「このラスト以外あり得ない。星屋は最後に救われた!」planetarian 星の人 トルエムさんの映画レビュー(感想・評価)
このラスト以外あり得ない。星屋は最後に救われた!
上映館が少なく、「君の名は。」大ヒットの影響で影が薄いことこの上ない本作。
絵柄はアニメオタク向けで原作はPCの美少女ゲーム。(後に他機種に移植済み)
だから多くの映画ファンが見ない、気にされることもない、実際に浜松の映画館ではひと月足らずで上映が終わってしまった。
しかし、その作品規模に反した興行的ヒットは遂げており、上映劇場が増加していることも事実だ。
ぜひ、原作未体験の方にも広がってほしい。そして星空や人として生きることに思いを馳せてほしい。
私はPSP版を遙か昔にプレイし、本作のアニメ化が決定した頃から、上映を心底待ち望んできた。
ゆめみと屑屋のキャストは変更せず、当時のままの空気感がアニメで楽しめるとあって心が弾んだのを覚えている。
何より地元である浜松の街が動くアニメになって見られるという感動と言ったらなかった。(なお松菱デパートは経営破綻し、取り壊されている)
なお、「背景は動かないだろ」という突っ込みは野暮である。
配信版では、津田監督の原作への深い愛にノックアウトされPCの前で嗚咽にも近い号泣をした。
映画版「星の人」は、原作の後日談に当たり同名のドラマCDを聞いてない私には完全新作となった。
正直、また泣かされるとは・・・。(監督、演出が素晴らしすぎます・・・)
映画を見て涙するのは珍しくないが、胸のあたりがけいれんするほど泣くのは初めて。
音になってしまう嗚咽をこらえると、胸が軽くけいれんし始める。初めての経験だった。
浜松の街は適度に抽象化されているものの、最新の街並みを反映し原作発表時にはなかった遠鉄百貨店新館や高架化された助信駅などが登場する。
地元民にはサービスシーン以外の何物でも無いため、そのようなカットが出るたびに大歓喜した。
助信駅にゆめみの花束(原寸大)を期間限定展示するのはどうだろう?(遠州鉄道さ~ん?コラボ切符まだ~?)
こないだの帰省の折、浜松科学館にプラネタリウムを20年ぶりくらいに見に行ってしまった。(浜松科学館さ~ん?コラボ上映まだ~?)
【以下ネタバレ】
星の人では、老人になった屑屋(星屋)が雪に埋もれた集落を訪れ星屋を継ぎたいという少年たちにその術を教える流れを描く。
回想シーンで配信版の映像が再編集されて挿入されるが、配信版がゆめみ視点をメインにしていたのに対し、劇場版は屑屋の視点。
音楽の付け方も異なっており、監督の強いこだわりを感じた。BDを買って入念に見返したい。
星の人ラストは、議論が分かれることと思う。
結論から言うと、配信版でゆめみが託したメモリーカードは別筐体に差し込まれることはない。
つまりゆめみの記憶を持ったロボットは起動しない。
ファンにとっては「またゆめみが復活してほしい。星屋に言葉を掛けてあげてほしい」という思いがあって当然だろう。
しかし、作品として見ると、あの終わり方が最良であり他はないと思える。
もし、メモリーカードが金髪のロボットに差し込まれて第二のゆめみが起動したら?
まもなく命を終える星屋はゆめみを一人にしてこの世を旅立つことになる。
それは二人にとって悲しすぎるし、究極的には「動いているゆめみをもう一度見たい」という観客サービスで終わってしまいかねない。
金髪ロボットは何かに導かれ星屋を傍で看取ることになった。祈るように手を合わせて。
天国へ旅立った星屋は「天国が2つなら俺は行かないぞ」と言い残したとおり、
ゆめみやプラネタリウムのスタッフが待つ天国へ行き、文字通りあの頃のゆめみに再開するのだ。
人生を賭して星の美しさ、すばらしさを伝え続けた孤独な星屋。
彼が救われるシナリオは、メモリーカードを子どもたちに託し、天国でゆめみに再開するというあの流れ以外にあり得ないのだと思った。
メモリーカードを託された少年たちがその後、ゆめみを起動させたのか、それは観客の想像にゆだねる。
なんとも気の利いたラストではないか。