「原作への敬意はないが、俳優陣が盛り上げた」亜人 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
原作への敬意はないが、俳優陣が盛り上げた
恐らく原作の漫画を読んだりアニメ版を観ている客とこの映画だけを観た客では本作の評価は分かれると思う。
主要な登場人物の数を減らし、設定も大幅にいじっているので、原作・アニメファンからは受け入れ難い面がある。
一方、大胆な上記の変更とアクション性に特化したことが効を奏して物語全体はあきさせない展開になっているので、本作だけの観客は受け入れやすいものになっている。
筆者は桜井画門の漫画も読み、ポリゴン・ピクチュアズ制作のアニメ版も劇場3部作、TV版2期ともに全て観た上で本作を観ている。
初めは劇場版から入って漫画を後追いして読み始めたが、原作とアニメ版では今や全く違う方向に進んでしまっていると感じる。
アニメ版は原作に先行してしまったために原作には全く登場しない人物やエピソードが加わり、最後のオチも全く違うものになっている。
原作者の桜井が天邪鬼な性格なのか主要登場人物の田中功次などは敵味方が逆になりそうである。
そのため実写版が原作漫画ともアニメ版とも全く違う展開になる地ならしはある程度できていると言える。
原作を読んでいないのではっきりと断言できないが、『銀魂』は監督の福田雄一が好き勝手やっているようでいて原作へ敬意を払っているのか、劇場パンフレットに原作者が好意的なコメントを寄せている。
原作者のこざき亜衣からしても映画の完成度自体はイマイチなのだろうが、『あさひなぐ』のパンフレットにもこざきの応援してほしいという切実なコメントが載せられていた。
本作のパンフレットには桜井画門のコメントは一切ない。アニメ版3部作のパンフレットにすら桜井はコメントを寄せていない。
桜井はクールに漫画は漫画、アニメはアニメ、実写は実写と割り切るタイプかもしれない。
しかし、本作の監督である本広克行のインタビュー発言などから原作への敬意が一切感じられないのは問題であり、やはりそれが本作へも悪影響を及ぼしているように思われる。
むしろ田中役の城田優が原作とは違うと思った脚本の言葉をどんどん変更させたりしていたようだ。
また綾野剛は佐藤を相当研究して佐藤が言いそうな言葉をアドリブで多く言っていたらしい。
アクションに関しては『るろうに剣心』のアクションチームが主役の佐藤健や綾野と話し合いを重ねて緻密に作り上げていったようである。
アクションシーンはたしかに見応えがあり、本作の最高の売りである。
戸崎優役の玉山鉄二もミントタブレットのさりげない出し方を研究していたり、下村泉役の川栄李奈も自主的に髪を切ってほくろをつけたりしている。
俳優たちからは気魄がガンガン伝わってくるし、実際に映画の中でそれぞれに良かったと思う。
それに比べて監督の癖に本広は何をしているんだ!と嘆きの言葉しか出てこない。
『亜人』アニメ版劇場3部作のシリーズ構成を担当した瀬古浩司が脚本を書いているが、俄には信じられない程アニメ版とあまりにも構成が違う。
社会情勢を示す現象の1つとして安易にYouTuberのHIKAKINを登場させているが、原作への敬意も感じられないし、演出方法も時代遅れな上に賢くない。
本作が持っているのはひとえに俳優陣の頑張りによってである。
佐藤健自体はアクションにも真剣で、永井圭を寡黙に演じていたので良かったが、そもそもなぜ高校生の永井を研修医に変更してしまったのか?
原作もアニメ版も永井にアクションは要求していない。元米海兵隊出身で戦闘のプロである佐藤に対比させる存在として頭脳戦を挑むのが永井の良さである。
そのため配役としては端正な顔立ちの細い若手で十分なはずである。佐藤健が本編の最後に見せる逞しい肉体美を備えている必要はない。ただし頭は切れそうでないと成立しない。
またその際は味方内で対比させる存在としておバカキャラの中野攻も絶対に必要だし、人間関係にドライな永井に対して熱血漢で友情に厚い海斗の存在も必要である。
つまり永井という少年は周囲の個性との対比によって浮かび上がってくるキャラクターであり、ある意味小賢しく冷たい現代人全体を代表した存在であるのかもしれない。
その永井が物語につれてどう変化していくのかがこの『亜人』という作品のキモである。
そのためサイコパスの佐藤の圧倒的な存在感にはどうしても食われてしまう。が、それでいいのだと思う。
上映時間の都合もあり登場人物を間引いた結果主役に佐藤健が選ばれたのだろうか?それとも佐藤を起用してアクションを追求すると決めてこの結果になったのか?
真相はわからないが、原作やアニメの重層的な人間関係のわずらわしさをぶった切ってしまったため、なんとも奥行きのない作品になってしまっている。
世界展開を意識したアニメ版が911テロを連想させる飛行機がビルに衝突するシーンを他のビルを爆破で倒すことで目的のビルを崩壊させる設定に変更していたが、科学的にもこちらの方がビルが瞬時に崩れそうである。
さすがにそこまでCG化するのは面倒と見て、本作では原作の飛行機激突に戻している。ただしCGが荒い。
アニメ版は原作以上に亜人が「断頭」されると人格はどうなるのかにこだわっていたが、本作では腕を残して他の体が全て粉々になり、残された腕から全身が復活するのを意表をつく演出として数回用いている。
伏線や仕掛けとしてはなかなか練られているが、一方で亜人の自分は何ものなのかという恐怖を無視していることになる。
また佐藤がなぜサイコパスになったかの説明として20年人体実験を繰り返されたことを理由にしているが、それならばなぜあれ程肉弾戦に強いかの説明はしなかったのだろうか?
結局は単なる辻褄合わせに思えてしまう。
最後に戸崎が永井を裏切って佐藤ともども戦闘無力化させてしまうのも微妙であり、粉々に砕くのでなくあのまま冷凍保存する方が2人とも二度と復活しないと思うのだが、続編の色気が垣間見える奇妙な演出になっている。
筆者も当初は佐藤役に綾野が起用されることを危惧していたが、実際に本作を観ると綾野の演技は素晴らしかったと言わざるを得ない。
声音やしゃべり方はアニメ版の声優の大塚芳忠を意識してそちらに寄せている。綾野も大塚同様にこの佐藤というサイコパスをどう演じるかに相当悩んだようだが、年齢設定は違うながらも佐藤にしか見えなかった。
原作・アニメ版の奥山と違い端正な顔立ちの千葉雄大の発言に「かわいい顔して言うねぇ」と脚本を勝手に変更して発言したり、佐藤という役柄を良く理解している。
SATと対戦する戦闘シーンも見応えがあった。前作の『武曲 MUKOKU』で剣道用に2ヶ月かけて鍛え上げた体から更に4ヶ月かけて佐藤の体に持って行ったらしい。本当に頭が下がる。
もしかすると自身の出演した実写版『ガッチャマン』の大失敗も念頭にあって二度と失敗したくないとの強い気持ちで本作に臨んだのかもしれない。
綾野は『リップヴァンウィンクルの花嫁』『ここのみにて光輝く』『武曲 MUKOKU』などの文芸作品でも素晴らしい演技を魅せており、真の役者だと思う。
アニメ版を制作したポリゴン・ピクチュアズにIBM(Invisible Black Matter:黒い幽霊のこと)のCG制作の協力を仰ぎ、アニメ制作の大手であるプロダクションIGも制作の一員であるので、ハリウッドレベルではないにしてもCGと実写の融合は概ね良かった。
もしや資金の都合上、2部作・3部作構成にできなかったのだろうか?
『亜人』を109分にまとめざるを得なかったために完全なアクション映画に特化したことは承知しているが、やはり原作への敬意が感じられない演出は原作ファンからは受け入れられないだろう。
本作はアクション映画としてはよくできている方なので、初見の人がこれを機に原作やアニメに触れて、より重層的な世界を知るならそれも成功の1つだと思う。