君の膵臓をたべたい(2017)のレビュー・感想・評価
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桜良の無理やりな明るさが気持ち悪い名作
何度目の鑑賞だろうか。
桜良の明るさが気持ち悪いのです。 何度見ても。 いい意味で。
わざとらしく明るく振舞えば振舞うほど、死への恐怖、怒り、嘆きが聞こえてくる。
損得感情さえ湧いているのがわかる。
理屈ではわかっている。感情を理屈で抑え込んでも無理なのもわかっている。
もう何度も泣いて苦しんで悲しんで涙さえ出てこない。
そんな時期はとうに過ぎて達観したはずなのに何度でもぶり返す。
その心の叫びを振舞いの明るさで抑え込んでいる心の窮屈さが見え隠れする。
せめて自分の残り僅かな人生に人生経験を詰め込んで意味のあるものにしたい。
生きた証を残して意味のあるものにしたい。
他人に自分が生きていたという証を認めてもらいたい。
それを真っ向否定するように、他人を必要とせず完全体として見える春樹。強い。
だから春樹のまるですべてに達観しているような落ち着きに興味を持った。
どのようにすれば、どのような考え方をすれば、そこにたどり着けるのだろうか?
余裕はない。心にも時間にも。
春樹へ罪悪感を感じながらも、春樹は唯一、自分の弱さを吐き出せる場として、
それを全て受け止めてくれる器の人と見込んだ。救ってくれる人と見込んでしがみついた。
死への砂時計の砂は刻々と落ちて行く。
桜良の発する言葉の裏に現わされた恐怖、怒り、嘆き、焦りの叫び。
奇跡が欲しい、でも、そんなものは無い。理屈で抑え込んでも感情が反発する。
気持ち悪い明るさと強さから醸し出される本音の弱さ。
その裏心の気持ち悪さを体現している浜辺美波の演技力が凄いのですね。
実は演技力ではないかもしれない。彼女の才能なのかもしれない。
この気持ち悪い明るさを出せた浜辺美波がこの映画をヒットさせたと言っても過言ではない。
もちろん、映画は監督のモノではあるが。
まず題名が気持ち悪い。
選択のきっかけは名前では?
浜辺美波がとっても可愛くて、完璧に桜良のペースに持っていかれるのだが、俗に言う小悪魔なんて言葉では表現できない透明感に魅了され、主人公の僕よりも動きを目で追ってしまうほど。小悪魔ではなく、余命を知り自分に素直に生き抜こうとしている、儚い天使のよう。
ませているというよりも、考えの深さが大人びている桜良が、彼氏ではない人といけないことをしてみたいというのは、高校生らしい等身大の素直な好奇心で、どっぷりと恋愛に浸かって失う怖さが増す愛を欲しているわけではないことがわかる。あくまで健康な子と同様に、幸せな充実した日常を送りたいという、当たり前に思いがちな時間の有り難みをわかりぬいた希望。
それを叶える人として選ばれた僕、なのだが、最後に僕の名前が「春樹」だったとわかった瞬間、全ては彼らの両親が「春樹」「桜良」と名付けた時から始まっていたのでは?!と、鳥肌もの。
限りなく沢山の選択の積み重ねが引き合わせて通い合った2人が、選択も希望もしたつもりがない「最期の瞬間」により引き裂かれてしまったやりきれない悔しさに満ち溢れる。
想像だが、桜良は同じクラスにいる読者好きの子の名前が春樹で、語源が似ているなぁというところから興味を持ったのではないか?
軽々しく名前を呼ばず、きみ、と呼ぶシャイな僕がとても誠実で、目立たなくても芯のしっかりした素敵な青年。本人は人とちゃんと向き合おうとしていないだけだと言うが、桜良が抱きついてきたら、「彼氏でもない本気でない人にそんなことしてはダメだ。自分を大切にしないと。この地味な僕ですら男で、本気を出したら無理矢理にでもきみのことを壊してしまえそうだし、今事実、きみのことが大好きでこれ以上挑発されたら理性を保てないよ。きみにとっては好奇心の対象でも、僕にとってはとても大切な人なんだから。」とばかりに無言で押し倒す。そして、しっかり自制して、潔白なまま帰ろうとする。ところが、桜良の家で待ち伏せをしていた元カレには、しつこい男は嫌いらしいよ、と桜良を大切にできない人間は許さないとばかりに、強い言葉を放つ。
普通の青春映画に抜擢されるような主役級イケメンには醸し出せない、自然で絶妙な深みのある人間性を感じさせる北村匠海がこの役で、納得しかない。
「誰かの、自分の病気と同じ部分を食べてもっと生きたい」「食べられた人の中で存在として生き続けたい」「花がついていなくても次の芽をつけて咲き続けている桜でありたい」「むしろ、正反対で憧れの君になりたい」色んな想いが集約された、「君の膵臓をたべたい」。あらゆる告白よりも、表面ではなく真をついた表現。それだけ思い合っていたけれど、当時は、お互いにはっきりと自覚して言葉に起こしていても、届かぬままだった気持ちは、12年の歳月を経て、僕が桜良の助言通りに教師となり図書館に来たからこそ受け取ることができた。
図書委員として図書館の蔵書を整理した12年前の桜良との日々を、教師として再び図書館閉館に携わり蔵書を整理する中で回想し、気持ちの整理をしながら次世代の教え子に、間接的に青春の儚さや今生きている瞬間の尊さを教えていく僕の姿は、当時のままのかっこつけない誠実さに溢れている。繊細で自分の殻の中にいて他人との深い関わりを苦手としていた春樹もまた、桜良を胸に、立派な大木へと成長した。桜良の願い通り、桜良は人と通い合う人生を全うし、大切な人々の中で生き続けているのだ。そして春樹が成長したからこそ教え子と出会い、教え子との心の通い合いがきっかけで見つかった、桜良との思い出の星の王子様に挟まる遺書。
「こんなに君を悲しませるなら仲良くなんかならなければ良かった。何にもいいことはないじゃないか」と言う王子様に、「いやある。心で見なくちゃ、ものごとは良く見えないのさ。肝腎なことは目には見えないんだよ」と返すキツネの言う通りである。
知らぬ間に静かに静かに病が深まり最期に向かっていく腎臓は、春樹と桜良の目では見えない心の関係性に重なる。
いつも春樹を自分のペースに巻き込み話を進めていく桜良なのに、真実か挑戦のゲームで、「どうして名前で呼ばないの?」とはどうしても聞きたかったのに聞き損ねてしまった桜良。でも、名前で呼ぶか呼ばないかとか、彼氏になるかならないかよりも、心の通い合いを大切にしていた春樹は、桜良にとって充分に星の王子様を貸し借りしあえる関係性にふさわしい。
それでも、「クラスで1番可愛い」「付き合って欲しい」「大好きだよ」「失いたくない」「抱きしめたい」って、本当は言われたかったはず。その表面的な言葉よりも、「クラスで3番目に可愛い(けど見た目じゃなくて1番好きな存在)」「君の膵臓をたべたい」って返す春樹、自覚していないようだけれど本当に素敵な男性。
深い心の通い合いを求めながらも、好き好きアピール満載で春樹に次々言葉を投げかけ、しかし核心には迫れない桜良は、家族や友達の前では大人びた思いやりが優先だが、春樹の前では年頃の恋する乙女らしさ満載で、とても可愛かった。
病状の進行が穏やかとはいえ、予期せぬ最期に見舞われるよりも前に、きちんと遺書を仕掛けて済ませておく桜良には、どれだけ時間が経っても忘れずに桜良を心の中で生かしてくれて、見つけてくれる春樹がお似合いで、人を見る目がある。
ガムいる?って声をかけてくれた友達が、深くは聞かずに遅く咲くエゾ桜の名所を調べてくれたり、ひとりだった春樹を気遣い通い合う、陰なる主要人物。
でも、矢本悠馬演じる彼が、桜良の親友と結婚に至り、しかも上地雄介になっていたビジュアルの変化には驚きだった笑
春樹を大切に思いやるガムくんと、桜良を過干渉なほどに大切に思う京子がうまくいくのだから、やっぱり春樹と桜良にも結ばれて欲しかった。
選択の積み重ねと言うけれど、最期は誰にもわからない。最期の思い出作りのつもりでルンルンで会いに行こうとしていた桜良と、待ちに待った退院でまだ最期までは時間が少しあるつもりでいた春樹、どちらも話題にしていたにもかかわらず、他人事意識でいた通り魔による、予想外の最期。
やるせない思いでいっぱいになる。
春樹は、夏でも秋でも冬でも、これからもずっと、桜良を心に咲かせ続けるのだろう。
予想通りではなかった
こんなにハマったのはセカチュー以来
病弱だけど可愛い女の子が健気に頑張り続ける、
そんな悲しいストーリーに嵌まりやすい人には最適な映画です。
(まさに私の事です。笑)
なんと言っても桜良の健気さが可愛く 儚い。
それを透明感溢れる笑顔と声で浜辺美波さんが演じて、最高に可愛いです。
もちろん北村匠海さんの“僕”も嵌まり役だったし、
大友花恋さんの“恭子”も高校生の女友達ってこんな感じなんだろうなぁ。って自然に思わせてくれるし。
また、小栗旬さんの抑えた演技が、すごい役者さんなんだろうなぁ。と、思わせてくれます。
他の役者さんも絶妙でした。
でも、唯一残念だったのが、
やっぱり12年後のストーリーは要らなかったかなぁ?
原作と映画は別物とは言っても、
お墓で “僕” が “恭子” に投げ掛ける、
『桜良が待ってる。』と言う “僕” の最後のセリフ、
北村匠海さんに言って欲しかったなぁ。
タイトルなし
アニメ版を観ていたから話の筋は分かっていた。それでも泣いて泣いて酸欠気味。
少し残念だったのは僕と恭子と友達に成るタイミング。いくらなんでも遅過ぎなんじゃないかな。桜良との触れ合いで自分の殻を破る事ができた僕が素敵だったのに12年後って…
でも花嫁姿の恭子が桜良のイヤリングをしているシーンは良かった。
美少女が死んじゃう青春映画
こんな言い方したら元も子もないが、ひとつの確立したジャンルなんだと思う。その中でも本作は傑作と言えよう。ただし、有る程度仕方ない面で作品の評価がどうしても若干下がってしまう。
より幅広い層に感情移入させるために原作にない大人パートを追加して交錯させる手法は、セカチューでもそうだったが、学生パートと大人パートで役者がどうしても似ない。小栗旬は流石で北村匠海に巧く寄せていたが、それ以外は全然寄せられていない。
日本は、役者の層が薄く事務所の力関係も強いため、配役の選択肢が狭いのだ。この手の問題は何十年も前から日本映画界の解決しない弱点となっている。
あと個人的に気になったのが、スイパラだ。食べ放題の店で時間制限があるのに店内を待ち合わせに使うのは違和感しかない。他の場所じゃダメだったのか。
若者に認められるという事
切なく透明感のある作品
浜辺美波さんが、不治の病に冒された女子高校生の切なく揺れる心情を丁寧に演じていました。
北村匠海さんが、物静かな物言いと穏やかな物腰で春樹を熱演されており、咲良と交流を深めていくうち、徐々に周囲の友人達に心を開いていく姿に好感が持てました。
「共病文庫」に書き留められた咲良の心情。これ程までに心に寄り添い本音で語り合えた春樹の存在は、咲良にとって誰よりも心強い存在だったのかも知れません。
残された娘の人生を、思うままに青春を謳歌させてあげようとした母親の涙が印象に残りました。
日テレを録画にて鑑賞
ずっと気になって
4字に略せるタイトルは潮流です
さくらははるきが、ひとりで生きていることを、称賛している。
さくらは、周りに友達や家族がいて、わいわいやらなければ生きられない。
だから、はるきのような生き方がすごい。と見ている。
が、現実的には、はるきの生き方は、最も楽な生き方だと思う。
それがティーンでも、壮年でも、はるきのような生き方が、いちばん楽だ。
むしろはるきは、現代人のモデルと言っていい。こんにちの社会では、多くの人間が人とかかわりをもたず、はるきのように生きている。
現実では、その単なる個人主義を、独立独歩とか孤高とか──のような好意的解釈は、しない。
それがこの物語の仕掛けであると思う。悪く言えばカラクリである。
なぜなら、うだつのあがらない暗い男が、たいした必然性もなく、ある日を境に、とつじょ美少女に絡まれることが、かれの個人主義に因由しているからだ。
それは男子にとって、この上ない僥倖である──にもかかわらず、好ましい悲劇におさめるために、かれは、その僥倖に、ぜったいに浮かれない冷静を持ち続けなくてはならないのである。
そのようにツンがぜったいにデレにならない男子が、若年層男女の需要を満たすのであれば、このキャラクタライズはカラクリである。
男子と女子、双方の理想に基づいたカラクリ──なのである。
もともと死ぬ映画なので、お涙頂戴になってしまう線形を、いかに非線形に料理するかに、焦点があったと思う。
それをかんがみると、この物語は、すこしも悪くない。変節はないにせよ、ティーン需要を過不足なく満たしている。と思う。
でも個人的には、まだ甘すぎた。
がんらいわたしはこの映画がターゲットしている層ではない──こともあるが、甘酸っぱい、とまでいかず酸味を欠いた。
が、それは、ややヒネくれた、涙腺刺激系にたいする嫌バイアスを持っている個人的感慨であって、世間の高評価はわかる。
ただ、この映画は海外でもI WANT TO EAT YOUR PANCREASとして、実写もアニメも、相当高く評価されている。rottenもimdbも予想をはるかに上回っていた。とりわけアニメ版の評価は高すぎるほどに感じた。
批評家のレビューでも、お涙頂戴=センチメンタルポルノの語さえ殆ど見なかった。
その理由は、外国人の日本モノにたいする+αもある、とは思うが、きみすいには、ひとつ、ぜったいの普遍がある。
それは、これから死ぬという人間が、交わりたい人として、その死を「あ、そう」と、捉えてくれる人を、誰よりも必要としている──という普遍である。
何度見ても泣ける
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