オン・ザ・ミルキー・ロードのレビュー・感想・評価
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もう一度、観たい!
豊かな自然、美しい風景の中で、簡単に人が死んで行く映画です。
以下、感じたこと。
何となく平均寿命までは生きるかなと思いつつ日々を生きているが、死は特別なことではなく、状況によってはいとも簡単に大量に発生するもの。そしてそれは不可逆的であり、永遠に元の場所には戻れない。
逆に言えば、70億人も人口がいるので実感はしにくいが、今、生きれていることが奇跡なのかも知れない。
声を〝小〟にして言いたい❗️
監督や作品についての予備知識ゼロで鑑賞。
序盤は世界観や設定についていけず、アリャリャ失敗したかな⁉︎ と思って見てましたが、慣れてくると見事にハマりました。銃弾飛び交う日常下のハイテンションな人たちと人間世界の事情とは無関係にいつも通りな動物たち。合理的な判断など無視して、『追跡すること』自体が目的となった3人の兵士たち(殺してしまうと追跡が終了してしまうので弾が当たらないし、すぐに殺さない。仕事や部活などでも似たようなことはよく起こりませんか。なにかの資材を買うのが目的だったのに、いつの間にか資材を探したり、一緒に買い物してること自体が楽しくなって、目的の資材が売り切れだったりすると、ガッカリしながらも実はまだこの仲間たちと買い物が続けられる、と嬉しかったりする、みたいなことです)。
ファンタジーや恋愛、日常だろうと戦時下だろうと変わらない人間性、暴力がもたらす不条理さ。
そんな諸々を描きながら、エンドクレジットの音楽の間、ジワジワと全身が余韻に満たされていく。
もしかしたら、眠気に襲われてそのまんまという方もいそうな映画だけに、無理にとは言いませんが、是非みてください、と声を〝小〟にしてなら言いたい映画です。
すごい映画です!
涙が止まらなかった。残酷で重くて、もう二度と観たくない‼️と思いながらも、ついまた観に行くクストリッツァ映画。
コミカルで可愛いらしくて愛おしく、生命力に溢れている。だけど、生き物はとても儚い。無力。
内戦の銃弾の中、狂うほどのパワフルな明るさ。だんだん度を越してくる。そしてだんだん背景に巻き込まれ、異常な明るさが苦しい。
戦争の無意味さ、人を狂わせ、無力で愛おしい生き物を無残にあっけなく殺してしまう事実を知っているからこそ描き続けるんだろう。
「スプリッツァで乾杯を」や「アンダーグラウンド」…監督のブレないポリシーを感じる。
個人的にはミキ・マノイロヴィッチは好きな俳優なので嬉しかったけど、兄⁉︎もうおじいちゃんみたいじゃん。と思ってしまった。
若い俳優に世代交代すれば良いのにと思いながら観てたけど、どうしてもやりたかったんだろうと思うと、また涙が出てきた。
羊の群れから15年後の最後のシーン、涙が止まらなかった。映画館出るとき困った。
戦火の中ロバで牛乳を運ぶ男と女の物語。男の元にはたくさんの動物たち...
戦火の中ロバで牛乳を運ぶ男と女の物語。男の元にはたくさんの動物たち。帰ってきたハヤブサ。牛乳の入った缶をミルクをジャバジャバこぼしながら運ぶ女のなんて美しいこと!ミルキーロードは愛と記憶の白い飛沫であり欠片。
愛するものを守りたい。一緒に生きていきたい。ただそれだけの逃避行。幾つもの困難に動物たちは手を貸してくれる。ミルキーロードのずっとその先は大きな安全な池。完成する時にきっと映し鏡のように出逢えるんだろう。あと、少し。そうだと、いいな。
今回CGを使ってはいるがクストリッツァの寓意を助けているだけで嫌な感じはしない。いつものイメージがたくさん登場し、なんだかちょっとホッとした。
セビリアのゾクンチェですなぁ
自然の山河と動物しかいない寒村に、思想や権力が無差別に喧騒の世界に転換させて行く。
セルビアの自然はチベットのように山深く岩盤がむき出しだ。
父母も故郷も最後の愛人も無くした者の拠り所は大地に五体投地のように這いつくばって自からが聖地を築くより他はないのか。
この石を運んだ路がミルキーロード。
コミカルなようで実は戦争の愚かさと鎮魂を訴える深い作品
内戦時代のセルビアと思しき山間の小村が舞台。3つの実話を下敷きにしたお話。激しく撃ち合いが行われている中でも人々は飄々と逞しく生きている。その様の少しコミカルな描写は好感。一方、後段の愛の逃避行は追い掛ける兵士達もしょぼいしちょっとグダグタ感否めませんでしたね。でもラストのシーンは思わず目を見張りました。愚かな内戦に対する抗議と亡くなった人々に対する鎮魂がこの作品の底流に流れていたのだと気付かされました。
好き嫌いは確実に分かれる
エミール・クストリッツァ監督の作品を観るのは『パパは出張中!』『アンダーグラウンド』に続いて3作品目になる。
『パパは出張中!』は映画の内容は正直それほど覚えていないが、テレビ東京で放映されていた『山田孝之のカンヌ映画祭』のフジファブリックが歌う主題歌『カンヌ映画祭』で繰り返し出てくるフレーズの1つとしてタイトルだけは良く覚えている。
(『カンヌ映画祭』はカンヌ受賞作品のタイトルで歌詞が構成されている)
『アンダーグラウンド』は特典映像も含めて観たが、ユーゴスラビアの歴史をファンタジーに落とし込んだ作品だった記憶があり、観ている最中から好き嫌いは完全に分かれる作品だなと感じた。
この作品でセルビアの肩を持ったとしてクストリッツァは引退宣言まで出す羽目に陥ったらしいが、そもそも彼はセルビア人なのでセルビアの肩を持ったとしても当たり前ではないだろうか。
そもそもセルビアは民族もロシアと同じスラブ系、宗教もローマ・カトリックではなく東方正教会であるがゆえに苦難の歴史を歩んできた。
セルビア人は勇敢で戦争も強かったためにイスラム教徒のオスマン・トルコがセルビアを占領した際にわざと首都のコソボにイスラム教徒のアルバニア人を住まわせた。
また第二次大戦中はナチスの威を借りたゲルマン系のクロアチアに相当住民を虐殺されている。
戦後はティトーによって社会主義独裁体制のユーゴスラビアの一部に組み込まれ、やはりコソボへのイスラム教徒の移民を奨励する政策を取られてしまう。
ティトー死後にセルビア人は不法占拠中のアルバニア人退去の正当性と、クロアチア人の非道さを国際社会に訴えたのだが、クロアチアと同じローマ・カトリック諸国の憎悪を買い、いかにセルビアが残忍かを欧米各国で世論形成され、最終的にはNATOによってセルビアの首都ベオグラードを爆撃され民間人を多数虐殺されている。
なおイスラム勢力であるオスマン・トルコ軍のヨーロッパへの侵攻を食い止めるために見せしめとしてトルコ兵士2000人を生きたまま串刺しにしたブラド公は本来ならヨーロッパ世界では英雄なはずだが、やはりローマ・カトリックではないため後世に吸血鬼「ドラキュラ」にされた。
最近話題のミャンマーのロヒンギャ問題もいっしょである。
元々単一民族しかいなかったビルマをイギリスが植民地統治する際にビルマ人だけだと団結して反逆されるという理由から、華僑、インド人、イスラム教徒をわざと入植させたのだ。
しかも経済の実権は華僑とインド人に握らせるという悪どいことをやった。
ビルマはその後、平和的な方法で華僑とインド人をだいたい追い出したが、最後に残ったのがイスラム教徒のロヒンギャという話である。
人道的にミャンマーを責める前に、原因を作ったイギリス!まずお前がなんとかしろ!と言うのが本筋なはずだが、欧米中心の国際世論は相変わらずミャンマーを責めている。
おそらく自分たちの悪事がバレるのが嫌で隠そうとしているだけだろう。
欧米の傀儡だったアウン・サン・スーチーもさすがに自国の苦難の歴史を学び始めたせいか、今回の追い出しに反対することなく適当にお茶を濁している。
米英中心の西洋文明の掲げる正義なんてしょせんこの程度のものである。
それを無批判に垂れ流すだけの日本の多くのマスコミはさらに情けない。
さて本作の内容になるが、相変わらずこの監督らしく癖の強い映画である。
3つの実話を1つにまとめているらしいが、どこまでが真実なのか寓話として脚色しているのか観ている間はなかなか判別が難しかったが、スパイがある女性に夢中になって探し歩いた話も、牛乳好きの蛇に襲われたことで牛乳配達がただ1人生き延びた話も、地雷原で羊の群れを飼っていた話もどうやら本当の話らしい。
この監督の作品ではひょんと人が死んでいくが、紛争を見慣れた人の創る作品だなと改めて感じる。
また熊とキスしたり、羊の中に紛れ込んだり、蛇や隼とからむシーンもCGの使用はなく、以前から時間をかけて徐々に動物たちを慣らした上に撮影に3年の時間をかけたらしい。
あまりに寓話に寄せているのか笑ってしまうシーンもあるのだが、不思議な映画である。
すでに50代になるモニカ・ベルッチの相変わらずのお色気はさすがである。
『アレックス』の衝撃レイプシーンをはじめ、若い時から体を張って演技してきた彼女だが、今回は裸体を見せることはない。しかし極寒の中水に潜ったり、20メートルの高さから飛び降りたりとやはり違う意味で体を張った演技を披露してくれている。
日本ではモデル体型のスタイルの良い女優はたくさんいるが、グラマーなお色気女優は少なくなったと感じる。
昔はかたせ梨乃や石田えりなどの「肉体派女優」がいた。
単にグラビアアイドルを女優として起用しても下手くそで続かないだけなのか?
本作は監督であるクストリッツァ本人が主役を兼ねている。筆者の覚えている彼の顔は髭面だが、髭を剃るとなかなか面構えが良いなと感心した。
音楽は息子のストリボールが担当しているので、映像への合わせ方も心得たものである。
大掛かりな映画ではあるもののどこか牧歌的な印象を持つのはそういうところも関係しているかもしれない。
評価が難しい映画である。
できれば2度3度観返したい欲求にもかられる。
ただし好き嫌いは分かれる。
やはり難しい!
できそこないの映画?
前半はブニュエル的味わいもあり、この先、どういう展開になるのか、とかなり、期待をしながら観ていたのです。特に屠殺された豚の血で複数のアヒルが血浴びをする場面はこの監督の面目躍如たるものがありました。しかしながら、モニカ・ベルッチが登場する後半は謎の三人組の男に追われ、ただ、ひたすら逃げまくる極めて単純で冗漫な逃走劇に・・・。地雷に吹き飛ばされる羊の群れが、映画と判っていても、なんとも無残でした。
久しぶりに観たクストリッツァの映画でしたが、「アンダーグラウンド」のような作品の強度は感じられませんでした。クストリッツァの神通力ももう、賞味切れなのでしょうか・・・。なんとも残念な作品でした。公開している映画館が極めて限られているのも頷ける話です。
モニカ・ベルッチ万歳
喜びや怒り、愛の尊さ、内戦の虚しさや大国の介入のクソさ加減、悲しみに嘆き、人間の愚かさやくだらなさ、ユーモアやバカにするようなギャグ、人知を超えた大いなる力などのいろんな具が、濃厚で猥雑なバルカン音楽の出汁とともにグツグツと煮込まれた、旨味Maxの寄せ鍋のような映画でした。とにかく、過剰です。
生命のエネルギーがほとばしり、整合性などクソくらえって感じで、スウィングしながら突っ走るノリに、今まで気づかなかった心のツボを突かれた気分です。いやースゴかった。
正直、ストーリーは漠然としか覚えておりません。でも、「いいんだよ、細けぇことは!」的なパワーを感じて、チマチマと考えるのを止めて感じながら観た結果、よくわかんないけどメチャクチャ良かったという結論に達しました。
全編通して複雑な空気感だなぁという印象もあります。単色ではなく、様々で相反する感情を感じさせようとしているように思えます。
「その複雑さが人間なんじゃないの」とまるでクストリッツァ監督は映画で語っているような。村の襲撃シーンや花嫁が爆死するシーンですら、悲劇でござい、と描写していないように思ってしまった。人間の複雑さを肯定するような、懐の深さを感じました。
ただ、ラストの石を敷き詰めるシーンだけは、悲しみと祈りのトーンで彩られており、印象的でした。
そして、何よりもモニカ・ベルッチが妖艶すぎて最高です!007の時はいかにも、って感じでしたが、本作ではより自然な官能美を感じました。
魅惑的な眼差しと長く豊かな黒髪がとにかく扇情的で、ほうれい線や手のシワまでもがセクシー。仕草や声も艶っぽく、衝撃的でした。美しい人は年齢関係ない、というかそれぞれの年代の美しさがあるのだな、としみじみ思いました。
えらく強烈な癖のある映画でしたが、もっとも印象に残ったのは、結局モニカ・ベルッチでした。イタリアの宝石という異名は伊達ではないです。
そこまで追うか!!
前半は馬鹿みたいで兎に角、面白い!!
お金で「花嫁」を買う発想も無茶苦茶だけど生きる術として、
この時代には有りかもしれないと思うとちょっと笑えるし
何より全ての村人達の逞しさや厚かましさに
「戦争や内戦なんて本当に馬鹿がやる事だ!!」みたいな突き放し方が
逆に痛快だった!!
そして、 何よりも動物達が~~
リズムに合わせて体を揺するはやぶさ!
飼い主を起こしに来るロバ!
命の危険を顧みず頑張る蛇!
蛇は嫌いだけど、奴らも頑張って生きてるんだ!と思うと
忌み嫌うのは良く無いよなって思えました。
ただ、後半が、ちょっと残念!
ヒロインのモニカ・ベルッチを追って来る三人組がいるのだが、
ここがどうも、呑み込めない!
モニカ・ベルッチはある軍人に恨まれて追われているのだけど、
政治的な要人でも、重大な秘密を握ってる訳でも無く
単なる個人の恨みから出た命令だけで
この三人組が命をかけてまで追う必要が有るのか?
戦争なんて馬鹿みたい!と言う主張ならば
大義のない無駄な上司の命令なんて
馬鹿馬鹿しくなって途中放棄して欲しかった。
まあ、ラスト近くの衝撃的な連続シーンで、
ある兵器を否定しているので
そこまで持って行きたかったのだろうが
そのシーンもちょっと観てて辛い。
あんなに動物達と親密なシーンを観せられた後では〜
何にせよ、全て流石にぶっ飛んでました(笑)
タレントの大竹まこと氏が観終わった後に
思わず拍手したとおっしゃってました。
解るわ〜〜〜
夢想
こんな馬鹿げた殺戮話なんて、陽気にやらないと、とてもじゃないけど悲しくてやってられない。大音量のバルカン音楽は、死者への葬い。お酒は、哀しみを薄める一粒の薬。動物達は、生命への賛美。
コスタが一番守りたかった花嫁。逃げても逃げても兵士がしつこく追いかけてくる。美しい花嫁は、内戦が続いた美しい祖国ユーゴスラビアを擬人化したものなのか?花嫁を失ったコスタは、祖国を失ったユーゴスラビアの人々なのか?
クストリッツァ監督は、爆弾と地雷と銃しかない様な悲惨な現実を忘れることなく、今日も馬鹿げた夢想を続けているのでしょう。
動物あっぱれ‼
半分、いやそれ以上が動物たちのいい仕事で出来上がってる映画。
最後の羊の場面は目を伏せてしまいましたが。
個々のキャラクターのぶっとんだぶりも楽しめました。
また、絶景ロケが多くそれだけでも圧倒されます。
一番最後の石を敷きつめるシーンはただ単に弔いの意味なのか、私が無知なだけで他に 理由があるのかが分かりませんでした。
クストリッツア鉄板ネタあっさり編
楽器・動物・どたばた・花嫁・戦争 クストリッツアの鉄板ネタが続々なのでファンとしてはうれしいですが ややあっさりめな印象 クストリッツアさんちょっと大人になっちゃったの?まるくなっちゃったの?というやさしい印象あり 想像以上にラブストーリー
☆☆☆☆ 『黒猫・白猫』以来、やっと最高に頭がイカれたクストリッツ...
☆☆☆☆
『黒猫・白猫』以来、やっと最高に頭がイカれたクストリッツァが帰って来た。
ファーストシーンから始まる、「金太郎飴かよ!」…と言う程のクストリッツァ印オンパレードに嬉しくなる。
登場人物達のキャラクター設定。出て来る動物達の螺子のハズレっぷり。ストーリー展開全てがイカれ捲っている。
例えば、クストリッツァに於いてのセックス描写は。モニカ・ベルッチが服にミルクをこぼしながら運ぶ場面で有り。クストリッツァ自身が演じる主人公が怪我をし、それをベルッチが治療する。
その際に、痛みを堪える場面こそはクストリッツァ流の◯起表現に他ならない(笑)
映画は前半部分での破茶滅茶振りがとにかく面白い。
後半は一転しての愛の逃避行になり、前半で沢山出て来る、イカれた動物達が画面に映らなくなるのが残念なのだが、クライマックスでの阿鼻叫喚地獄絵図が凄まじく。「クストリッツァ!一体お前の頭の中身はどうなってるんだ!」…と心の中て叫んでしまう。
そして最後は…。
おいおい!やられたな〜これは。
思わずホロっとしてしまったじゃあないか。
(多分ファンであろう)シャガールをイメージする飛翔場面を(半ば強引に)臆面も無く使う辺りがまた嬉しいし。水辺を漂う花嫁衣装は、ジョン・エヴァレット・ミレーの名作絵画「オフィーリア」に対するオマージュなのだろうか?
家に帰り色々と思い出しながらの食事。
何だかご飯3杯はいけそうだ。
鏡の前で自分と闘い続ける鶏が可愛い過ぎる(^^)
(2017年9月25日 TOHOシネマズ/シャンテシネ2)
ほのぼの
動物たくさんでほのぼのムービーを想像してましたが後半びっくりしました。羊…。
モニカベルッチはとても美しいけど、若い娘のような役割でちょっと違和感。大人の恋愛もあったのでは。
それにしてもクストリッツァは花嫁がすきだな〜。
終始、絵力に圧倒された
ロケーションも人も動物も、映し出されるものがことごとく強く、最初から終わりまで圧倒された。見終わって、満足感とともに疲労感もあった。
その力強い絵は、楽しくて、時にエロティックで、時に切ない。話や展開が結構難しくて複雑だとは思うけれど、絵そのものを楽しんでいるうちに自然とストーリーも見えてくるのだから、さすがといったところ。
それにしても、登場する様々な動物には感服してしまった。演出もその演技?にも賞賛あるのみだった。
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