「誰もが」君の膵臓をたべたい(2017) さくらさんの映画レビュー(感想・評価)
誰もが
2005年の春、わたしも絶対安静宣告を受けた。
たった1本の電話で、いつ心臓が止まってもおかしくないと告げられた。
膵臓が腐っているヒロインのように。
いつ死んでもおかしくないと告げられた。
10年経っても生きていられるのは、また別のお話。
ただし、ひとは余命いくばくもないと告げられたほうが清らかな心になるようだ。すくなくともヒロインと私はそうだった。
神様は、ひとの余命を数字で書いてくれていればいいのに。
そうしたら、ひとは残りの時間をたいせつに生きるのではないだろうか。
不謹慎とは思わない。
死が間近に迫っているという実感を当時も得られないままだったのにもかかわらず、すこし気が楽になっていた。たぶん。
高い自殺率。死亡理由のトップが「自殺」の国・日本。
生きていたくない国なんだろう、たぶん、日本が。
希望のない・幸福でない・生きていたくない場所。それが、日本。
死ぬのがこわいと思うのは、死後どうなるのかわからないからだ。
それだけだ。
映画は、「誰もがこういう運命になりえる」と思うし、また、こういった物語は過去から未来まで同じように続く。
でも、誰もが「まさか」とも思っているにすぎない。
けれど、わたしは、もう期待していない。明日が来ることにも生きることにも。運命にも。
うなだれているのではなく、冷静に客観的に分析して、結論付けただけのことだけれど。
「世界の中心で愛を叫ぶ」「君の名は。」を思い出した。
ネタバレうんぬんではなく、物語の性質として。
たくさんのことを考えていると、膨大な量の情報処理をしているような気分になる。多角的に多面的に。
内容? 自分のことについて。深く考えている。それだけ。
でも、忙しいほうがいいんだと思う。わたし個人としては。忙しくしていれば、そのことに集中できる。そして、達成感を得られる。ささいな喜びだ。
これは、恋愛とは切り離したコメントだ。ここから恋愛のことを読み取ろうとしても徒労に終わる。
映画を恋愛としてとらえるかどうか、それは映画をみたあなただけの楽しみとして残しておこう。
2017.09.01記