幼な子われらに生まれのレビュー・感想・評価
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ゼロへのクライマックス
前半からだらしが無い、子持ち再婚の親が描かれている。
主人公の浅野忠信の父親もキチンと説明しなくだらしが無い。
パパじゃない!本当のパパに会いたいと再婚相手の娘に言われる事は承知で再婚しろよ!と。
再婚相手の嫁、田中麗奈も子供2人連れて来て経済負担がかかるにも関わらず、専業主婦で3人目を産もうとしている。しかも今の娘問題は浅野に任せっきり。口出しせず。
覚悟の無い生活がどんなものか。簡単に考え過ぎ。
過去にも逃げて、現在からも逃げて。
親として、夫婦として互いに向き合う事も忘れて。
後半までマイナスが多い作品である。
これ観るなら、子供の件で冒頭から向き合った福山雅治主演「そして父になる」の方がまだいい。と思う人もいるだろう。
何故こんな描き方?と思う理由は最後に待っていた。
ほんとクライマックスがこの家族の本当のゼロからのスタートラインなんだろうなと感じた。
これが無かったら私的には星0.5でしたね。
無いわけが無いのですが。
イライラ、眠たくなるかも知れませんが、親の方は是非どうぞ。
子供と再婚の難しさ
子供のいる親同士の再婚。
こういう家庭は今増えているのであろう。
それとともに起こりうる子供と新しい親との関係。
無垢で明るい次女に対して、わがままを言って困らせる長女に、もうちょっと大人になれよ、と言いたくなるが子供なのである。
次女も年月が経つと同じようになるかもしれない。
暴力を振るわれた実の親に会いたいと言い出すが、結局待ち合わせ場所には行かなかった。
本当に会いたいわけではなかった。ただ、今の親にどこまで甘えて良いのかわからず、苦しんでいただけなのである。
なかなか良い映画でした。
まあまあ
上映館が少なくDVDで鑑賞。ほぼ原作通りだったが、やはり文学作品だけあって地味な印象は免れないが、まあまあ良く出来ていたのではないかな。子役たちも比較的良くやっていたが、別れた妻役の寺島しのぶはちょっと無理があったかな、田中麗奈並の美人女優を持ってこないことにはバランスが取れてなかった。
家族の在り方
子供の心情がリアルに描かれていて、子役の演技もうまかった。
ドンピシャな家庭の経験がある人には、共感できる部分が多いのでは。
私はまさにそのドンピシャな1人で、義父に対しての態度を反省したりました。苦笑…
だけど、それだけ当たり前に世界中どこでも起こっていることだと思う。
それでも、それぞれにもがきながら少しずつ変わっていく個々の心情が、セリフとか景色を使って表していて、2時間引き込まれました。
自分の人生だけど、自然と自分のためだけに生き続けているわけではなくなってくるし、大切な人と一緒にどうやって生きていくのか、大切に思っている人とその周りの人たちとどうやって関わっていくのか。
自分の人生にも反映させて考えられるような映画でした。
ただ、そういう経験のない人には、理解しにくい部分もあるかもしれません。
浅野
忠信はあいかわらずスリルがあって、スリルというのは暴力装置なんだけど、絶妙。田中麗奈がすっぴんな感じで、あきらかに良い。お姉ちゃんも上手だし、脚本も良い。けど、決定的に画が弱い。演技にしか興味なさそうな演出。
つぎはぎの家族。つなぎ目は自分たち次第で。
バツイチ同士の再婚夫婦の間に授かった新たな命。
今の妻の連れである娘と血縁関係のある娘の間に揺れる父。
遠い記憶にいる本当の父親と今育ててくれる父親の間に揺れる娘。
多方面から描く重松清原作のヒューマンドラマ。
大人の都合に理解したフリをするのと
大人の都合を理解できないフリをするのはどちらも正しい家族のあり方なんだろうと思う。
子供ながらにきっと抱く複雑な感情をしっかり見つめていた作品でした。
「理由は聞くけれど、気持ちを気にしてくれたことはない」
これが一番グッとくるセリフ。
夫婦とは言え、親とは言え結局は不完全。
その穴を繋ぎ合わせる工夫をしないと関係は継続できないんですよね。
ぐっと抑えたトーンの一作。
現代的で統一感のある集合住宅。殺風景な住宅街を彩るのはいろんな家庭毎に灯る明り。
きちんと正装してくるダメお父さん。くどかんがいい味でした。
現代家族の葛藤を描写
バツイチ同士の家族はもう珍しくないので、本作のような連れ子の問題はもはや十分社会性のあるテーマなのかも知れませんね。出演者皆さん良かったですが、特に父親(浅野忠信)はちょっとカッコよすぎた面はありますが、なかなか良い味出していたように感じました。ただ連れ子・薫の継父への反抗は結局上手く決着できたのか、私には最後まで良く分かりませんでした(感度が鈍くて済みません)。
現実味のある作品
「理由は聞くくせに気持ちは聞かない」この言葉が強く印象に残った。現代ではよくあるような家庭事情を描いた作品で、静寂の中に現実味がありスクリーンに引き込まれた。父と母と娘それぞれの立場で気持ちが絶妙に描写されている。特に娘3人の動揺する気持ちが痛いほど伝わってきた。そして実娘を想う二人の父の気持ちにも心が揺れた。腐っても親子は親子なのか…深い。
2017-145
狭い範囲の人々にとっては、響く映画かな。
もつれたときほど厄介な家族。
離婚された方。
離婚後、子持ちの方と再婚された方。
両親のどちらかが腹違いで、その親のもとに新たな兄弟姉妹が生まれたという方。
再婚の両親の間に生まれたという方。
などなど、そういう方々にとっては、ピンポイントで響く映画なのだと思います。
それぞれの立場で考えることができました。
重松清の本は全部読んでいたつもりでいたのですが、この映画が公開されることを知り、まだ読んでいない本があったということで、公開前に急いで読みました。
浅野忠信さんのダメ親ぶり、田中麗奈さんのバカ母ぶり等々、役者はいい味を出していました。
脇を固める役者の方々もよかったです。
原作既読の方にとっては物足りなさが残ると思います。
やっぱり映画は小説に勝てない。
ですが、この映画が最初の出会いという方にとっては、結構切ない映画になっていると思います。
※重松清原作の映画で、私がいちばん好きなのは『青い鳥』です。
余韻から抜け出せない映画
原作未読。
派手な事件は起こらない。
淡々と、だが丁寧に気持ちを積み重ねていく描写。
余韻からなかなか抜け出せない作品だった。
血の繋がった父娘と、繋がらない父娘。
家族という形態を取っているのは、後者。
父親として関わる子供が全て「娘」という点に、この映画の面白さがあると思う。
妻、元妻、継娘、娘、そして実母まで。
主人公を追い詰めていく存在は全て「女性」である。
「理由は聞いても気持ちは聞かない」
元妻は、そんな主人公に愛想を尽かした。
だが、それが悪い事だろうか。それこそが男女の違いであり、歩み寄らなければならない部分なのだと思う。
女性は愛する人に、「理解して欲しい」と思う。
男性は愛する人が迷っている時、解決してやろうと手を差し伸べる。
愛情の表し方に違いがあるだけで、質量は変わらない。
その事に気付かず、男女はすれ違っていく。
妻とも、娘とも。(そして恐らく、母親とも)
もし主人公に一人でも息子がいたら、どうなっていただろう。
そんな思いを抱きながら見続けた。
だからこそ、この家族の続きが見たいと思った。
妻の元夫に発せられた「どうして結婚したのか」という問いはもちろん、
主人公自身に向けられたものであり、観客にも投げかけられた言葉だろう。
結婚している人、していない人。これからする人、挫折した人。
それぞれに、様々な思いを抱きながら観ることの出来る映画だと思う。
誰もが「考え込みながら」劇場を出る
誰の言葉だったか「映画とは答えを提示するものではない。観る者に、考えさせるのが本当の名作だ」という名言があるが、まさにその意味で、この作品は「真の名作」だと言える。“家族”という普遍的なテーマに加えて、全てのシーンのリアリティが高いため、観る者がそれぞれの立場から、そこに込められた意味を考えてしまうように出来ている。私には、子どもがいないが、浅野忠信演じる父親が、娘から拒絶されるシーン他、数々の場面で「自分だったら、どんな風に応えるだろうか?」と考え込んでしまった。
演技については、即興的な手法を取り入れたことが成功していることは、すでに多くの人たちが語っている。ドキュメンタリー出身の三島監督ならではの演出として賞賛されているが、この監督は画作りもとても上手い。それは、NHKにいた時からそうだったし、これまでの映画作品全てにおいて映像のクオリティが高い。今回も、冒頭の不思議な三色から引き込まれるが、モノレールの運転席から撮ったような外廊のドーリー映像や、観覧車を空中から観たような俯瞰ショットなど、随所に「不安」を感じさせるカットが挿入されている。
また、舞台設定や状況設定も優れている。浅野忠信が働く場所は、IT技術にコントロールされていて、住んでいる団地も(実際にどうなのかは別として)斜行エレベーターにのって自宅へと運ばれる。つまり、自宅以外の場所の、ほとんどが人工的、無機的なのだ。そのため、自宅のドアを開けた瞬間、息苦しくなるような“人間臭”のようなものを感じてしまう。そこが、必ずしも「居心地の良い場所ではない」と浅野が感じている事が、こちらにも伝わってくる。
少し穿った見方かもしれないが、私は一種の「恐怖映画」のようにも感じた。そこら辺のホラー映画では感じられない、「リアルな怖さ」が、娘とのやりとりや、田中麗奈演じる妻とのケンカの場面から滲み出ていた。上記の演出による高い演技力や巧みなカット構成が、人間が心の奥に、潜在的に抱えている「家族崩壊」の不安を、刺激してくるから「怖い」のだと思う。
この作品の普遍性についてはモントリオールで、日本人ではない人々から高い評価を得たことで、客観的に証明された。純度が高いのだ。
ハッピーエンドでもなく、絶望的な悲劇でもなく、誰もが「考え込みながら」あるいは、自分の家族について、あれこれ想いを巡らせながら劇場を出る。「家族とは?」簡単に答えは出ない。人生の真理の一端に触れているこの作品は、間違いなく三島監督の、代表作の一つになるだろう。
舞台は東京ながら西宮名塩斜行エレベーター
府中あたりが舞台か。
重松清の原作を読んでみたくなった。
カラオケだけではなく、エンディングテーマも本家の「悲しみの果て」で締めてくれても良かったかも。
女が男に「理由は聞いても気持ちは聞かない」っていうけどそりゃそうでしょ!と思ったら父から娘を諭す伏線だった、という演出にはハッとさせられた。
子役は別にしてキャストには違和感。
ラストにタイトル出るのはまあその通りとして浅野さんの顔の静止画で終わる意味が?
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