「タイトル以上に秀逸なセリフは、"ガム、食べる?"」君の膵臓をたべたい(2017) Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
タイトル以上に秀逸なセリフは、"ガム、食べる?"
ミーハーにとって、こういう"泣き"のお約束作品は観ておかないと、あとで後悔する。"アレすごく泣けたよね"という会話に付いていきたいからだ。
唐突な書き出しで恐縮だが、そんなミーハーのくだらない動機さえも、"ヒトとの距離感を保ちたい"という意義…に変えてくれる(笑)。実に懐(ふところ)の深い映画なのだ。
"ヒトと関わりを持つこと"が、この映画(小説)の重要なテーマになっている。人が人と心を通わせること、交わること、わずらわしいと思ったりこと、それらすべてが、ヒロイン・山内桜良の、"生きている証"だという。
だからこの映画は、単純に病気のヒロインが、若くして亡くなるから悲しいのではない。大切なヒト、いつまでも心を通わせていたいヒトが、永遠であってほしいものがなくなってしまうから、悲しいのである。
人はいつか死ぬ。皆いつか死ぬ。余命1年のヒトより、健康なヒトがあした事故で死ぬかもしれない。そんな"死生観"をやさしく教えてくれる。だから、ヒロインは病気で死ぬわけではない。年齢にかかわらず"死生観"を持つことの意義をさとしている。
"現在進行形"だった原作小説を、映画では"回想"にしてしまった吉田智子の脚本がいい。12年後を予言していたかのような桜良のセリフや日記、遺書がよりドラマティックになる。
12年後の親友・恭子を演じる北川景子のクライマックスシーンが一発勝負だったというが、アドリブでつぶやいたセリフと聞くと、また泣けてくる。
ヒロインの桜良を演じる浜辺美波の底抜けの明るさが、悲劇的な結末と鮮やかなコントラストをなしている。だから妙なすがすがしいを残す。また主人公・僕(北村匠海/小栗旬)のネクラとも対比関係になっている。ようやく陽の目をみた彼女も東宝シンデレラであるが、東宝はシンデレラを選び過ぎて使いこなせていない。東宝が独り勝ちすればするほど、多くは飼い殺しに見えなくもない。
このタイトルで涙するなんて嘘だろ、と思っていたら、まんまとやられる。実に名言の多い作品で、もっとも秀逸なセリフはやっぱり"ガム、食べる?"でしょ。
(2017/7/28 /ユナイテッドシネマ豊洲/シネスコ)