それでも、やっぱりパパが好き!のレビュー・感想・評価
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I'm Dying
え!?マニアックディプレション?こんなに酷く興奮状態になるなんて自分を失うなんてなんなのかと医学書で調べてから映画を見た。種類がいくつかあり、なるほどと。これはバイポーラで日本語で双極性障害だとわかった。なんだバイポーラなら、周りにいると気を取り直してまたみはじめた。仕事も解雇され、部屋をかたずけることもできず、まるで独り相撲しているように大騒ぎをする。躁鬱が極端にきて、それには周期があるから同居しているものは父親カメロンの周期を予測できる。し
かし、子供たちは振り回され大変そう。私もバイポーラの人には友達でも周期を察して接する。ということは、躁の時の方がなんでもできると思っているから危険になる。 私もバイポーラの人の躁の状態には『自分を制する』ということはその人になんでも言わないということを念頭に置いてる。私の経験からのバイポーラの人よりカメロンのは何十倍もひどくて、言葉どうりマニアックなのだ。 それに、ここでポーラ(Polar Bear)という英題も理解した。バイポーラ、のポーラーと北極熊をかけていて父親の性格が極端、無限大を示していること。うっつ!!!1970年代後半、現代はバイポーラは理解されるかもしれないが、当時?厄介者の出来損ない扱い? でも、投薬、炭酸リチウム(Lithium)があったから。 この精神安定させる薬をマギーに促され、思い出したようにカメロンは飲んでいるが?!
この映画でまず、バイポーラが気になっていた。しかし見ているうちに父親カメロンは御曹司だとわかった。エグゼダーという高校ハーバードという大学、卒業はしていないが。
東海岸、ボストンの歴史のある家系であり、権力のあって富裕な一家なのだ。曽祖父が住んでいたという豪邸。祖母の車や家など。それに、子供を公立におかず、私立にという感覚。その私立も名門であり、今では月授業料が50万ぐらいするエリート教育の学校。
いやいやそうじゃない。子供や妻、マギーは、カメロンのバイポラと付き合っていく術を学んでいってる。仕事が続かないカメロンに主夫になってもらって、子供の世話を任せて、マギーはコロンビアでMBA を取りに行って生活を変えようとしている。 仕事が決まった時も、カメロンをボストンに残して、子供だけを連れてニューヨークで採用されてるE. F. Hutton & Co. に行こうと思ったが、一人でニューヨークにいく決断を下す。マギーの寛大さや努力は人並みではない。当時の、人種差別、男女差別、子供がいるとわかったら、面接も通らなかったし。 また、子供たちだって自分の仲間を散らかっている自宅に連れてきている。やっとだけど。父親の存在を隠さないところがいい。これだけ、子煩悩な父親の存在は子供にとって一生の宝。愛情の注ぎ方は特殊でもなんとも好感が持てて、憎めない父親。父親のバイポーラを理解して、付き合っていくのは簡単じゃないかもしれないけど、心の広い子供になれるよと思った。心の温まる映画だった。
観賞後、マイア・フォーブス監督の体験をベースにしたものだと読んだ。娘役のアメリアは監督の子供だと。 御曹司、カメロンの親戚は米国国務長官、ジョン フォーブスケリーだと読んだ。マギーはニューヨークウォールストリート成長株式管理の投資管理会社を設立した最初のアフリカ系アメリカ人女性だそうだ。ウィッキーの情報。
タイトルにつられて...、
たまには泣ける映画を観たいと思い偶然見つけ観ました
私は泣けもしないし感動もしなかった....
病気だから仕方ないのだけども父親に最初から最後までイライラしっぱなし.....こんな父親私は絶対嫌....
感情移入しすぎた
子供は一人だけどね。
会話とか、すごくリアル
パパが母親になるから、ママは父親になるって話、今の日本でも理解されない
そして、子供はやっぱり無条件で親を愛する
家族って何だろう
☆5にしなかったのは、家族について悩んでいない人には、何のことやらって映画だろうということで減らしてます。
なんとなくいい
病気なので行動は奇っ怪だけど、全体的に飾り気のない自然な映画。
娘とパパパってこうだよな〜、とか、子供ってこんな風にゲンキンだよな〜、とか、かなり変わっていても、やっぱりどこにでもある家族の姿が微笑ましい。
それにしてもママはできた人だね〜。尊敬しちゃう。
とにかくちょっと可笑しくてジーンと来る。
安っぽいお涙頂戴作品より遥かに観た得感あり。
双極性障害って、こんな感じなのか……。
………う~ん。子供としては、こういう親は嫌かな。似たような作品で、『I am sam』があったけど、あちらの方が好きかな。
親子が少し成長し、最後に涙を流すのは・・・?
マーク・ラファロはユニークな俳優だと思う。いろんな作品でいろんな役柄を演じているのだけれど、観る度に「きっとラファロもこういう人なんだろうな」と思って観てしまう。今回もまさにそうで、躁鬱だとは思わないにしろ、ラファロって困ったところもあるけどきっと優しいパパなんだろうなぁと、根拠もないのに勝手に思ってしまった。それほど、リアルで説得力のある芝居をする、ということだ。演じているという力みがまったくない。だから演技に芝居臭さが出てこないのだ。お気に入りの俳優の一人だ。
この作品は、躁鬱を患ったまま父親になった男が、二人の娘の面倒を一人で見なければならなくなった一年半を描く。その背景にはアメリカという国が抱える家庭問題のこと、職業のこと、教育のこと、人種のこと、そして病気のこと・・・という具合にシリアスにしようと思えばいくらでもできそうな題材が転がっているし、現代のアメリカないし日本の家庭問題にも通ずるようなテーマもあるのだが、映画はそれらを決してドラマティックに演出して利用するということを一切せず、身近な出来事の積み重ねで物語を紡ぎ、あくまでも父と娘、夫婦、親子、の「絆」や「関係性」に焦点を絞り続けた。そのうえで、軽やかで爽やかでコミカルに描かれてはいるので、余計に考え入るものがあり、胸に残る作品だった。
この映画が特徴的なのは、親が子供を見つめる視点ではなく、子供が父親を見つめ、愛の手を差し伸べるような視点で描かれていることだ。「親が子供を無償で愛する映画」ではなく、「子供が親を無償で愛そうとする映画」なのだ。不完全でダメな父親だと子供たちが誰よりも理解している。そのうえで、この父親を愛してやろうという娘たちの情熱がこの映画の原動力だ。父親のことを精一杯憎しみ、精一杯ケンカし、それでも精一杯愛情を注ぐ娘たちの姿と、飄々としながらもいつも苦悩し続けている父親の姿が、なんとも不思議な感動を呼ぶ。
映画が終わっても、この家族は何も変わらず、父親も何も変わらず、何も解決しないままかもしれない。それでも、どこか希望の光が見えるような柔らかいエンディングが待っている。親は少しだけ子離れをし、子供は少しだけ親離れをする。そんな結末で、嬉しくも切ない涙を流すのは、親だったか?娘だったか?それがこの映画の答えだ。
マークラファロ
ラコステの緑のポロシャツに緑の短パンとか、マークラファロのスタイリングが素晴らしい。ラコステが最高に似合う。アメリカボストンな感じ。子供達もツナギとか良い感じ。終始煙草とかパイプを咥えてる。当店ではネクタイが必要でございますと言われて、その場で蝶ネクタイを結ぶ。
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