「ついに"遺恨を晴らす、平成リメイク"」劇場版 はいからさんが通る 後編 花の東京大ロマン Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
ついに"遺恨を晴らす、平成リメイク"
昨年の"前編"から首を長くして待っていた完結編は、大満足であった。
1975年から「週刊少女フレンド」で連載された大和和紀の名作を、日本アニメーションがワーナーブラザース映画とタッグを組んで本気で仕上げた、"遺恨を晴らす、平成リメイク"なのである。
"遺恨"とは、ついに完結しなかったテレビアニメ版(1978年6月~1979年3月)のことである。当時、モスクワオリンピック中継を理由に短縮・打ち切りを余儀なくされたアニメ版は、原作の中盤にあたるシベリアから帰国した記憶喪失の伊集院忍のエピソードで終わってしまった。
そのテレビ局への不信から、大和和紀がリブートを断り続けたとされ、ついに38年ものあいだ、最終回の関東大震災エピソードまで描かれることはなかったのだ。(同様の理由で、歴史的名作「あさきゆめみし」もアニメ化されていない)
それが涙・涙の大団円を迎える・・・しかも制作会社も同じ、日本アニメーションが手掛ける。これを目に焼き付けずにいられようか。
「はいからさんが通る」は、壮大な大河ドラマである。本来、連ドラ展開のストーリーでこそ成立するが、それを前後編2作でまとめるというH難度の構成を、この"平成リメイク"は成し遂げた。超高速展開についてもようやく馴れた。これはこれで納得である。前編で監督を務めた古橋一浩が前後編を通して脚本も担当している。
前編で新しいキャラクターデザインに戸惑ったところもあったが、後編ではすんなりと入ってきた。眼裏で新旧キャラクターを重ね合わせることができるようなったのかもしれない。
原作にはない紅緒が満州を訪れるエピソードで、少尉への深く強い想いを表現しつつ、鬼島森吾との出会いのシーンを補完している。それによって伊集院忍の記憶喪失が回復する瞬間が、紅緒の目の前に変更している。
また紅緒が思想犯で警察に逮捕されるエピソードをバッサリ省いている。原作での"伊集院少尉 VS 青江冬星"の決定的シーンがないにもかかわらず、それでもスムーズにつなげているのが見事である。
原作やテレビアニメシリーズに思い入れのあるヒトはもちろん、昔のテレビアニメなど知らない世代にも、花村紅緒の魅力に取りつかれるに違いない。大正デモクラシーのなか、まだまだ男女の待遇差が激しい時代に、スジを通し、正義を曲げない、つつましくも強いオンナ。
前編ではおてんばで天真爛漫な可愛らしい少女だった紅緒が、後編では相手の気持ちを察し、自我をコントロールするオトナの女性に変わっていく。
巡り巡ってハッピーエンド。クライマックスの、紅緒と少尉のキスシーンのあまりの美しさに感動する。
前編では、竹内まりやが書き下ろした主題歌「夢の果てまで」を花村紅緒役の声優・早見沙織が歌っていたが、後編でも竹内まりやが新曲「新しい朝(あした)」を提供している。
(2018/10/20/TOHOシネマズ上野/ビスタ)
原作でも紅緒は、旧日本軍脱走兵の馬賊首領の話を聞き、満州まで少尉を探しに行っていましたよ。
そこで出会ったのが鬼島軍曹なのは映画の通り。
ただ、出会う場所は大陸鉄道の中ではなく、連れて行かれた馬賊のアジトででした。
鬼縞軍曹が紅緒に気づくエピソードも変更されていましたが、まあそこはそれ。
多少ソフトに修正されたのかなと。原作が特段ひどい表現というわけではないですけれど。
原作を知らない方は読み比べられると面白いかも、です。