ラストレシピ 麒麟の舌の記憶のレビュー・感想・評価
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受け継がれるもの
才能ある人は得だ。特に類稀なる才能だと素晴らしく幸せだ。幸せな筈だ。
また信念を持つ事は大事な事だ。適当に生きるより充実した人生を送れる筈だ。
ここに出て来る山形さんはどうだろう?
レシピは成し遂げたが、幸せと言えたかどうか。充実はしていたかもしれないが。
日中戦争に突入する盧溝橋事件勃発直前の満洲国に招き入れられた天才料理人の話。
時代が違えばとまた思ってしまう。
西島秀俊さんは真摯に役に取り組んでいた様子が窺える。中国語ロシア語を喋っていた。陰での努力の賜物だろう。
二宮和也さんはなぜ起用されたのであろう。
もっと真面目一筋な印象の俳優だった方が合っていた。
時を越えて料理と戦う二人の天才
本作は、対照的な二人の天才料理人の生き様を描いた物語。最近、複雑な展開の作品が多い中で、シンプルに二人に迫っていくので、外連味の無さが際立つ、完成度の高い良質な人間ドラマに仕上がっている。
理想の料理を求め挫折した若き天才料理人・佐々木充(二宮和也)は、生活のため、最後の料理として人生最期の料理を提供する仕事をしていた。彼は料理への情熱を失っていた。そんな彼のところに、1930年代に満州で天才料理人・山形直太朗(西島秀俊)が日本軍の要請で作った幻のレシピ“大日本帝国食彩全席”探しと再現の依頼が飛び込んでくる。佐々木は、山形を知る人々を辿り、レシピの行方を追い求め、山形の料理に賭ける生き様、歴史に隠された真実に迫っていく・・・。
物語の大半は、満州での山形のレシピ作りである。1930年代の満州と言えば、激動の昭和史の真只中にあった地であるが、そこには敢えて触れず、山形の料理に賭ける生き様にフォーカスしている。無駄のない洗練された庖丁さばき、美意識の高さを感じさせる料理の数々に目を奪われる。何より、山形を演じる西島秀俊の肉体派と呼べるような引き締まった体付き、キリっとした姿勢の良さ、そつのない身のこなしが素晴らしい。天才料理人としてのリアリティーに溢れている。妻・千鶴を演じる宮崎あおいの凛としたアシスト振りが奏功し、苦悩しながらも形振り構わず一心不乱に料理に打ち込む山形の姿が胸を打つ。
一方、現代に生きる佐々木を演じる二宮和也は、定評のある演技力で、料理に一切の妥協を許さない、鬱屈した孤高の天才料理人を好演している。本作は、彼の成長記にもなっているが、山形の料理人としての姿勢に触れ、次第に覚醒していく過程を気負いのない自然体の演技で表現しているのは流石。
佐々木の親友であり、同じ料理人でもある柳沢健を演じる綾野剛が芸達者振りを発揮している。直情型人間ではあるが、佐々木の良き理解者であり、率直に自分の気持ちを表現するところは佐々木とは正反対。特に体を張った筋肉剥き出しの肉体派の料理作りに説得力がある。これは、美味い料理を作ってくれるなと得心できる。肝心の香り、匂いが伝えられないので、映像で料理の美味さを表現するのは難しいが、二つの方法が考えられる。一つは料理の美しさ、もう一つは逞しい肉体が創り出す料理作り、であろう。本作では、両方を巧みに駆使しているので、料理の美味さが画面を通して伝わってくる。食欲が刺激される。
終盤で、歴史が顔を覗かせ、物語はリアルな展開となり、紆余曲折を経て結末を迎える。少々ベタではあるが納得の結末だったので、余韻に浸ることができた。
本作は、料理に賭ける男達の生き様、幻のレシピの行方を追う時代を超えた歴史ミステリー、友情、夫婦愛、親子愛、平和への想いなど、様々な要素を巧みにブレンドした、心癒されて素直な気持ちになれる人間ドラマである。
面白かった
その味が、失われた時をつなぐ。
言葉による味の表現
普通
可もなく不可もなく
絶対味覚
料理人。
【「大日本帝國食菜全席」を追求した時代を越えた二人の男の物語】
満州時代と現代とを行き来しつつ、物語は描かれる。
満州時代、大日本帝國の威信を掛けて、「大日本帝國食菜全席」112メニューの作成を命じた三宅太蔵(竹野内豊)と絶対味覚=”麒麟の舌”を持つ男、山形直太朗(西島秀俊)がメニューを作り出す。が、太平洋戦争開戦直前に山形と、「大日本帝國食菜全席」112メニューのレシピは姿を消す。
現代、ある人物から「大日本帝國食菜全席」112メニューの再現を依頼された佐々木充(二宮和也)も絶対味覚=”麒麟の舌”を持つ男だった。
山形が限られた食材の中でメニューを考案していく姿と彼をサポートする妻千鶴(宮崎あおい)や助手たちの姿が印象的。
彼らの想いを再現しようとする現代パートとの繋がりの中で、過去、山形に起こった悲劇が露わになる場面が切ない。
<2017年11月4日 劇場にて鑑賞>
食欲を掻き立てる
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