「人間が悲しみを消化する過程」素晴らしきかな、人生 movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
人間が悲しみを消化する過程
ウィルスミスがどん底に悲しい役第2弾。以前は7つの贈り物で婚約者を亡くしていたが、今回は6歳の娘。
物心もついているし、成長してきて出来る事話せる事も増え、思い出も沢山の6歳児を亡くしたら、死を受け入れたり乗り越えたり早々できるはずがない。珍しい病気故なので、覚悟する時間が多少はあったかもしれないがそんなのいくらあっても足りないのはよくわかる。本作では、3年経っても全ての物事に興味を失い生気を無くしている。
そこで、彼が経営する会社の同僚達がこのままでは会社が立ちゆかないと、会社を売却するために、彼がまともな精神状態ではないと証明する証拠を撮ろうと劇団員を数名雇うのだが。
元々ウィルスミス演じるハワードは、「人は愛・死・時間」どれかのために行動し価値を見出すと信じる行動理念で、会社でもそれに沿った広告を作っていたほど。しかし今は、どれだけ愛してもどれだけ時間が経っても娘は戻らないのだから、愛も死も時間もどれもが憎らしく腹立たしく、愛や死や時間に手紙を書くほど。
なので、ならば劇団員が愛や死や時間に扮しハワードに話しかけ、再起のきっかけを与えようとするものの、思うようにはいかない代わりに、ハワードは彼らに悪態や怒りをついにぶつける。そして、見えないはずのものが見えている自分に不安も感じ始め、同じ境遇の人達と経験を語り合うセラピーの輪のような集会に参加し始める。
その集会を開いている女性マデリンも娘を亡くし、子を亡くした親の8割が辿ると言われる離婚を経験した経緯がある。娘の人工呼吸器がはずされる時に、「死の先には幸せのおまけがあるから見逃さないで」という助言をある女性から受けていた。そして、娘の死後一年経ってやっと、何をしていても涙が出てくるようになり、でも悲しいのではなく、全てと繋がっていると感じられるようになった、これが「幸せのおまけ」だと気づいたと話してくれる。
ところが、このマデリン、実はハワードの妻だったというオチ。お互い思い合っていても、娘を亡くし失意に暮れて、離婚を選択した時に、ハワードが「もう一度他人同士で出会えたら、、」と書いた手紙を渡していたから、マデリンはハワードとの再会で他人のように接したのだろう。子を亡くした事実は永遠に変わらない、元には戻れないのに、大好きな妻と、夫婦2人変わらず何事もなかったかのように愛し合ってはいかれない、と考えて離婚を選択する夫婦8割やハワードの気持ちは容易に想像がつく。でも、同じ子を持ち、その子を亡くした痛みを最も共有し癒し合っていかれるのもまた妻で。
結婚前や、結婚後の不倫だなんだを経ての復縁を描いた作品は数あれど、夫婦にとって最も悲しい子を亡くした後に復縁する究極の夫婦愛を描いている作品。
で、不思議なのは、妻に幸せのおまけの助言をくれた女性は、実は劇団員の中で、死の役を演じていた年配の女性。彼女は、ハワードの同僚の中で末期の病を抱える男性にも、死について家族にも覚悟する時間が必要、など助言をしており、おそらく大切な人を亡くした経験がある人。
今は当事者として辛さ苦しみ空虚感にもがくハワード夫妻だが、「時」を経て、その「死」の経験さえもが誰かの気持ちを楽にし誰かを助ける「愛」に変わりゆく事がその女性から予見させられる。
所謂みんなが思う「愛」は、不倫の末離婚した女好きなハワードの同僚が劇団員の若い女性を少し色めかせたりという場面に象徴される「恋」や、不倫して娘を失いそうになって初めてどれだけ娘が大切か気付く「家族愛」に近い物が多いが、愛は必ずしも恋人同士や家族間にだけ存在する物ではなく、精子バンクから得た子供や、それすら年齢的に難しければ養子で得た子供とでも愛に満ちた関係性を作る事は可能であると、別の男性劇団員がハワードの女性同僚に助言する場面もある。しかし、愛を注ぐ機会を突然奪われる場合もあるからこそ、愛情を遠慮したり惜しむなというメッセージもあり、目の前の人々にどれだけ全力で愛を伝えているか考えさせられるとともに、絶対にどこにも消えないで!と今すぐ家族を抱きしめたいと思わせてくれる作品。
「死」は多くの概念では、別れではなく魂は永遠に生き続けるのだから拒まず受け入れろ、という内容が多いが、大切な人の死を実際に経験すると、拒めるなら避けられるのなら絶対に嫌なことだし、何年経てば消えるなどと人間が勝手に決めた時間の区切り方で簡単に計れるほどの悲しみではない。
せっかく人間は社会性を持ち、他の人間と関わる事で変化していける生き物なのに、人間だけができる、理性という名の感情コントロールが邪魔をして、人目を気にせず思いっきり悲しんだり、思いっきり愛したり、助けを求めたりができないことがよくある。そして、強いストレスがかかると、失語になったり喋り続けたり誰もいないのに怒鳴ったり、人間として持って生まれた機能が機能しなくなることすらある。
でも、それでも良い。一度人間としての機能が止まっても、気が済むまで時の流れを気にせず悲しんで、何度も何度も自問自答すれば良い。その過程を肯定してくれる話。人に話し説明し楽になり再起するなど、簡単にできなくて当然。
それでも、いつかやっと少しずつ心の中での消化が始まった時、少しずつ感情を外に出す行為ができるようになり、ふたたび、人間は会話を求め、会話を通して救われていくことができる。そして、周りの人に大いに支えられ、大いに共感し支えていくこともできる。人の気持ちを理解し、あえて放っておく優しさも、寄り添う優しさも、人は選ぶことができる。
人間って素晴らしい。
描き出している感情はリアルだが、話の展開はなんだか現実離れした突飛な発想の世界観。でも、キャスティングされているケイトウィンスレットに抱いている私のイメージはぴったり。