「「宝探し」の意味が分かったあああああーーー!!」君の膵臓をたべたい(2017) remブラントさんの映画レビュー(感想・評価)
「宝探し」の意味が分かったあああああーーー!!
浜辺美波ちゃんを堪能しに2回目を観に行った。
すると、1回目では何気なく受け流したところもハッキリと見えてきた。なので、書きます。
最後の旅行をする前に、桜良がメールで「図書館に本を返しに寄ってから行くね」と言った。
それは嘘だ。
なぜなら、桜良はずっと入院していたから本を借りる事なんて出来ないし、そもそも本なんて読まない。
図書館に寄った理由は、汚れていない方の『星の王子様』に遺書を挟んでそれを書庫に隠す為だ。
あんな事にならなければ、旅行の帰り道にでも春樹に「図書館に宝物を隠したから探してみて!ヒントは図書カードね!」とか言って別れていたのだろう。
しかし、残念ながらそれは叶わなかった。
この悲劇のせいで春樹は再び自分の殻に閉じこもってしまう。桜良の言葉が忘れられず教師になったものの、12年経っても「邪にただ生きてる」だけ。
そんなある日、図書館が取り壊されるということで、かつて図書委員だった春樹は本の整理を頼まれた。
ここで栗山という生徒に出会う。後に春樹が「宝探し」を始めるキッカケとなる人物だ。
栗山は春樹に、最後の方の分類がおかしくなっていると指摘。春樹はあの件があって途中で投げ出したのだと言う。その際に栗山がスマイルの書かれてある図書カードを見つけた。
これによって春樹の「宝探し」が12年越しでスタートする。
通り魔殺人という理不尽によって断ち切られた二人の心の繋がりは、春樹の12年にも及ぶ「選択」の連続によって再び繋ぎとめられたのだ。
図書館で遺書を読みながら涙する春樹を見ながら、「これは偶然でも運命でもないよ」と天国の桜良が微笑んでいることだろう。
一ヶ月程経ってからの何気に眺めていた「選択」の末にこのコメントを拝見しました。こんな深い解釈を知って...恥ずかしながら泣いてしまいました。ここまで深く感じることができる貴方にも感動です。素晴らしいコメントをありがとうです。
たぶん二回観たからだと思います。
自分はミスチルファンで、元々は主題歌目当てで行ったんですけど(原作は一応読んでました)、1回目は正直初めて見る浜辺美波ちゃんの可愛さに悶絶して、ストーリーを追う事しか出来ませんでした。
だから泣く時も皆さんが泣くポイントで泣きましたし、それなりに感動して楽しめました。が、原作で気に入っていた共病文庫の最後のページが12年後の遺書に回されていたりと、多少変えられていたので戸惑いました。
「宝探しみたいで!」という最初に仕掛けた伏線をあんなにあっさり回収して終わりでいいの?と少し思いました。
だけど、二回目をじっくりと見たらそんな単純なことではないと分かりました。
桜良の家で春樹が星の王子様を手に取るカットや図書室でおめかしした桜良が何かを書いているシーンなど、その全てが最後の宝探しに集約されていて、何だか原作よりも複雑で深いと感じました。
結婚式のシーンは、桜が散っても次の季節がやって来るように、前へと進まなければならない恭子や春樹を印象付けるのに不可欠だと思いました。
あと、関係ないかもしれませんが、主題歌を作ったミスチルの桜井さんが制作ドキュメントの映像で「真夏のひまわりでは意味がなくて、暗がりで咲いてるひまわりだからこそ意味がある」と言ってバンドサウンドでもそれを意識的に表現しようとしていたところが凄いと思いました。
桜良は周りから見ると真夏のひまわりのように燦然と輝いている存在だけれども、春樹から見た桜良(本当の桜良)は病気という暗がりの中で一生懸命に咲いて、輝きを放つひまわりだということかなと私はhimawariを聴いて感動しました。
こうやって、原作にもない部分を、意地悪な批評やイタズラなネタバラシにせず、とてもあたたかいメッセージとして、プラスに想像することができるあなたの感性って、とってもとっても素敵ですね。
こういうとこにコメントするのは初めてなのですが、強く共感できたので。
そうだったのかもしれないなって思いました。
ありがとうございました。