「なかなか素晴らしい作品」僕と世界の方程式 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
なかなか素晴らしい作品
原作はない。
この作品の原題「X₊Y」
とてもシンプルで、この作品の上手に表現している。
しかし、日本では「売れない」感じがする。
邦題は主人公ネイサンが母や他人、そして社会などと関わろうともがく雰囲気が伝わってくる。
そして、ここがこの物語の着地点だったのだろう。
先天性である発達障害のひとつ、自閉症スペクトラムは、遺伝に関することなので、ネイサンの「それ」を治療することはできない。
しかし、健康であっても自分自身の性質や性格を修正するのは非常に困難なことだろう。
それは単に個人的特徴として受け入れられることが多い。
その枠を超えると、このような名前が付けられる。
つまり、「お前は病気」だとレッテルが張られる。
逆に言えば、病気であるがゆえに社会的に許される特権が与えられることになる。
このような人たちの中には、一般的にサヴァン症候群と呼ばれる特殊能力を持つ人たちがいる。
あのモーツァルトもそうだと言わている。
しかしこの物語のサヴァンという言葉は登場しない。
それは、映画の主題が「ラベル」ではなく「理解」にあるからだろう。
ネイサンを「サヴァン」として描くことで彼を特別視するのではなく、彼の視点から世界をどう感じているかを観客に体験させることが目的なのだと思われる。
ネイサンの人間的な成長や他者との関係性を描くことに重点が置かれており、診断名よりも個人としての彼の内面や経験が中心としたい制作側の強い意志を感じた。
レッテルトラベル付けされたネイサン
彼はしょっちゅう父を思い出す。
まだ5歳くらいの時期に感じた父と母
母に感じた「世話役」に対し、父から流れてくる温かみのある何かを感じていたのだろう。
それがケチャップを鼻血に見立てててポテトを鼻に突っ込んだことだった。
彼の「列車」も父からのプレゼントだったのだろう。
それをお祝いとしてでも、無断利用されたことに怒りを覚える。
ネイサンは絶えず自分とそれ以外とを区別したいのかもしれない。
食への拘り
エビボールの数 素数
おそらくそれは父が店側に依頼したものだったのだろう。
母がそれを依頼するとき発生した店側とのギクシャク感は、そのまま母とネイサンとの関係を表現している。
ネイサンは絶えず「選択」している。
そこに妥協がないので他人とはうまくコミュできない。
そしてネイサンにとって一番わからないのが自分の気持ちなのかもしれない。
さて、
映画にありがちな設定
この数学が得意な集団は、他人から見ればそれだけで「変」だ。
そこに各々の性格が加えられると、おかしな連中に見えるのは間違いない。
そして自閉症スペクトラムと診断されたネイサンもまた変な人だが、何故かモテてしまう。
この部分には村上春樹さんの世界観を感じてしまう。
自分を卑下する主人公が何故かモテてしまう。
合宿に参加したメンバーの中で最も一般的だったのがチャン・メイ
同様にレベッカも一般的に見える。
レベッカの嫉妬 引率係の叔父に二人のことを密告した。
チャン・メイは叔父と喧嘩して大会に出場しなかった。
レベッカは自分がしてしまったことを後悔し、その事をネイサンに話した。
物語としては良くまとまっていた。
そうして集中できなくなってしまったネイサンは会場から出て行ってしまう。
ネイサンは、出された問題の「列車」から父を回想し、当時の事故まではっきりと思い出した。
ネイサンの頭にあったのは父で、父の葬儀の時も反対方向に走り出してしまうほど、本当はそれ自体を受け入れられなかったのだろう。
それを彼はしょっちゅう思いだしていた。
ただ彼には、父の事故が自分にとってどういったものなのかが理解できなかった。
喪失
おそらくネイサンは、父の死を自分自身の心の喪失だったことがようやくわかった。
会場を出て中華料理屋に入ったネイサンを母が追いかけてきた。
母はネイサンの気持ちにようやく寄り添うことができたのだろう。
ネイサンも父の死が自分にとってどんなものだったのかを初めて言葉にできたことで、自分の中の心の壁を一つ乗り越えられた。
母は次にチャン・メイについて尋ねた。
ネイサンは「恋」についての方程式はわからないと答えるが、母は「理解できた人はいないわ」とニクい言葉を遣う。
人の心や気持ちは絶えず変化する。
まさに変数であり「X」であり「y」だ。
この無限の組み合わせとつながり
なかなか素敵な作品だった。