劇場公開日 2017年6月24日

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「稀に見る大傑作」ハクソー・リッジ アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0稀に見る大傑作

2017年6月25日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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字幕版を鑑賞。メル・ギブソンの監督作は6作目で,自分が出演していない監督だけの作品としては4作目である。愛人への暴言事件や,飲酒運転などのスキャンダルで,前作の監督作から 10 年もの時間が流れてしまっている。ギブソンは自宅の近くに私費で教会を立ててしまうほど熱心なカトリック教徒であり,12 年前にはキリストの処刑前の 12 時間をリアルに(映画中で喋っている言葉が全て古代ユダヤ語という徹底ぶりで)描いた「パッション」を発表し,全世界のキリスト教徒からの絶賛と,敵として描かれたユダヤ教徒からの猛バッシングを受けた。

本作は,第2次大戦末期の沖縄を舞台にした実話を基にした映画である。ギブソンの作る映画だけに,ただの戦争ものではない。この映画で出てくる「良心的兵役拒否(conscientious objection,略して conchie)」という制度は日本に馴染みがないものであるが,主に宗教上の理由で兵役を拒否する権利のことを言う。アメリカやドイツなどではこれが法的に認められており,徴兵年齢に達した時点で自己申告すれば徴兵されることなく,他の社会奉仕が代わりに課される。エホバの証人のように,格闘技すら教義で禁じている宗派の信者はこれを申請することになるが,イスラム諸国などのようにこの制度が法的に認められていない国では,軍法会議にかけられて死刑に処せられたりしている。

本作の主人公は,良心的兵役拒否を申請しながら衛生兵として志願するという一見矛盾した行動をしたために,周囲に大きな軋轢を生んだことが映画の前半では大きく取り上げられている。衛生兵であろうと,志願した兵は一定の訓練を経た後で前線に送られることになるが,その訓練の中で,銃を扱う訓練だけは拒否すると主張するのである。同期に入営して訓練を一緒に受けた者同士が同じ隊に入ることになるため,この奇妙な志願兵は仲間から様々な嫌がらせを受け,上官からは除隊を勧められるが,信念を曲げない主人公は,極めて追い詰められた状況に追い込まれていく。

映画の後半は,酸鼻を極めた戦場が非常に生々しく描かれる。人間は,少しでも痛みを感じてしまえば通常の動作ができなくなる生き物であり,兵士として戦闘行為を継続するには,ほぼ無傷であることが求められるのだが,敵の銃弾はどこから飛んでくるかもわからず,体に当たった銃弾や爆弾の破片は,一瞬で兵士の運動能力や生命を奪う。兵器はまさにそのために作られているのであり,敵はこちらを全滅させようとして撃って来るのであって,全く容赦がない。また,沖縄戦の米軍では火炎放射器も武器として使用されており,火だるまにされる日本兵も多数描かれていた。沖縄戦では,米兵にも 20,000 人あまりの戦死者が出ている。

ハクソーとは Hacksaw(弓鋸)のことで,リッジ(ridge)とは尾根のことである。沖縄戦で激戦地となった「前田高地」と呼ばれる場所が,急峻な弓形の崖になっていることに由来する。ここに展開した日本軍は,アメリカ戦艦の猛烈な艦砲射撃に耐え,決死の覚悟で米兵に襲いかかって来るモンスターのように描かれているが,決して侮れない強敵であるという描写がなされていた。戦争物にありがちな日米の兵同士の交流などは一切なく,言葉も価値観も異なる恐ろしい相手という扱いで,戦争の現実を感じさせてくれていたが,見ているうちに,まるで「スターシップ・トゥルーパーズ」の宇宙人と同じ扱いのようにも思えて来た。一部,日本兵の卑怯な振る舞いも描かれていたが,流石にアメリカ視点の映画ならではかという思いがした。

いつ誰が被弾するかわからないという状況は,まさに実話ならではというもので,脚本の出来は素晴らしかった。主人公以外にはあまり有名な俳優を使わないというギブソン監督の手法は,リアリティを増すのにも貢献していた。主人公の父親を演じていたのは「マトリックス」のエージェント・スミスを演じた俳優だったが,あまりに熱い芝居でまるで別人のように見えた。最初は主人公に辛く当たるばかりだった鬼軍曹を演じた俳優も,実に印象に残る好演を見せていた。音楽は,聞いたことのない作曲家であったが,クレジットを見るまで,てっきりハンス・ジマーが書いたのだろうと思っていた。特に戦闘場面にかぶさって流れる熱い音楽は,「グラディエーター」に匹敵する名作だと思った。

ギブソン監督は,この映画の前半と後半のどちらにも恐るべき能力を発揮していたと思うが,特に戦場の容赦ない無残な描写は突き抜けていたように思う。それだけに,最初に戦場に送られて来た兵士たちが,朽ち果てた戦死者の姿を見て眉をひそめ鼻をつまむといった人間らしさを一瞬感じさせる描写がなかったのが残念であった。また,小銃で撃たれただけで体が宙に浮くなどの描写は過剰ではないかと思った。戦場の描写では「プライベート・ライアン」にはやや及ばない感じがしたが,最も油が乗り切っていた時期のスピルバーグ監督と比べては可哀想な気がする。映画全体を見れば,稀に見る大傑作であったと思う。
(映像5+脚本5+役者4+音楽5+演出5)×4= 96 点。

アラ古希