「怒りに振り切りすぎ?」人魚姫 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
怒りに振り切りすぎ?
チャウ・シンチーは基本的に金持ちとか高学歴とかいった「上流」的なものに対して常に一定の距離を取り続けてきた。思えば『少林サッカー』の主人公は配管まみれのビルの屋上で極貧生活を送っていたし、『カンフー・ハッスル』の主人公も九龍城のごときオンボロ団地に住んでいた。「下流」から開始される物語は常に透徹とした文体を拒む。芸術映画のようなレトリックは徹底的に排され、二次会のごとき下品で短絡的なナンセンスコメディが事あるごとに物語の進行を阻害する。
お世辞にも育ちがいいとはいえない俺からすれば、彼の映画には実家のような安心感がある。作中でリウ社長が安っぽい屋台のチキンを頬張って懐かしさに咽び泣くシーンがあったが、まさにあんな感じ。あとは美女が何人か出てきて、安っぽいヒューマニズムが達成されて、万雷の拍手喝采の中で物語が幕を閉じる。いい、いい、もうそれでいい。それはもう事なかれ主義なんかじゃない、お前自身の立派な文体だよ。見たらわかるもん「あ、チャウ・シンチーだ」って。
ただ本作に限っていえば少々やりすぎというか、メッセージが文体を押し退けて作品が中途半端な出来に終わってしまったような印象がある。具体的には環境破壊への警鐘を鳴らすことに固執するあまりか暴力描写が必要以上に苛烈だった。ルオラン一派による虐殺で皮膚がケロイド状になった人魚や、モリで思い切り胸を射抜かれるリウ社長などのあからさまな描写は言わずもがな、序盤でリウ社長やルオランが部下を叩いたり怒鳴ったりするあたりもけっこう酷い。ギャグシーンとして処理されてはいたもののシャンシャンの顔にウニが突き刺さったりタコ兄の足が切り刻まれたりといったシーンもエグい。
たぶんチャウ・シンチーとしては皮肉を目指した露悪芸をやってるつもりはあんまりなくて、ただいつものようなナンセンスギャグを手癖で挿入してるだけなのだとは思うけれど、それがこういう苛烈な形態で表出したあたりに、彼の怒りの感情の強さが伺える。また役割意識が異様に強い戯画的な人物が出てくるのはいつものことだが、ルオランのような一切の媚態もない悪の権化みたいなタイプはあんまり見かけない。混じり気のない悪というやつはコメディに転化させようがないので、彼女のせいで作品全体がどっちつかずなものになってしまったといっても過言ではないかもしれない。別にそんなに社会派になろうとせんでも、アンタほど強い文体があるんなら自ずと作品に社会が反映されてくるから大丈夫しょ、と思うんだけどな。
ただ、荒唐無稽で縦横無尽なCG処理に関してはいつも通りのチャウ・シンチーだったから安心した。これからもものすげえ金をかけてものすげえしょうもない(マジで本当にしょうもない)ことをして俺たちを笑わせてほしい。