演技に反映させていたのだろう。そしてこちらの微笑み野郎はやせっぽちで銃を持たない。
それはさておき、本作が沖縄戦を描いた大作ということで戦闘シーンなど当時の描写がどうなっているのかは気になっていた。しかしそれは前半のデズモンドの成長と葛藤、愛する存在、そして貫かれた信念という過程を見るにつけ「そこじゃない」ことに気付かされる。【ヒューゴ・ウィービング】の熱演も寄与していたと思うし、何より良いなと思ったのが、これがただ信仰心の話ではなく軍規違反とされた彼を守ったのが自国の憲法であったということだ。翻って当時の日本では‥と思わずにはいられない。彼を窮地から救った父親にしても葛藤があり、結果として息子を戦争に送り出すことに手助けをしたことにもなる。
前半でやや詰め込み気味に描かれるこれらを前提とすることで後に繰り広げられる戦闘とデズモンドの行為にそれなりに意味(意義)を持たせている。ちなみに鬼教官としてコメディ畑のヴィンス・ヴォーンを起用しているのは『バンド・オブ・ブラザーズ』でのデヴィッド・シュワイマーぽいなと思ったり。
戦闘シーンでは近接した状況で何があったかを極力CGIを排して写しているが、装備の圧倒的な差がありながら非合理的な突撃を繰り返す日本軍はあたかもアンデッドのようだった。しかし最終的には米軍もまた同様の突撃(スローモーションの多用は笑うしかなかったが)を見せるということで総じてイーブンに描かれている印象を受けた。日本人キャストを多数起用していて、Yoji Tatsuta演じる"Japanese General"の切腹&介錯シーンなど含めて【メル・ギブソン】ならではのバランス感覚だろう。衛生兵の赤十字標章が標的になるということも理由として「白地が目立つから」とされていた。
デズモンドが神に問いかけるシーンではやはり神は沈黙している。代わりに聞こえてきたのは仲間の助けを求める声ということで彼はそれを答えと思うことにしていた。信仰のことを直截的に考えさせるところは思ったよりも少なかったと思う。戦争行為と信仰の不整合を素直に捉えているのだろう。二回目の戦闘の前には「祈り待ち」をしていたが、彼以外の兵士はただ待っている。「彼の戦いとは救うことだった」のだ。それこそが稀有であり、なぜそれが成されたかを考えさせられた。
あと不思議なくらいにモルヒネを打つシーンが繰り返されていて、しかもその描写が今までとちょっと違って「むっちりと痛そうに深く刺している」のが流石の【メル・ギブソン】か。
過去観た戦争映画全てを凌駕する緊迫感と迫力!
この作品は、非情悲惨壮絶な描写がある事を認識しての観賞をおススメします。
知らずに観る方もいると思うので、書きますが・・・
この映画の見せ場は、沖縄のハクそー・リッチと呼ばれる断崖絶壁を登った戦場が舞台です。
実在のアメリカ兵の実話なので、あくまでもアメリカ目線で、敵としての日本軍が、追い込まれながらアメリカ軍の猛攻を捨て身の攻防で何度も耐え忍ぶ姿は、台詞はなくとも身を削られるような錯覚に陥りました><;
互いに虫けらのように殺し合う姿は、リアルすぎるくらいリアルで、飛び散る肉片に直視出来ない場面もあり@@!
そんな中で、武器を持たず戦場に行くことを決意し紆余曲折しながらそれが認められた米兵の行動は、「人を殺すのではなく助けること」救った75人の中には2名の日本兵も含まれていたそうです。
日本もアメリカもなく・・・
戦争の怖さをここまで疑似体験したような作品は初めてで、上映終了後は、腰が抜けたような脱力感に襲われました。
メルギブソン監督のストレート過ぎる表現に賛否あるようですが、私的には過去見た戦争映画全てを上書きする凄まじさ!!
元スパイダーマンの主演アンドリュー・ガーフィールドは、”沈黙”同様に日本を舞台した作品で、見かけの繊細さとは真逆な芯の強い骨太の演技!!素晴らしかったです。
*物語の序盤とエンディングで、主人公デズモンドの生い立ちから家族・恋人との関係描写が簡略ながらきっちり語られており映画としての起承転結も完璧です〜☆4.8
なんだかなぁ・・・
主人公の信仰心や人格形成の基になるエピソードを丁寧に描いた序盤と、ブートキャンプで信仰と現実とのギャップに苦しむ中盤、激しい戦闘の中で英雄的に活躍し自己実現を果たす終盤、といった構成。
序盤から中盤はかなり良い雰囲気。家族や恋人、戦友とのエピソードを伏線っぽく描き、終盤のクライマックスに期待を抱かせる内容。
終盤は最悪。グロいのは、序・中盤とのコントラストを強調する意味で悪くはなかったが(やり過ぎだが)、日本軍の描き方に全く深みがなく・・・切腹やバンザイ突撃入れればOK的なノリにウンザリ。
中国の抗日映画やショッカーの戦闘員のような命の軽さで、まあがっかり。一気に興ざめした。
中国市場向けのエンターテイメントに走りすぎた感がある。
地下壕の探索シーンいらんでしょwwランボーかっつうの。
手りゅう弾蹴散らすシーンはチャウシンチーの顔が浮かんだ。
この映画の凄さはニュートラルに徹したこと
第二次世界大戦の沖縄戦で、銃を持たずに75人の命を救った米軍衛生兵デズモンド・ドスの実話を映画化した、メル・ギブソン久々の監督作。"Based on true story"ではなく、"True Story"というテロップで始まる。
主演のアンドリュー・ガーフィールドはアカデミー主演男優賞にもノミネートされたが、今年の「沈黙 サイレンス」(2017)同様に、神に身も心もを捧げるカトリックの役柄が続く。
タイトルになっている、"Hacksaw Ridge"は、浦添城址の南東にある"前田高地"と呼ばれた旧日本軍の陣地で、とくに激しい攻防戦が行われ、日米両軍に深刻な被害をもたらした。その急峻な崖の形状から、"Hacksaw=弓のこぎり" + "Ridge=峰"と米軍が名づけた場所だ。
"静と動"の2部構成のようにも感じる、主人公デズモンド・ドスの、"人を殺してはならない"という信念の形成過程と、戦場でそれを貫徹する姿を、コントラストをつけて描く手法は見事というしかない。前半はプライベートなラブストーリーで、後半は博愛である。
10年ぶりの監督作ながら、メル・ギブソンの、"可能なかぎり現実に近づける"というスタイルこそが、それこそデズモンド・ドス並みの変わらない信念だと思う。
そのスタイルゆえに、イエス・キリストの最後の12時間をリアルに描いた、「パッション」(2004)では、ローマ法王(当時、ヨハネ・パウロ2世)を巻き込んでの世界的な論争になった。またアカデミー作品賞の「ブレイブ・ハート」(1995)は、現在の英国におけるスコットランド独立運動のきっかけになったとも言われている。
さて本作は、第二次世界大戦の沖縄戦を描いてはいる。しかし、一部の映画評論が書くように、戦場の描写が"リアルだ"という紹介はどうかと思う。そっちじゃないだろう。この映画は感情的にならず、ニュートラルな立場に立っていることが、リアルなのだ。
「プライベート・ライアン」(1998)に始まる、残酷ともいえる生死の現場再現は、今のVFX技術ではもはや普通である。本作がデジタル処理ではなく、実写撮影にこだわった映像表現があるにしても、どちらが凄いという優劣は意味がない。
ハリウッド映画としては、"米国万歳"、"デズモンドは正義のヒーロー"、"日本軍は卑怯な悪魔"という表現は可能だったはず。メル・ギブソン監督はそれを徹底的に排除している。また日本軍の地下壕を活用した戦術や、降伏を装う自決、切腹シーンなど、実際の出来事を調べ尽くし、正しく再現しようと努めている。
この映画、アカデミー作品賞にノミネートされなければ、日本公開されなかった。それは前述の"旧日本軍のシーン"に起因している。
確かに"興行はビジネス"であるが、アンジェリーナ・ジョリー監督の「アンブロークン」(2014/日本公開2016)に、公開中止運動が起きた例もあり、大手配給会社は自主規制している。日本映画界は"誰か"に遠慮しているのだ。
第二次世界大戦を描く日本映画は、「この世界の片隅に」(2016)でも論争が巻き起こったように、"被害者主張"が強すぎる。映画で"加害者"としての日本と日本人が描かれないのは、近年のドイツ映画とは大きく違う。この辺りも、"リアル"と"ニュートラル"な表現は何かが問われている。
それゆえ、新興のキノフィルムズ(Kino Films)だから、配給が可能になったと思うし、改めて同社に感謝したい。
(2017/6/24/ TOHOシネマズ新宿/シネスコ/字幕:齊藤敦子)
メル・ギブソンの変態性、ここに極まれり!
※ 長文注意。
※ 勝手な妄想です。
『ハクソー・リッジ(2016)』
原題 Hacksaw Ridge
(あらすじ)
第二次世界大戦に実在した衛生兵:デズモンド・ドズ(アンドリュ・ガーフィールド)の物語です。
敬虔なクリスチャンであるデズモンドは、アメリカ軍に志願するも「汝殺すなかれ」を守り、銃を持たないことを貫きます。
ブートキャンプでは銃を使用した訓練すら拒否、その為、組織ぐるみの虐めにあったり、軍法会議にかけられたりします。
が、元軍人の父に助けられ、戦地:沖縄の前田高地(ハクソー・リッジ)に送られます。
「アポカリプト」から10年ぶり、メル・ギブソン監督作品です。
公開前に投稿しようと思っていたのになぁ。
6月24日から公開されてますよ!!
この「ハクソー・リッジ」の撮影が、2015年9月21日~2016年12月末。
そして二転三転してとうとう渡辺謙さんが降板した「沈黙-サイレンス-」が、2015年1月30日~同年5月。
これ二作とも舞台は日本。
主演が二作とも同じく、アンドリュー・ガーフィールドです。
なんでこんな同時期に、こんな二作が制作されたんでしょうね。
私はどうしても「沈黙-サイレンス-」に対する、メルギブ的な答えが「ハクソー・リッジ」
のような気がしてなりません。
何故なら二作の主人公は、同じように"神の声"を訊こうとしているからです。
しかし、その結果は大きく違います。
「沈黙-サイレンス-」は遠藤周作原作。
かなりな話題作だったので、あらすじは割愛します。
ま、江戸時代に行われた、幕府によるキリスト教徒弾圧と、苦悩する宣教師のお話でした。
幕府がキリスト信者に行った拷問の数々が、当時の機具を用いて再現されているとのこと。
ネット上では、この拷問に対して「酷い」との感想が散見されますが、私はそれより宣教師達が行った農民達への暴力の方が酷いと感じました。
だって、あの農民達は、聖書を持たないんですよ。
宣教師の口を通じてしか、神を知り得ません。
その中で、パライソ=天国に行くと幸せになれるんだ。
というような、天国=仏教で言うところの極楽だと解釈させた(ロドリゴ:アンドリュー・ガーフィールドはそうだと肯定します)彼等の布教活動は、如何なものか。
だから肉体への拷問だけが、暴力ではないと思うんです。
神の教えを説けばとくほど、クリスチャン的な行いから遠のく。
むしろ棄教してからの方が、クリスチャン的な行いができる。
と、いう矛盾。
信仰心と、クリスチャン的な行いは、相反するのか?
と、いうスコセッシの問いに、この方が答えてくれます。
そう、超伝統主義的カトリック教徒の彼。
「ブレイブ・ハート(1995)」を監督し、一国を独立へ向かわせた彼。
熱心なカトリック教徒でありながら、しかしプライベートでは奥さん以外に子供を産ませ、その女性に暴力をふう彼。
アルコールに溺れ、人種差別的な発言をする彼。
なので一時期、芸能界から干されていた彼。
そんな、もろもろアンビバレントな彼。
「パッション(2004)」で、キリストの"受難と磔刑"を描きましたが、実はキリスト自身を自分が演じたかったというのは有名な話(年齢的にできませんでしたが)。
そう、彼は「救世主(メシヤ)」になりたいんです!!!
そんな彼の願望が、ここまではっきりと出た作品はないと思います。
あ、彼とはご存知、メル・ギブソンです!
本作の主人公デズモンドは、武器を持たず、戦場で75人の負傷兵を助けました。
場所は沖縄の、前田高知。
ノコギリで切ったような崖は、アメリカ人に「ハクソー・リッジ(のこぎり崖)」と呼ばれ、恐れられていました。
実際に、あまりに酷い戦場だった為、ベトナム戦争の帰還兵のようにPTSDを発症した兵士も多いのだとか。
しかし日本兵が卑怯な戦い方をすると語るシーンから、反日という意見もあるようです。
日本兵:神出鬼没なモンスター。
アメリカ兵:それにびびりまくる。
という図式で、メルギブは日本兵を執念深く必死な兵士であると、リスペクトを込めて描いていると感じました。
沖縄戦があんなに接近戦であるということを、本作を観るまで知りませんでした。
リアルを追求するメルギブですからねー。
あの凄惨な戦場は、実際にかなり近い状態ではないかと思います。
腸がはみ出た死体。鼠に食い荒らされる死体。死体、死体、死体、大量の死体で、地面は埋め尽くされています。
そこに丸腰で立つ、デズモンド。
思わず、天を仰いで神の声を訊く。
すると聞こえたのは……?
信仰心と、クリスチャン的な行いは決して相反しないよ。
そんなメルギブからの、スコセッシに対する答えにも思える本作。
あのー、二人して一度、語り合ったらどうでしょうか(笑)?
そしてあのラスト。
まるで宗教画のように、神々しい光に包まれたデズモンド。
メシヤのデズモンドに、メルギブが重なるラスト。
「メルギブの変態性、ここに極まれり!」
心の中で思わず叫んでいました。
むっちゃ面白いです。
でも駿さんもそうですけど、やっぱ一定の年齢を超えると、自分の変態性を隠そうとしなくなるんですね(笑)
いいと思います。面白いもん。
因みに……。
スコセッシ『最後の誘惑(1988)』
原題 The Last Temptation of Christ
メルギブ『パッション(2004)』
原題 The Passion of the Christ
なんかがあります。
うん、やっぱ一度、二人で語りあったらいいと思う。
因み継いでに、「沈黙-サイレンス-」でキチジロー(窪塚洋介)がユダとみんな言うけど、(踏み絵)を「踏め」と言った時点で、ロドリコだってユダになったんだと思うよ。
全75件中、41~60件目を表示