「つわものどもが夢のあと」関ヶ原 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
つわものどもが夢のあと
鑑賞前の方々に注意書き。
原田眞人監督作品のレビューでは毎回書いてる
気もするが、字幕が欲しいくらいにセリフが速い。
しかも言葉は(多分)戦国時代そのままなので、
正直ところどころ言葉の理解が追っつかない。
おまけに僕はそんなに歴史に詳しくもない。
ザックリとは合戦の経緯を調べていたからまだ
良かったが、全くの予習無しで観るのはオススメしない。
逆に――
各人物の背景や合戦の経緯を知る人ほど本作を
楽しめると思うし、本作をフルに楽しめたら
無茶苦茶に楽しかったろうと悔しく思う。
しかし、それでも面白い!
セリフもカットも大量かつ高速テンポ、
おまけに言葉も当時のままというのは、
観客もそれなりの集中力で挑む必要があるが、
ハマればまさに歴史の真っ只中に放り込まれた
ようなリアリティと緊迫感を感じることができる。
...
物語は大きく3部構成。
秀吉の死の前後で三成・家康らの関係を描く序盤、
互いの勢力を奪い合う智略合戦を描く中盤を経て、
終盤1時間、天下分け目の大決戦へと雪崩れ込む。
序盤~中盤は前述通り難易度が高いが、
万を持しての関ヶ原の合戦は流石の見応え!
槍で刺さずに押し合いへし合い2mの距離から
射たれる火縄を木盾で防ぎ頸や太股の動脈を
掻き斬り馬乗りになって殴り合う、ケレン味より
リアリティを重視した、泥臭く混乱極まる合戦模様。
弩(いしゆみ)で敵を次々射ながら進むシーンや、
敵味方が入り乱れる戦場のド真ん中を、将たちが
火縄や弓で狙われつつ馬を駆るシーンなど、
ヒリつくような緊迫感のある演出も新鮮だ。
...
だが、最後の戦いが盛り上がるのはやはり
登場人物が魅力的に描かれているからこそ。
徳川家康の狡猾さはまさに“狸”(体型も)。
同情し、賞賛し、媚び、脅し、天下獲りの
為にあらゆる顔を使い分けて相手を化かし、
自分の“手駒”として引き入れようとする。
対する石田三成の行動基準は常に『義を貫くか否か』だ。
嘘で相手を籠絡(ろうらく)することや、
夜討ちなどの卑怯な手段を彼は極端に嫌う。
戦に勝つ為に必要だと諭しても『正義を
持って勝たねば意味がない』と聞き入れない。
その実直さが多くの将を惹き付ける魅力であり、
一方では「こいつは勝ち戦を逃している」
と疎まれる理由でもあったのだろう。
劇中の言葉通り、三成の生き様は純粋過ぎた。
そんな三成を支える島左近が漢気溢れまくり!
三成の良き理解者だが、清濁併せ呑むだけの
器量がある。血気に逸(はや)る三成を諌める
冷静さもありながら、いざ戰場に出れば
鬼気迫る強さを見せるというシブ過ぎる男。
他全員については書ききれないが……
身分や素性に拘らず“生き方”で人を見る
三成と互いに心を惹かれていく忍・初芽、
家康の冷徹さと三成の熱さとで揺れる小早川秀秋、
病を押して戰に臨み、盟友の心痛をも気遣った大谷刑部、
卑怯者だが最後に命懸けで“やりたいこと”をやった赤耳、
忘れ難いキャラクターは数多かった。
...
終盤で印象的だった言葉……『大一大万大吉』。
ここでの”大”は天下の事を意味しているそうで、
『一人が万民の、万民が一人のために尽くせば、
天下が幸福になれる』という意味なのだとか。
……まったく、どこまでロマンチストなのか?
三成の語る正義はまるで僕らが幼い頃に
憧れた古き良きヒーローのような正義だ。
いつかは憧れていたが、歳を重ねる内に
「世の中そう単純なもんじゃなかったのさ」
と自嘲気味に笑いながら諦めてしまった正義だ。
実際の世の中は非情である。
正義が勝つのではない。勝者が正義である。
家康のように勝者が敗者を悪し様に書けば、
それがそのまま正史として後世に伝えられ、
傍目には善か悪かの単純な図式としてしか
見られなくなる。それが戦の常である。
(家康が知略を尽くしてもぎとった勝利も、
その後300年の太平を思えば決して悪ではない)
だけどやっぱり……
実際の三成が本当にこんな人物だったのなら……
彼の、甘っちょろくて、そして優しい夢が、
非情な世の中でどこまで通用するのかを
見てみたかったとも思う。
...
つわものどもが夢のあと。
そう芭蕉が詠んだのはまた別の戦場跡らしいが、
関ヶ原合戦場は今現在も野っ原のままだそうな。
あれだけ熱く生きても、残るは夏草ばかりとは、
人の夢とはまったく儚いもの。
だがこうして姿形は消えてしまっても、
彼等の想いを忘れまいとした人々が物語を
語り継ぎ、その物語がこうして何百年後の
人々をも惹き付けてきたという事実には、
なんとも不思議な感慨を覚えずにいられない。
<2017.8.26鑑賞>