ハクソー・リッジ : 映画評論・批評
2017年6月13日更新
2017年6月24日よりTOHOシネマズスカラ座ほかにてロードショー
信仰とは、信念とは。そしてそれを描くべき舞台が、日本だったということの意味
ヴァージニアでの少年時代、誤って兄を煉瓦で殴打してしまった少年は、その時、自宅の壁に貼られた“汝、殺すなかれ”という神の教えを幼心に刻みつける。後に第2次世界大戦の沖縄戦線に衛生兵として従軍し、武器を持たずに人命救助に徹した実在の兵士、デスモンド・ドスの偉業のルーツである。
信仰とはかくも強靱なのかと思う。何しろ、“ハクソー・リッジ(ノコギリ崖)”と呼ばれる断崖の先に広がる高地での攻防戦では、物量で勝るはずの米軍が、其処此処に掘った塹壕に身を潜めて奇襲を仕掛ける日本軍相手に、絶望的にも思える持久戦を強いられる。火薬の煙が周囲に充満し、地面には体内から飛び出た臓物が転がる中、ドスは、被弾し傷ついた兵士たちにモルヒネを投与し、担架に乗せて高地と崖の間を頻繁に往復するのだ。
メル・ギブソン監督は信仰を描くために、あえて戦場の悲惨を過剰に演出したのかも知れない。終わりのない救援作業に疲弊し切ったドスは、ある瞬間、神に向かって「我は何をすべきか?」と問いかける。そして、もう1人、後もう1人と、渾身の力を振り絞って救出を続けた結果、最終的に彼が救った兵士の数は75名にも及んだ。果たしてそれは、信仰がもたらした結果だったのだろうか。
実は、75名の中に2名の日本人兵士がいた。ドスは人を殺すのではなく、人を助けるために衛生兵を志願したのであり、助ける対象を区別しなかった。区別することは、信仰以前に、人としての信念を放棄することに均しかったからだ。「信念を曲げたら生きていけない」とは、劇中のドスの台詞である。
偶然か否か、アンドリュー・ガーフィールドが主演する先行の「沈黙 サイレンス 」と、それから遅れること5カ月後に公開される本作「ハクソー・リッジ」は、同じ日本を舞台に信仰と戦争について深く言及している。そこで描かれる事柄は、我々日本人にとって決して心地よいものばかりではないけれど、カオスの時代を生きる人々の重要な道しるべとなる区別(または差別)と信念を描くべき舞台が、ここ日本だったということ。それはもしかして、何らかの教えなのかも知れない。
(清藤秀人)
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