「人間の意志を超えた曖昧な「何か」」光(河瀬直美監督) Rudieさんの映画レビュー(感想・評価)
人間の意志を超えた曖昧な「何か」
「音声ガイド」という健常の鑑賞者ならあまり注目しないだろう分野に焦点が当ててるのが、とても良かった。
今作を数年前に見て以来、バリアフリーの音声ガイド、日本語字幕を意識して、映画等DVD鑑賞するようになった。
自分の中で好きな作品となっていて、ふと思い出し改めて見返した。一度観た時より、感じ方が変わった。違和感が色々出てきた。
視覚障害者たちのモニターから指摘され、美佐子がラストシーンの言葉を模索する。奥深くて難しい仕事なのかと感心した。
北林監督と対面した際、監督は言った。
「生きたいと思っても死ぬこともあるし、死のうと思っても生かされる場合もある。
こんな歳になると人間の生と死の狭間が曖昧になってくる。
重三は生きようとか死のうとか人間の意志を超えた曖昧な「何か」を見ているとしたら…?」
(この台詞が心に残った)
と曖昧なものを提起し、それを観客それぞれが解釈してほしいという思いかな。
にもかかわらず。美佐子は「いやそんなものでなく、確かな希望が欲しい」と
鑑賞者としてそう思うのはいいが、ガイドは自分のフィルターで誘導するものじゃない。監督が絶対であり、それを忠実に伝える仕事のはずだ。
初めに美佐子が中森宅を尋ねた時、ちょっとお茶でも…が焼肉かい!少し揉めてたのにその流れは不自然。
弱視のカメラマンが目が見えなくなっていき、魂のカメラも扱えなくなる姿見て、憐れむ感情はよく理解できるが、恋愛感情までなる?
まあ中森側からの気持ちは察するが、美沙子が恋愛感情に至るまで描写を入れたが感情移入できたかな。無理に恋愛物にしようとしてる感。
中森が夜、陸橋の階段降りようとするも目がもうほぼ見えなくて怖くて足が震えるシーンはリアルで良かったけど、その時の中森の視点が画面一面ぼやけた白(怖がる息切れ)〜次の砂浜で中森が立ってカメラ構えてるシーン。あの切り替わり違和感。
あそこは夜で暗かったから、中森の視点は一面暗い画面(怖がる息切れ)〜充分間をとって〜白い画面〜砂浜シーンの方が 見える人に見えなくなる人のリアリティがより伝わった気する。因みに砂浜で重三を後ろから撮ってる中森のシーンは中森が鑑賞中、想像力であの劇中映画の世界入ったみたいな描写?
認知症の母と美佐子の関係は結局どうしたん?
美佐子は目の見えない彼と認知症の母の二人を看る感じになりそうだが…
砂浜で重三が「思いが付きないんだよ」と言って時江をもみくしゃにしてるシーン、マフラーで首絞めて殺したんか?あそこよく聞けば時江が「砂にして」て言ってたけど、殺して時江の砂の像を作ってたイメージなのか?時江に先立たれ、失意の感情から砂の像を作ってたのか?よくわからなかった。
そしてラストシーン、樹木希林さんがナレーション?そりゃ反則だろ。
重三の見つめる先、そこに「光」〜エンドロールで、光に照らされた鑑賞者の表情たちを映すのは良かったけど、笑顔なのがとても違和感があった。
あれ観て「光」は感じるだろけど、笑顔にはならんかな。
河瀬監督は彼らに「少し笑ってください。」とか言ったんかな。作り笑顔に見えたし。子供なんか。それぞれ素の表情が照らされてる絵でいいのに。
それこそ、美佐子のように希望誘導してない?あれ冷めました。
河瀬監督はこの作品、目瞑って観てないかな。
音楽と役者さん達の演技はとても素晴らしかった。
愛しく思った分、もったいないと感じ。色々綴ってしまいました。