「開始10分で虚淵らしい駄作と分かる」GODZILLA 怪獣惑星 四季桜さんの映画レビュー(感想・評価)
開始10分で虚淵らしい駄作と分かる
開始10分で怒涛の言い訳と説明ラッシュ
虚淵作品の大半が設定や自分の世界観の説明ばかりで自分の領域内での自分の考えた理論ばかりを説明して自己完結する作品なので、今回の作品も開始10分で駄作だとわかってしまう。
シン・ゴジラの場合は皆が期待する対策を一つ一つ打っていって、あれもダメ、これもダメと段々と絶望感を与えてからの新兵器の開発なのでまだ許せた感はあった。
が、怪獣惑星はいきなりの超超展開から、超展開に対する言い訳が怒涛のように続く。
・怪獣が突然現れ始めた
→怪獣はいるけど全滅しましたよ
→怪獣なんかじゃ倒せませんよ
・既存の人類兵器を投与
→人類の兵器は一切無効
→僕のゴジラは通常攻撃無効ですよ
・宇宙人が襲来
→宇宙人でも倒せない
→僕のゴジラには超科学も効きませんよ
小学生の考えるバリアみたいな状況説明を延々と垂れ流されて、今後の展開は突然主人公か誰かが誰かは気付きそうな打開案を思いついてゴジラを何故か倒せてしまう!そして何故か復活しない!もしくはこれだけやってるんだから個人力じゃどうにもならなくて当たり前!的な何かしらの絶望的な終わり方の安易に思いつきそうな御託地味た、ご都合の2択しか残されない。
そして、始まる情緒不安定な独善的で思い込みの激しい主人公の独演会。あれを聞いて心動かされるのは相当な馬鹿しかいないと思う。
実際あの惑星への移住が絶望的とはいえ、後にも先にも居住できそうな可能性があるなら、そりゃ試す方向に話はもってくだろうし、志願する人も一定数いるだろう。必要な犠牲と考える人も多かろう…口減らしだ!というが、状況的にもそれの何が悪い?感が凄い。生存可能な可能性な星にトライするか、このまま航行して大半が死ぬかの2択なわけだし。話とすれば別に普通に失敗すればいいのに無駄に爆破→人類がまだそんなに腐ってるとは云々 もはや笑いしか起こらない。
ゴジラの論文や考え方も安易もいいところで、外から見た映像を必死に思い出して誰も考えなかった対策を考えついた!それを可能にしたのが超文明のおかげ!という流れだけれど、そもそもあれだけ地球人類も超科学文明も必死でゴジラ排除に動いてたのに敵の分析の一つもしてないのか?っと疑問しか残らない。
ここまでくると、メカゴジラに対する『何故動かない』『こいつが完成すれば』なんて発言も製作者側の都合でどうとでもなる妄言と誇大な御都合発言からの展開に対する言い訳の布石でしかなくなってくる。
次回はメカゴジラはこんなにすごいからなんとかなるかも!からのやっぱダメでした。なんだろうな、三回戦目は怪獣プロレスか超兵器かな?これも最初に僕は効かないって言いましたよね?(ニヤニヤ で終わりそうだけど…。
宇宙人達の超文明に対しても大変疑問が残る。最低でも20年以上の航行、また気の遠くなるほどの航行をしてきたということは、宇宙船にはそれだけの環境を整える機能、それを造る能力があったはず。なのに地球にしか住めないというのはおかしな話な気がする。
そもそもなんでそれだけ長い間航行してたのに地球人類を受け入れただけで20年で壊滅しそうになっているのか?地球を見つけてゴジラに壊滅させられたのかもしれないけれど、いくらなんでも前代未聞の11光年を一瞬でワープする超展開を可能にする文明と耐久性のある宇宙船がありながら、爆弾やゴジラ亜種の突撃でばっかんばっかん壊されるのも、もはやギャグとしか思えない。
2万年たった地球の生態環境に対する調査もろくに試みようとしないのも虚淵らしい。地球の観測ができません!からの打開策を考えるのではなく、突然の降下作戦とゴジラ討伐。霧の対策が霧より上空まで有線を張る方法なら別に人が降りる必要はないのでは?感が凄い、彼らはとにかく作者が駄目といった展開には一切疑問をもたず否定して、作者の思いつきで行動することを英断と感じる馬鹿しかいないのか?超文明の演算システムとはなんだったのか…。
地球の状況に関しても謎だらけ、地球の植物の一部は、ほんの少しでも触れたら防護服に穴が空く強固さで空気に触れれば死ぬぞ的な説明してるくせに、その展開を無視して皆バサバサ動き回る。亜種に壊滅させられて逃げてきたくせにゴジラを見つけるまで、見つけて準備をあれだけ整えるまで、一切亜種に関するトラブルや対策なし。そして思い出したかのような作戦中の亜種の攻撃がありながら、トラップ展開中はまた何もなし。
御都合で話を進めるなら無駄な設定をドヤ顔で披露するのはやめてほしい。
この環境下で地球を取り戻しても、2万年も経って環境変化とゴジラ粒子がばら撒かれた地球をどうしできるのかと…また御都合で環境適応、もしくは環境改善を訴えてくるんだろうけど…そんな未知という言葉で右往左往二転三転する映画で何を言おうと妄言にしかならない。
ゴジラという存在ももはやギャグであって、そもそも最初から1匹しかいない、どんな兵器も効かない&超再生するだけであって、シン・ゴジラのように全方位レーザーを持つわけでもない。無限増殖をするわけでも瞬間移動するわけでもない。
いつものゴジラよろしく、のそのそ歩いて前方に下手すると速度と威力は強いが範囲はめちゃくちゃ狭い高速弾を吐くだけで、しかも発射までディレイがある。しかも回避も容易にしか見えないこの条件にもかかわらず、何故か攻撃範囲をチョロチョロ飛び回り、バタバタ落とされていく始末。誘導だ!という割には攻撃時に無駄に打ち落とされにいってるだけのような位置どり…。 わざわざ回り込んで腕や背びれに当たりにいくのはもはやアホかと…。
ゴジラ本体出現時もわざわざ攻撃範囲である前方をチョロチョロ飛び回る始末…っていうかあの威力の放射で1機しか撃墜されないのはギャグなのかと…。武器自体がとにかく実弾なのも気になる。亜種の牙をあんな小型のレーザーで切り取れるなら、ピンポイント攻撃にしてもなんしにても一点集中可能な光線系の方がいいのでは…。しかも土に埋もれて動かなくなる程度の筋力なら対策なんかいくらでもあったろうに…。
あんなにのそのそ動いてるのに空港には一切アラームもならず『なんだあれは?』はもはやギャグ以外のなにものでもない…。
おそらく今回のゴジラは虚淵と近しい位置にいるタイプムーンの奈須きのこの影響が強いのだろけれど、宗教宇宙人が言うように驕った人類種が同様によって滅ぼされ続けるのを観測し続けてきたと言う点で、タイプムーンの世界観に存在するortをはじめとするという星の防衛機能を彷彿とさせる。っというか宗教宇宙人はそんだけ同種や滅びを見てきたくせに適応環境のある星と同種への対策、解析ができないのはおかしいだろ…。
こうなると人類は地球からゴジラという免疫を利用して排除されただけであり、もしくはゴジラを排除しても地球に排除されるか地球が駆逐されるか、あるいは他の星から同種が飛来するだけの何の解決も見出せない不安要素を撒き散らかして、ゴジラを倒して地球と誇り()を取り戻しましたエンドを迎えるしかない。
もうここまできたら別にゴジラである必要性が全くない…。ゴジラという固定の概念を期待していったゴジラユーザーに対して、延々と僕の考えたゴジラと、あなた達が勝手にゴジラという枠を作って設定を勘違いしただけでしょ?って嘲笑うだけのタイトル詐欺以上に悪質な手法だ。ゴジラへの愛も敬意も微塵もない。
ただただゴジラを踏み台にした僕の世界観わ語るだけのクソ映画としか言いようがない。
シン・ゴジラの方が遥かにユーザーとゴジラという作品と過去の製作者に対する敬愛が見て取れる。
映像自体は大変良かったし面白かった。
ゴジラを倒せるのか?というワクワク感もある。
けれど、結局は稚拙な製作者の幼稚な僕理論を聞かされてるだけで、内容も人間ドラマもなんの面白みもない。どうとでも転ぶ作品だから内容を考察したり、ユーザー自身が色々と考える要素が全くない。全て作者の御都合でなんとでも言い訳される作品でしかない。
最後の幕引きにメカゴジラを用意されて、たしかにワクワクはしたし、あのゴジラをどうやって倒すんだというワクワク感もある。
メカゴジラvsゴジラのバトルは迫力があるだやろう!
が、次回もどうせ作者の怒涛の僕設定と御都合じみた言い訳を最初から最後まで聞かされるクソ内容なのに変わりはないだろう。
何か考えるだけ無駄な作品。
単純にドンパチを見て時間を潰すくらいの作品だと思う。
ゴジラという存在と設定は国レベルの災害もしくは世界レベルの被害を引き起こす要因が発生する可能性がある存在であって、単体の生存が人類も地球環境も死滅させる存在かというとサイズ的にもスペック的にも微妙だと思うし、設定からして怪獣惑星にゴジラを使うのは無理があったとしか言いようがない。
あんなにノソノソ歩いて、小型機や大型飛行機を撃ち落とす程度の小規模攻撃する存在が人類を死滅させるなんて、どんだけ時間かかるんだか…。放射能も規模がよくわからないし、放射能という名目の超放射能みたいな未知の物質にするしかない気がする。
企画倒れ感がひどくてCMの時点で虚淵臭満載な駄作確定感は凄かったけど、案の定な企画倒れ駄作虚淵映画だった。