劇場公開日 2017年9月16日

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「【”民族間に優劣などない!”サーミ人の娘エレ・マリャが、スェーデンの女教師、クリスティーナの名前を終生名乗っていた哀しき理由・・。】」サーミの血 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0【”民族間に優劣などない!”サーミ人の娘エレ・マリャが、スェーデンの女教師、クリスティーナの名前を終生名乗っていた哀しき理由・・。】

2021年8月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館、VOD

悲しい

知的

難しい

ー 今作を観て、日本人であれば、即座に倭人と、アイヌ民族との哀しき関係性を想起するであろう。人によっては、沖縄の人と、ウチナンチュウとの関係性を想起するかもしれない。
  歴史的に観れば、第二次世界大戦前に、ゲルマン民族至上主義に走った男に追従した国民と、犠牲になったユダヤ民族や、近年で言えばウィグル自治区に居住させられているウィグル民族と、漢民族との関係性や、ミャンマー政府から虐げられているロヒンンギャの人々との関係性も想起させられる作品である。ー

◆感想<Caution! 内容に触れています。>
 ・冒頭、クリスティーナを名乗っているサーミ人の年老いたエレ・マリャの沈痛な姿が映し出させる。

 ・その後、物語は1930年代(当時の資料より)のサーミ人の若きエレ・マリャと妹ニェンナが、スェーデン人と思われる若者達から、”臭い”などと言われるシーンに移る。
 このシーンだけで、当時、ラップランド地方でトナカイを買い暮らしていたサーミ人の立ち位置が分かる。
 この後、度々映される、サーミ人の自然の精霊に対して、畏敬の念を払うヨイクの音色がとても、魅力的なのに・・。

 ・更に、スェーデン人の女教師クリスティーナから”サーミ語は禁止。スェーデン語で話しなさい・・”と学校で、サーミ人の子供達が言われるシーンや、エレ・マリャ達が”身体検査”と称した骨格検査や、裸体での写真撮影を強要されるシーンも映し出される。
 ー スェーデン人達にとってはごく普通の”生体調査”だが、若きサーミ人達にとっては、屈辱でしかないであろう・・。ー

 ・エレ・マリャはスェーデン人のふりをして忍び込んだ夏祭りで、スェーデン人のニクラスと出会い、恋に落ちる。
 だが・・。

<そして、頭脳明晰なエレ・マリャは、哀しき決断をする。
 ”サーミ人として生きていては、この国では真面に扱われない・・。”
 最後半、クリスティーナを名乗っている年老いたエレ・マリャは、故郷に戻り、棺の中で永遠に眠る妹ニェンナに頬を寄せ、涙を流すのである。
 民族に優劣などない。
 何時になったら、民族間抗争、もしくは一方的な弾圧は無くなるのであろうか・・。>

<2017年10月  京都シネマにて鑑賞>

<2021年8月3日 別媒体にて再鑑賞>

NOBU