「まさに、わたしたちがそこにいた。」わたしたち だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
まさに、わたしたちがそこにいた。
「わたしたち」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「最初で最後のキス」の、三本を立て続けに見まして、全部良くて、奇跡的なチョイスと、京都での公開時期の一致に感謝した。
志乃ちゃん〜と最後で〜は、高校生モノですが、「わたしたち」は小学生モノです。
役者は若いのに自然かつ繊細に表現していて、素晴らしかった。
5歳の自分も20歳の自分もマトリーショカのように自分の中にいるって誰かが言っていたけど(多分、花よりも花の如くでの誰かのセリフ)、まさにそういう気持ちになった。
10歳のわたしがソンやジア、ボラから見えた。
基本は主人公ソンと、裕福な転校生ジアと、前からソンに軽く意地悪をしているボラが中心に話は進む。
そこに5歳くらいなのに人生の達人みたいなことを言うかわいいソンの弟が良い味を醸し出す。
ソンの学校での状況はすごくわたし自身の過去を思い出させる感じでリアルだった。
はっきりといじめられているわけじゃないけれど、境界線に立たされていて、いじめられっ子ではない側に必死でしがみつこうとする感じを思い出した。
ドッヂボールでのラインを踏んだ踏まないのいざこざ。
あれは、あんたは劣っているということを暗にいわれているわけで、つらい。
ひそひそ話をする目立つ女子から誕生会に招待される代償に掃除を押し付けられ、お金がないからブレスレットを手作りして持って行ったのに、騙されてたっていうね。
泣ける。
そんなことされてるのに、ちょっと優しくされるとうれしくって仲良くしたくなる。人気者に好かれたい。仲良くしたい。
今ではそんなこと思わないけどあの頃は私もそうだったって思った。
ソンは共働きでそう裕福ではない(でも貧しくはない)家庭で育ち、お小遣いはあまりないけどお母さんの愛情を浴びて暮らしている。
ジアはとっても裕福だけど、両親は離婚しており、多分父方のおばあちゃんと暮らしている。前の小学校でいじめられていたみたい。つく必要のない嘘をついてしまうタイプ。
この嘘つきって部分。10歳くらいまでの私に顕著だった特徴で、わっ恥ずかしい、バレたって思った。
ジアと同じかはわからないけど、友達の輪の中で、羨望の注目をされたくて、愛されたくて、作り話を語ってしまう癖があった。
お母さんがイギリスにいて住んでいたこともあるってゆう誰も傷つかないしょうもない嘘を知り、ジアを抱きしめたくなった。
抱きしめたところでジアはちょっとひねくれて意地悪なままでしょうがね。
ボラはあまり書かれなかったけど、優等生でいろってゆう家族からのプレッシャーが強いのかな。猜疑心が強くて、人を信じていないので先に裏切って傷つけて喜んでいる。
褒められた性質じゃないけどいたなぁって思う。
小学生女子は性格が悪い。実体験としてわたしはそう思う。
傷つけ、傷つけられてちょっとづつ人付き合いを学ぶんだけど、今はちょっとづつが難しくって取り返しのつかないことになりやすい気がする。
無視したりされたり、嘘ついたりつかれたり、秘密をバラされたり、嘘の噂を流されたり。
全部やったことがあるし、やられた。
褒められたことではないけど。
彼女たちはこれから。
映画の最後に立っているここからどうなるか。
自分の醜さを認め、自分にない人の美点や環境を妬まず、自分を好きになる。醜さも含めて。
がんばれ。