「強い信念は本当に“いいもの”か?」ハクソー・リッジ チンプソンさんの映画レビュー(感想・評価)
強い信念は本当に“いいもの”か?
メル・ギブソンが撮る戦争映画と聞いて過ったのは、同監督作品の「パッション」の評判。
イエス・キリストの末を映像化した作品として話題になり、熱心なキリスト教信者がその衝撃的なビジュアルを見て、死亡したというほど(という噂があるみたい)。
そんな作品を撮る人が戦争を、それも激戦として知られる沖縄戦を舞台にするということで、ある程度ショッキングな映像を覚悟して観に行った。
確かに脚が吹き飛んで中身丸見えだったりするグロテスクな映像が多々あるが、生きたまま電動ドリルで頭に穴空けられる(アメリカンスナイパー)ような恐怖を与えるショッキングなものは無い。
ただ、視界に広がる人体部品という絵面は誰が見ても拒否感を抱くのは言わずもがな。戦闘描写は凄まじく、絶対にこんなところに行きたくないと痛感させられる。
ただこの映画、
真剣な戦争映画として観ると、少し拍子抜けする。
それは映画としてキチンと煽りを入れ、気持ちよく解決させる装いをしているから。つまりこれ、エンタメとして凄くよく出来てる。
主人公デズモンドの苦労の末、彼の活躍で皆は辛くも「良かったね」で終わる。当然ながら日本兵の決死隊を退くことで映画は終わる。
誰もが「デズモンド、お前はよくやったよ」と思えるほど気持ちよく終わる。それぐらい観ている人を感動させようとしてる作りがひしひしを伝わる
だからこの映画を見て反戦だなんだというイメージは全体としては薄め。デズモンドの活躍に感動するための程度。
ただそれはデズモンドの描き方にも起因してると思う。
幼い頃から非暴力を唱える宗教を教えられ、痛感していたデズモンドは、ずっと非暴力を体現し、成長していく。
その青春時代のサクセスストーリーは「彼の宗教心が為したもの」と受け止められても仕方ないほど、あまりにも都合よく上手くいってしまう。というか恋に落ちるまでのデズモンドの仕草や考え方が狂人で、観ていて怖い。
それが軍に志願してから痛い目にあい続けるのだが、なんやかんやで周りから認められ、彼の不殺な思考が称賛される。イマイチ周りがデズモンドを許すようになった気持ちの変化がわからないぐらい、戦場までの間に一心同体が如く許しあう。
ここまでの時点でどこか宗教映画っぽく見てしまった。けれどもその後の戦場でデズモンドは昔語りをする。
それはデズモンドが軍に志願した理由を示したものだった。しかし戦場でデズモンドは神の教えを頼りに衛生兵を全うする。
結局デズモンドは宗教心から衛生兵という道を選んだのか、宗教でもなんでもない自らの本心で選んだのかわからない。仮にデズモンドが無宗教であったら、同じように銃を取らない道を歩んでいただろうか。
そして一番の問題は、この映画の着地点が“信念を貫く”に結実していること。
デズモンドを褒め称える映画の作りになっているのだが、デズモンドの強い信念に焦点を当てたもので、彼が行った衛生兵としての多大な活躍を感動エピソードとして描く。
じゃあ仮に、デズモンドが不殺の教えではなく、自らを守る、仲間を守るという教えを貫くものであったら?
それもまた“信念”。仲間を守るため敵を殺すというのに置き換えてもこの映画は成立する。
「デズモンドは多くの日本兵を殺し、仲間の命を救った英雄であり、それは彼が宗教をもとに得た強い信念からである」
でもいいわけだ。つまりこの映画、宗教の宣伝映画にもなりかねないのだ。
デズモンドは冒頭から宗教に染まるため、彼の自発的意思というのが極めて曖昧なのが原因だと思う。
宗教ないし戦争、映画に一種の偏見を持っているから、自分はこのような見方になってしまったかもしれない。
ただ、とってつけたような日本兵の切腹、介錯シーンは別に無くても良かった。