「化粧を全て落とした女性に憧れ触れる少佐のシーンが最も心に残った」ゴースト・イン・ザ・シェル あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
化粧を全て落とした女性に憧れ触れる少佐のシーンが最も心に残った
アニメとの比較ではなく本作だけを単独作品としてレビューする
基本ブレードランナーの派生作品であり、そこにSF小説のサイバーパンクの要素を持ち込んだ世界観であるわけだ
予算の掛けかたが全く違うが奇しくもブレードランナー2049と同年の製作であり、1982年のオリジナルのブレードランナーのチルドレンであるのは同じだ
面白いことに街の巨大ホログラフィー広告のビジュアルイメージは被った
本作ではオリジナルのブレードランナーの雑多なアジア的な未来の再現に東京と香港をミックスした延長線上の街並みをモチーフにしている
ブレードランナー2049では意図的にそれを避けてより衰退した世界観を目指している違いがある
感じることは原作のアニメの1995年ならば、革新的であった世界観とビジュアルの提示が最早古びてはいないかということだ
冒頭の宴会への襲撃シーンはまるでタランティーノ監督のキルビルを彷彿とさせる
光学迷彩でさえ1987年のプレデターで既にお馴染みだし、サイバー世界観もSF小説ファンでなくとも1999年のマトリックスで馴染んでいる
記憶書き換えも1990年のトータルリコールで一般の人間も知る概念になっている
それらを統合して1995年の時点で作品にまとめた原作アニメは確かに革新性があったはずだ
しかし本作はその革新性を追体験しようという意義で作られたような思いにとらわれる
では映画としての新しい意義や価値は無いのか?
しかしそれはあると思う
それはどこまでが実写であって、どこまでがCGなのか
その繋ぎ目が意図的なのか判然としていないことだ
主人公の少佐の映像は実物なのかフルCGであるのかわからないシーンが多い
身体だけでなく顔もだ
あやふやな現実を映像としている
原作にあるのかはわからないが、化粧を全て落とした女性に憧れ触れる少佐のシーンが最も心に残った
眼鏡はもちろん、化粧も擬体なのだ
身体能力の拡張デバイスだ
それらを取り去ってもなお実体が残る
実存そのもの
ブレードランナー2049もあやふやなな実存がテーマであった
このあやふやな実存への切り込みのシーンこそが本作の最大の収穫であった
たけしの存在感は流石だ
ただ台詞が聞き取りにくい
英語字幕で何を言っているのか補完が必要だった
これは製作陣の音声さんにはこのように聴こえており日本人には不明瞭な録音であっても違和感を感じ無かったのかも知れない
他の日本人の出演洋画でもよくあることだ
日本人であるべき主人公を白人が演じている問題は全く感じない
却ってテーマ性が浮き彫りになっていると感じる
日本の優れたコンテンツはまだまだ沢山ある
ハリウッドでどんどんリメイクされるべきだ